第3話 最後の取材
月影澪は息を殺して、影美神社の深部へと足を踏み入れた。鬱蒼とした木々が月明かりを遮り、辺りは闇に包まれている。手持ちカメラを構えた澪の指が、わずかに震えていた。冷たい夜気が肌を刺す。
(ここで何かが起きるはず……影河玄の言葉が本当なら)
澪は心の中でつぶやいた。カメラのレンズを通して見える光景は、日常とかけ離れていた。風一つない夜なのに、木々の影が不自然に揺れている。葉のざわめきが、まるで誰かのささやきのように聞こえる。澪は喉の渇きを感じた。
その時、遠くから低い唱和が聞こえてきた。澪は息を呑む。心臓の鼓動が早くなる。
(まさか、本当に儀式を……?)
木々の間から漏れる松明の明かりが目に入った。オレンジ色の揺らめく光が、不気味な影を作り出す。澪は慌てて隠れ場所を探す。大木の陰に身を潜めると、そこから儀式の様子を窺った。
白装束の町民たちが次々と集まってくる。その姿は幽霊のようで、澪は背筋に冷たいものを感じた。集まる人々の中央に立つ二人の男性に、澪は目を見開いた。
「五十嵐正志と杉本龍三……やっぱり町長と希望の灯教団が関わってた……」
思わず声に出してしまい、澪は慌てて口を押さえた。心臓が喉まで飛び出しそうだ。震える手でカメラを構え直す。レンズ越しの光景は、まるで悪夢のようだった。
町長が高々と声を上げる。その声は夜の静寂を引き裂くようだった。
「我らが神、影よ。新たな供物をお受け取りください」
その言葉と共に、中央に若い女性が連れ出された。泣き叫ぶ声が夜の闇に響き渡る。その悲痛な叫びに、澪の心が締め付けられる。
(あの子は……確か失踪したと噂の
澪の全身が恐怖で震えた。歯が小刻みに鳴るのを必死に抑える。それでも、彼女はカメラを回し続ける。真実を記録しなければ。そう自分に言い聞かせた。しかし、その決意とは裏腹に、逃げ出したい衝動と戦っていた。
突如、巨大な影が現れた。それは雨宮を飲み込んでいく。歓喜の声を上げる町民たち。異様な雰囲気が澪の全身を包み込む。目の前で起きている光景が現実とは思えない。
(これが……かげみ町の真実……)
澪の頭の中で、様々な事件の断片が繋がっていく。失踪事件、奇妙な噂、町の異様な雰囲気。全てがこの瞬間のために存在したかのようだ。しかし、それを考察する暇はなかった。カメラのバッテリー残量警告が点滅し始めたのだ。
「くっ」
思わず漏れた声に、澪は慌てて口を押さえる。冷や汗が背中を伝う。しかし、遅かった。
儀式の中心にいた杉本龍三が、突然澪のいる方を向いた。その鋭い眼光に、澪は全身の血が凍る。
「そこにいるのは誰だ!」
その叫び声に、パニックが澪を襲う。頭の中が真っ白になる。逃げなければ。そう思った瞬間、町民たちの視線が一斉に澪に向けられた。百対を超える瞳が、獲物を捕らえた捕食者のように光っていた。
「捕まえろ!」
誰かがそう叫ぶ。澪は全力で走り出した。闇の中、木々の間を縫うように逃げる。枝が頬を引っかく。躓きそうになりながらも、必死に前に進む。背後から迫る足音。怒号が闇に響く。澪の頭の中は真っ白になっていた。
ただ逃げる。それしか考えられない。カメラを握りしめたまま、澪は暗い森の中へと消えていった。息が上がり、脚が痛む。それでも、立ち止まるわけにはいかない。
どれくらい走っただろうか。澪は大きな木の陰に身を隠し、息を整えた。心臓が激しく脈打つ。耳を澄ませば、まだ遠くで追跡の声が聞こえる。
(ここまでか……)
絶望的な思いが澪の心を覆う。しかし、その時だった。
「こっちよ」
かすかな声が聞こえた。澪が振り向くと、そこには見覚えのある顔があった。
「田中さん?」
地元新聞社の記者、
「早く。安全な場所に案内するわ」
澪は迷わず美雪の手を取った。二人は闇の中を駆け抜けていく。
**
「以上が、私が最後に撮影した映像の内容です」
澪の落ち着いた声が、暗い部屋に響く。
教授は杖を握り締め、深いため息をついた。額には薄い汗が浮かんでいる。
