第20話 コーラ.2

 快晴のスマホを手に取り、私は画面を凝視した。

 なるほど……国語の文章問題だ。私が苦戦中の。まあ、これは小一だけど。

 答案用紙には横断歩道が一本描いてあった。横断歩道を大人の男性が左側から歩いていて、子供二人が手を上げて右側から歩いて向かってきている。横断歩道の右端には歩行用の信号機があり、その右横に①。横断歩道を左側から歩いて来ている大人の男性の左横に②と描いてある。

 一問目が、あるくひとのためのしんごうきです。①と②どちらでしょう。

 二問目が②はなんといいますか。

となっており、答えは一問目が①で、二問目が横断歩道だろう。

 だけど、答案用紙を見てみると一問目は①で正解だが、続く二問目は、おかえり、と書いてあった。

 ぷっ、思わず吹き出してしまった。


「なにこれー、おかえりって」

 笑いをこらえることができなかった。

「な、おもろすぎだろー」

 快晴も爆笑している。

「でもさー、これってある意味で正解なんだよなー」

「ん? どういうこと?」

「だって問題は②はなんていいますか。だろ?」

 私は興味津々に相槌する。たしかに、②はなんていいますか。と書いてある。

「②はなんといいますか。なら不正解だけど、なんていいますか。だから、父さんは②の男の人がなんて言ったのかって思った訳だろ?」


 うん、再び私は頷くけど、いまいち言いたいことが理解できてない。思考をめぐらせて話に耳を傾ける。


「しかも右側から歩いてきてる子供二人が手を上げてるのも、男の人に向かって手を上げてると解釈すれば、ある程度の親密な関係とも考えられるから、おかえりでも正解じゃん」


 私は問題の絵をじーっと見つめた。

 たしかにこの絵だとそういった解釈にもとれる。子供の二人はとても楽しそうに男の人に手を上げて挨拶している。


「てか、名前欄のとこ、ほしみやひかる☆☆☆、とか可愛すぎでしょ」


 一瞬でこれを書いた人物が、どのような小学一年生だったのか見て取れた。


「おれも似たような感覚はあるけど、ここまでぶっ飛んではないから、父さんだいぶ苦労したんじゃないかな」

「たしかに……」


 私もこのクリエイティブさは持ち合わせていない。


「こんな人でもN大学に行けるんだから、七海も大丈夫だって」


 お父さんは県内一難関といわれるN大学出身者で、私と快晴もこの大学を目指している。


「日本語難しいんだって。色々な視点で解釈できるから、いっそ英文にしてもらった方がシンプルに解釈できるんだけど」


 私なりに言語化してみた。

 すると快晴は、あーー、と立ちあがり、思い出した!、と言う。「父さんからのアドバイス」

 目の輝きようで、どれだけお父さんのことが好きだったのかが見てとれた。私は昔の快晴を回想した。


「まず文章を自分流に理解してから、そのあとに皆んなの考えに合わせるように直していく感じだなって言ってたわ」

「自分流?」


 一瞬、変なことを言ってんなーと思ったけど、すぐに理解した。蛙の子は蛙だ。


「まー、ようはさっき七海が言ってた、英文を訳すと同じ感じだろ?」


 常識人からしたら宇宙人同士の会話だ。それぐらい私たちの会話は世間とズレていると思う。

 でも、快晴のおかげで暗闇の中の微かな光が見えた気がした。


「なんか解ける気がしてきたかも」


 たしかにそうなのだ。私は一般的な価値観に寄せて解釈しているつもりでも、大抵一人だけ思考が浮いている。たまに自分だけ違う次元にいるんじゃないかとさえ思うほどだった。

 最近だと『明日のランチ午前中急遽予定が入っちゃった! 開始時間を十三時から十四時に変更(お店に確認済)しようと思うんだけど大丈夫?」と、きたグループメールに、私は十三時にお店行った。急遽な予定が入ったから、十三時から十四時までの間でランチしよってことだと解釈をして。

 だけれど、その日は一人で一時間待ちぼうけすることとなった。自分だけ勘違いをしていたのだ。小春と一緒に行けばよかったとどれだけ後悔したことか。

 こんな調子で、文章問題も考えれば考えるほど、訳が分からなくなって負のループに陥っていく。私は一般的ではない。普通ではない。それを認めてしまえ、と父は伝えたいのかもしれない。妙に腑に落ちた気がした。

 部屋に一人になり、快晴が座ってた椅子に背預けた。

 空のペットボトルを手にしてゴミ箱に捨てる。快晴が飲んだやつを。

 るるぽーと行きは、どうやら快晴が計画してくれたっぽかった。

 風にゆらめくレースカーテン。夏の夜はひどく雑な匂いがする。木と葉っぱ、虫と土がまざりあったような匂い。あと、うんこ。何だか幼稚でミステリアスな感じがまた良かった。

 壁にかけたワンピースは、パピ、マリに今日買ってもらった物だ。ネイビーで、たっぷり入ったプリーツの袖なしのワンピースに、少し細く薄い黒ボーダーの白地のトップスを合わせる。なんともいえない上品さである。

 私はコーラの蓋を勢いよく回し、そのまま豪快に流し込んで、活発になる胃腸を抑えるようにペットボトルを机に置いた。


 側に置いてあったブレスレットが光って見える。


 アクアマリン。

 なつかしいな……

 あの頃、石集めるの流行ってた。

 鮮明に覚えている。

 映画を観たあとに三人で参加した宝石狩り。

 小学生になって初めての夏休み。

 この夏を境にお父さんはいなくなった。

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