第68話 悪い男
ミヨさんと莉子さんのおかげで、落ちるところまで落ちずに済んだ。
私は一人じゃない、その事実だけでどれだけ救われたか……。きっと二人は知らないだろう。
だけど、やっぱり悪意ってモノは、そう簡単に見逃してくれないようだ。靴箱で上履きに履き替えたとき、運悪く生徒指導の体育教師、
何かと理不尽な言いがかりをつけて、生徒をいびることで有名な陰険な教師で、生徒からの評判はすこぶる悪かった。
特に自由奔放主義な莉子さんは、事あるごとに呼び出しを喰らっていたので目を合わすのも嫌だという言っていたが、あまり面識のない私は噂でしか認識がなかった。
だけど、何だろう……。何処かで見覚えがある気がする——……?
「おい、及川杏樹。お前、ちょっと生徒指導室に来い」
「え?」
通り過ぎようとしたその時、突然の呼び出しに怪訝な顔で振り返ってしまった。
「何だ、その反抗的な顔は……! 教師である俺の言うことが聞けないのか?」
「ちょっと、先生! 言うことを聞けないとかそれ以前に、何で及川さんが呼び出されないといけないの? 理由も分からずに呼び出されたら、そりゃ納得できないって!」
私の代わりに言ってくれた莉子さんに感謝したが、そんな発言すらも鼻で笑うように多次路先生は嘲笑した。
「ハッ、そんなのお前自身が一番分かってるだろう? な、及川杏樹」
私は口を一文字にして黙っていた。
やはり、あの写真のことだろうか?
生徒の間だけでなく、学校側にも公開されたのだろう。だけどきちんと説明をすれば分かってくれるはずだ。
私は一人じゃない、だから大丈夫。
絋さんとの未来の為に、私は強くならなければならないのだ。
「莉子さん、大丈夫。ありがとう」
一歩踏み出して、強気な態度で顎を上げた。理不尽も全部、上等だ。もう弱くて死にたいと逃げていた、あの頃の私じゃない。
その為にも、まずは先生の誤解を解いて、次に犯人を見つけなければ。私は多次路先生に連れられるように進路指導室へと向かった。
———……★
初めて訪れた進路指導室は体育館の横にある静かな場所だった。二人分の教員の机とパイプ椅子。飲みかけの缶コーヒーが何缶も転がっていて、不衛生さが拭えない。一刻も早くこの部屋を出たい。
「申し訳ないですが、先生が呼び出した理由はあの写真ですか? 私と彼は結婚を前提にお付き合いしているので」
「あー、そういうのはいいから。そんなことより及川杏樹。お前は全く覚えていないのか?」
「え………?」
そんなこと? 軽い言い方に胸中がざらつくような不快感を覚えた。全くそんなことではない——……。場合によっては、私の人生も左右されかねないことだから、ちゃんと無実を証明しないといけないのに。それを簡単に流さないで欲しい。
「あの、私は……」
「あー……あの時とは髪型も違ったし、眼鏡もかけていたからな。お前が分からなくても仕方ないか。昨日は姪っ子がお世話になったな。及川杏樹のおかげで助かったよ」
姪っ子……? まさか?
書店で迷子になっていた女の子を迎えに来たお兄さん。あの時、女の子は確かに「お兄ちゃん」と言っていたけど、今思えば確かに年が離れていて、不自然だったけど……子供も懐いていたし、何よりもあっという間の出来事だったので、今の今まで気にも留めていなかった。
「多次路先生が、昨日の——……」
「さすが及川杏樹だと感心したよ。けど、ダサい格好のまま名乗るのも嫌だったから、改めてお礼を言おうと思って直ぐに立ち去ったんだよ。うん、お前は優しくて可愛くて、俺の理想の女だよ。でもな、あの男はダメだ」
そう言いながら多次路先生は、机の引き出しから写真を数枚取り出した。カラオケ店で絋さんとキスをしている写真……やっぱり撮っていたんだ。
「お前がエロいのは大歓迎だが、他の男に媚びるのは許せないなァ。もしコイツと別れて縁を切るっていうなら、この写真のデータは消してやる。でも俺の言うことが聞けないのなら……」
嫌な予感がした私は、咄嗟に守るように身を竦めたが、手首を掴まれて引っ張られた。
「せっかく志望校の推薦を貰ったんだろう? こんな男のせいで人生を台無しにしたくないよなァ? そもそも俺とそんなに年が変わらない男じゃないか。それなら俺でもいいだろう?」
「い、嫌です! 離して下さい!」
「その男には股を開いて腰を振っていたくせに、何をカマトトぶっているんだ? なぁ、いいのか? お前の死んだ親御さんも悲しむぞ?」
気持ち悪い、気持ち悪い! 必死に逃げようと抵抗したが、全く微動だにしなかった。お願いだからこれ以上のことはしないで欲しい!
「まぁ、いい。どうせここには俺と及川杏樹しかいないんだ。お前の恥ずかしい写真を撮って、俺の言うことを聞いてもらうとするか」
「い、嫌です! やめて下さい!」
「お前には訴えてくる親もいないし、他の男に犯された傷物なんて、あの男も嫌がって見捨てるだろうし、一石二鳥だな! ほらほら、あの時みたいに媚びるようにキスしろって」
多次路の舌がベロォっと私の頬を舐めた。気持ち悪くて全身の鳥肌が立つ。嫌だ、嫌だ、助けて、絋さん……!
その時だ、バンっと思いっきりドアが開いた。その向こうにいたのは、スマホのレンズをこっちに向けていた水嶋くんの姿。
「及川さんから離れろ! 多次路の悪行は全部丸っと撮らせてもらったからな!」
「な——⁉︎」
よく見れば水嶋くんだけではなく、その隣には莉子も立っていた。二人して助けに来てくれたんだ。
「生徒を脅すなんて、教師として……ううん、人間として最低最悪よ! この屑教師!」
「や、ヤメろ! お前ら、このことを他の奴に言ったら、どうなるか分かってるんだろうな⁉︎」
「俺のことはどうなっても構わねぇよ! そんなことより及川さんから離れろ! 及川さん、早くこっちに!」
私は掴んでいた腕を振り払って、縋るように水嶋くんに抱き付いた。
後からきた震え……足も指先も、全部ガクガクと震えて止まらなかった。
「莉子さん、水嶋くん……! 何でここに?」
「そんなの嫌な予感がしたからに決まってるじゃん! 私、許せないの! あんたみたいな屑教師、地獄に落ちればいいんだわ!」
莉子の啖呵にブチっと切れた多次路は、なりふり構わずに飛びかかってきた。まるで獣のような形相と行為に驚いた私達は、カウンターのように蹴りをかましてしまった。見事に急所に入ったハイキック。
目がぐりんと白目を剥いて、そのまま多次路は気を失ってしまった。
———……★
「せ、正当防衛⁉︎ ねぇ、ちゃんと動画を撮った? これって正当防衛よね?」
「た、多分……、も、もし違う時には俺が責任取るよ」
水嶋くん、莉子、ファインプレーでした✨
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