漢字でGO!のわからなかった漢字で文章書く

千田伊織

おさかなさん

 ボクはマグロ。

 寿司屋の水槽の中で今日も元気に泳いでいる。


「びゃー助けて」


 アオリイカが大将の手にかかってしまった。

 ボクはその様子を眺めたまま思った。きょうも友達が連れて行かれてしまった。

 けれどそれは寂しいことじゃなかった。


 ボクは水族館の魚だった。

 大将との出会いは水族館だったのだ。友達のラッコくんは言った。


「君は、人間界で一番おいしいとされる魚らしいよ!」


 笑って言っていた。


「ぼくは可愛いから食べられないんだ!」


 ふんぞり返って、こうとも言った。

 ボクは意味が分からなかった。飼育員さんが「連れて帰ってくれてよかったね」と言って見送ってくれたけど、着いたのはすごく小さな水槽だった。

 ラッコくんもいないし、ボクは独りぼっちだった。でも、次にやって来たのはアオリイカだった。外の世界はどうなんだろう。みんな大きな水槽に帰っていくのだろうか。

 次はボクの番だ。

 ボクは期待に胸を膨らませながらそう思って、カウンターの向こうで目まぐるしそうに働くたいしょうをながめた。


 しくしく、と水を震わせる泣き声が聞こえてくる。

 ボクは振り向いた。

 ゴンズイくんだった。度々つるんでいる新人だ。

 ゴンズイくんはボクより後に来たのに泣いている。アオリイカとはそんなに仲が良かったっけ。


「ちがうよ。ぼくたち食べられちゃうんだ!」

「食べるってなに? だれが? なにを?」

「ぼくたちがエサを食べるみたいに、たいしょうもぼくたちを食べるんだよ」


 ボクは自分の置かれているただならぬ状況に戦慄した。逃げようと狭い水槽の中を驀進ばくしんしても、すぐに壁が迫りくる。

 ボクはゴンズイと同じように涙を流していた。

 ラッコくんの言っていたことを今更気づいたのだ。

 ボクは大将が近づいてくるのに気づけなかった。


「いやー。最近ちょうど大きくなってきてね。おいしそうでしょ」


 大将の声が遠くで聞こえる。


「新鮮なマグロ、お出ししますよ」


 ボクのぼやけた視界の向こうでゴンズイが泣いていた。



使った漢字一覧

・𩻩(まぐろ)

・障泥烏賊(あおりいか)

・海獺(らっこ)

・海黄顙魚(ごんずい)

・目紛るしい(めまぐるしい)

・啻ならぬ(ただならぬ)

・連む(つるむ)

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