『月影澪さんから託されたこの映像は、彼女の失踪の謎を解く鍵になるかもしれません。しかし同時に、私たちの常識を覆す恐ろしい真実も含んでいるのです』
教授は古びたノートを開き、ペンを走らせる。その手の動きには、わずかな震えが見られた。
『かげみ町で何が起きているのか。月影澪さんは今どこにいるのか。そして、彼女が目撃した『影』とは一体……』
走るペンをとめた教授の表情に、深い憂いの色が浮かぶ。彼の目には、言い知れぬ恐怖の色が宿っていた。
「この謎を解明するには、さらなる調査が必要です。しかし、それは大きな危険を伴うでしょう。私たちは、未知の恐怖の入り口に立っているのかもしれません」
モニターから届く澪の言葉。教授は静かに頷いた。その仕草には、決意と覚悟が感じられた。
「この映像が、真実への第一歩となることを願っています……」
カメラの電源が切れる。暗闇の中、教授の深いため息だけが響いた。
**
かげみ町、深夜のコンビニエンスストア。LEDの下、
「はぁ……また変な客が来ないといいけど」
彼女は小さくつぶやく。最近、夜勤の間に奇妙な出来事が続いていた。同じ顔の客が何度も現れたり、商品が勝手に移動したり。幸子は首筋の寒気を払おうとする。
そんな時、店の自動ドアが開く音がした。幸子は慌てて笑顔を作る。
「いらっしゃいま……」
幸子の言葉が途中で止まる。入ってきた客の姿に、彼女は目を見開いた。
「あなたは……月影さん?」
髪を乱し、服が泥だらけの女性が立っていた。その手には、壊れたカメラが握られている。女性の目は焦点が合っておらず、全身が震えていた。
「た、助けて……」
そう言って女性はその場に崩れ落ちた。幸子は慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか! しっかりして!」
幸子が澪を抱き起こそうとした時、店の外で複数の足音が聞こえた。そして、低い声が漏れ聞こえる。
「この近くにいるはずだ。見つけ次第、連れ戻すんだ」
幸子は息を呑んだ。直感的に、これが普通の捜索でないことを悟る。彼女は素早く動き、倒れた澪を棚の陰に隠した。
「大丈夫よ。あなたを守るわ」
幸子は女性に小声で言い、カウンターに戻る。手の震えを抑えるのに必死だった。
再び自動ドアが開く。白装束の男たちが数人、店内に入ってきた。その姿に、幸子は恐怖を感じる。
「すみません。こんな夜中に何かお探しですか?」
幸子は平静を装って尋ねた。声が震えないよう、必死に抑える。男たちは店内を見回し、いくつかの質問をする。幸子は終始、笑顔を崩さずに応対した。しかし、その間も彼女の心臓は激しく脈打っていた。
男たちが去った後、幸子は深い深いため息をつく。冷や汗が背中を伝う。そして、隠した澪のもとへ急ぐ。
「大丈夫よ、もう安全――」
幸子の言葉が途中で止まる。澪の姿が、そこにはなかった。代わりに、一枚のメモとマイクロSDカードが残されていた。幸子は震える手でそれを拾い上げる。
『このマイクロSDカードを託します。██大学、██教授宛に送って下さい。それと決して中身を見ないで下さい』
幸子は震える手でメモを握りしめた。彼女の目に、恐怖と困惑の色が浮かぶ。頭の中が混乱し、何を信じればいいのか分からなくなる。
外では、白装束の人々が大勢で誰かを探している。おそらく澪を探しているのだろう。幸子にとって、悪夢のような光景だった。
(これを郵送すればいいの……? ██大学の██教授宛に?)
幸子の心の中で、不安と恐怖が渦巻いていた。彼女は震える足で防犯カメラのモニターに近づき、マイクロSDカードを差し込む。深呼吸をして、おそるおそる動画ファイルを再生した。そこに映っていたのは……。
静寂を、幸子の悲鳴が引き裂いた。
新たな日が始まろうとしていた。しかし、かげみ町の闇は、まだ晴れそうにない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます