第3話 家出少女、ナウ

 だが冷静になって、とんでもないことを口にしてしまったと後悔した。


 今の俺は鬱病を患っていた失業中の元社畜。誰かに手を差し伸べている場合ではない。むしろこんな人間に説教なんてされたくないと蔑んだ目で見られるのがオチだ。


 それに改めて見ると、化粧気はないものの整った顔立ちに黒目がちな猫目に色素の薄いミクルティーのような透き通った綺麗な髪色。そして何よりも胸が——……!


(C……? いや、Dか?)


 制服の上だから正確な大きさは分かりにくいが、雨で濡れた今なら推測しやすい。これでは男が野獣になる。簡単に捕食できる極上の獲物だ。


「一先ず俺の家で服を乾かして……。こんな時間に外をウロウロしていたら親御さんも心配するだろうし」

「心配する親なんていません。両親は事故で他界して、近くにいるのは保険金と遺産を目的に引き取った顔も見たことなかった遠縁の親戚だけです」


 思ったよりもディープな展開キター。

 もしかして安易に首を突っ込み過ぎた?


 だが、だからと言って放っておけるわけがない。ガタガタと震える彼女の手を引っ張り、そのまま階段を降りて行った。


「待って、私はまだ」

「俺の名前は一之瀬いちのせこう。社畜のように働いてドロップアウトしたクソみたいな人生過ごしていた間抜けな男だ。けど、だからこそアンタみたいな人間を放っておけないんだよ!」


 そう、生きる希望を失った無気力な表情。

 彼女を見た瞬間、勝手に仲間だと思ってしまったんだ。助けたいと思ってしまったんだ。

 こんな俺でも、誰かを救うことができるのならって、自分に期待してしまったんだ。


「俺に出来ることがあったら、なんだってしてやる。だからそんな世界に絶望したような顔をするなよ」


 さっきまで親友達と飲んで勝手にドン底に落とされた気分になっていたが、久しぶりに飲んだビールは美味しかったし、気の合う野郎達との談笑も楽しかった。


 こんな俺でも、生きていて良かったと感極まっていたんだ。


「クソみたいな世の中だけど、生きていれば良いことがあるんだよ。だからさ、今は騙されたと思って俺の言うことを聞いてくれねぇかな?」


 そう言って、彼女は戸惑いながらも小さくコクンと頷いた。


「………私は及川おいかわ杏樹あんじゅ我堂かどう学園に通う三年です。その、助けて……くれますか? 一人じゃどうしようもなくて困っていたんです」


 やっと開いてくれた口に安堵の笑みを溢しながら、俺は杏樹さんの手を引きながら自宅へと戻った。

 二人して傘も差さずに歩いていたので、随分と白い目で見られたが、こればかりはやむ得なかった。


 ———……★


「はい、これ未使用のバスタオル。まだ水通しもしていないから固いかもしれないけど。それと着替えは俺のシャツしかなくて」

「いえ、私の方こそ……色々ありがとうございます」


 そしてバスルームへと向かって行ったのだが………何だ、このエロ動画のような展開は⁉︎


 【あらすじ】自殺寸前の幸薄美少女が家にやってきた。しかも今、シャワーを浴びている最中である。風呂場から出てきた彼女はバスタオル一枚で、まるで誘惑するかのように魅惑の胸を押し寄せて近づいてきた——とか?


「ヤベェ、プライベートで女性と関わるなんて学生の時以来なんだが?」


 童貞ではないが、もう久しく異性と交わっていなくてどうしたらいいのかも分からない。


 そもそも助けるって、何をすればいいんだ?

 本当に俺なんかに何かができるのだろうか?


「シャワー、ありがとうございました。一之瀬さんもシャワーを浴びてきますか?」


 思ったよりも早い登場に、ビクっと身体が跳ねてしまった。六歳も年下の学生に何をビビっているのだろう、俺は……。自分の家だというのに情けない。

 俺は彼女に視線を向けることなく、そそくさとバスルームへ向かった。


 とりあえず風呂から上がったら話を聞かなければならない。成り行きとはいえ、助けた以上は俺にも責任はあるのだから。


「よし、ここは年上として、しっかりリードしてやらねぇとな」


 そして風呂から出た瞬間、心臓が大きく跳ねて膝から崩れそうになった。

 大きめの所謂いわゆる彼シャツ状態。濡れた髪が近くで揺れる露わになった鎖骨、普段は隠れているであろう真っ白な太もも。


 長らく陽の目を見ていなかった社畜には眩しすぎる……!


「あの、改めて助けて頂いてありがとうございました。正直に言うと親戚の家には帰りたくなくて、困っていたところだったんです」

「あー……そうなんだ」


 ってことは、別に自殺をしようと思っていたわけじゃないってことか? 


(恥ずかしいな、もしかして俺の早とちりだったのか?)


「だから一之瀬さんに家に来ていいって言われて、ホッとしたと言うか安心したというか……」


 ——ん? 待って? 雲行きが怪しく感じるのは俺だけか?


「こんな私に手を差し伸べてくださって、ありがとうございます。しばらくの間、お世話になります」

「いやいやいやいや、泊めるとは一言も言ってないけど⁉︎」


 確かに手は差し伸べた。ずぶ濡れになっている彼女を放って置けなくて、自宅に来いとも言った。だが泊まっていいとは一言も言っていない。


「え、でも助けてやるって」

「いや、普通に考えて、ここワンルームの一人暮らし! 女性の君を泊めることなんてできないだろう⁉︎」


 そもそも未成年を連れ込んでいるだけでも際どい事案だと言うのに!


「私はもう十八歳で、法律的には成人扱いになります。それに両親もいないので、一之瀬さんに迷惑を掛けるようなことにはならないと思います」

「けど杏樹さんを引き取った親戚は?」

「あの人達は私のことを性的に見ていて……嫌なんです。同じ空気を吸うだけでも蕁麻疹が出そう」


 性的って、それは俺も同様なんだけど?

 え、もしかして杏樹さんは俺を男として認識していない? そもそもこんな美少女を目の前にして、平常心でいられる男はいるのか?


「もし……居候させてもらう条件が、その……エッチなことなら……! 胸なら触ってもいいので」

「いや、そんなことを強制したら、ガチで捕まるから! 分かった、泊まっていいからそう言うことは口にしないでくれ!」


 無職な上に、性犯罪者なんて肩書まで背負いたくない。


 とはいえ、確かに学生では家から逃げるにしても、どうしようもなくて右往左往することも多いだろう。現に俺のような人間に縋るほど追い詰められているのだ。ここで突き放しても他の男を探すだけならば、俺の家で引き取っていた方が安全だ。


 ただし、俺の理性の均衡が保たれていればだが。


 期間は彼女が独り立ちできるまで。

 俺の果てしない戦いのゴングが鳴り響いた。



 ———……★


「幸薄ダウナー系美少女を助けたら、理性ギリギリの戦いが始まってしまいました」

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