第2話 町長との対決

 薄暗い霧に包まれたかげみ町役場が、不気味な佇まいで月影澪の前に立ちはだかっていた。早朝の静寂が、建物の周りに漂っている。澪は深呼吸をし、カメラの電源を入れた。


(町の顔である町長。彼が何を語り、何を隠すのか……)


 町役場に近づくにつれ、澪は違和感を覚えた。警備員の姿が見当たらない。


(こんな時間だから……? それとも……)


 澪は首を振り、建物の中へと足を踏み入れた。


 薄暗い廊下を歩く澪の足音が、不気味に反響する。壁に掛けられた歴代町長の写真が、澪の目に留まった。不自然に歪んで見える肖像画に、思わず足を止める。


(錯覚? それにしても気味が悪い……)


 町長室のドアの前で立ち止まった澪は、深呼吸をした。録音機の電源を確認し、おもむろにドアをノックする。


「どうぞ」


 中から聞こえた声に、澪は一瞬たじろいだ。しかし、すぐに気を取り直し、ドアを開けた。


 町長室の内装は豪華だったが、どこか古びた雰囲気が漂っている。机の向こうに座る町長、五十嵐いがらし正志まさしの姿が、澪の目に飛び込んできた。やせ型の体つき、鋭い目つき、そして神経質そうな仕草。その全てが、不思議な威圧感を放っていた。


「こんな早朝に……君はドキュメンタリー作家の月影さんだね」


 五十嵐の声は、予想以上に穏やかだった。


「はい、取材させていただきたいのですが……」

「ああ、もちろん構わないよ」

「ありがとうございます。お時間をいただき申し訳ありません」


 澪は緊張した面持ちで機材をセッティングする。録音を開始すると、町長の表情が一瞬硬くなったように見えた。


「町の再開発計画について教えてください」


 澪の質問に、五十嵐は姿勢を正した。


「我々は観光資源の開発に力を入れています。特に、この町の伝説や怪談は大きな魅力だと考えています」


 町長は熱弁を振るい始めた。


「かげみ町の未来は明るい。噂や迷信に惑わされてはいけません。我々は前を向いて進んでいくのです」


 しかし、澪は町長の言葉と表情のズレに気づいていた。何かを隠しているような、そんな態度が見え隠れする。


「三十年前の失踪事件について、新しい情報はありませんか?」


 澪の質問に、町長の態度が急変した。


「それは不幸な事故だ。もう過去の話だ」


 五十嵐の声が冷たくなる。


「でも、未解決のままでは町民の不安も……」


 澪が追及しようとすると、町長は椅子から立ち上がった。


「君の取材は、町の利益を損なうかもしれないね」


 五十嵐は窓の外を見つめながら、ゆっくりと話し始めた。


「月影さん、君は何も分かっていない」


 振り返った町長の目が、異様に輝いていた。澪は思わず息を呑んだ。


「町長……あなたの目が……」

「この町には、触れてはいけないものがある。先日も言ったはずだ。君のためにも、これ以上深入りしない方がいい」


 五十嵐の声には、警告と脅迫が混ざっていた。


「でも、真実を明らかにするのが私の仕事です」


 澪の声は震えていたが、決意は揺るがなかった。


 町長はため息をつき、机の引き出しに手を伸ばした。緊張が室内に走る。澪の心臓の鼓動が、耳に響くほどだった。


 引き出しから取り出されたのは、一枚の古ぼけた写真だった。


「これを見てもらおう」


 五十嵐は写真を澪に差し出した。それは三十年前の失踪事件の被害者たちの集合写真のようだ。よく見ると子どもたちとは別に、現在の町長とそっくりな顔が写っている。


「これは……」

「そう、私だ。三十年前の」


 澪は混乱した。五十嵐の外見は六十代に見えるが、この写真が本当なら九十歳以上のはずだ。


「どういうことですか?」

「この町には、時間が歪む場所がある。失踪した人々は、時間の狭間に囚われているんだ」


 五十嵐の告白に、澪は言葉を失った。


「私は彼らを救おうとしたが、失敗した。そして、この姿で戻ってきた。それ以来、私は町を守るために……」


 町長の言葉が途切れた。澪は、目の前で明かされる真実に戸惑いを隠せない。


「なぜ、今まで……」

「いや、そんな話、誰も信じないだろう? そして、これ以上犠牲者を出したくなかった」


 五十嵐の目に、悲しみの色が浮かぶ。


「月影さん、君にはこの町を出て行ってほしい。ここにいれば、君も時間に飲み込まれてしまう」


 澪は深く考え込んだ。町長の言葉が真実なら、この取材は危険すぎる。しかし、ドキュメンタリー作家としての使命感が、彼女の心の中で燃え続けていた。


「町長、私にこの真実を伝えてくれてありがとうございます。でも、だからこそ、この事実を世に知らせる必要があります」


 澪の決意に、五十嵐は複雑な表情を浮かべた。


「君の勇気は買うが、それでも危険すぎる。この町の秘密は、簡単には明かせないんだ」


 町長は窓の外を指さした。霧が濃くなり、町の輪郭が見えなくなっていた。


「見てごらん。霧が濃くなってきた。これは、時間の歪みが強まっている証拠だ」


 澪は窓に近づき、外の様子を観察した。確かに、霧の向こうに何か異質なものが見える気がした。


「あと四十八時間……いや、もっと短いかもしれない」


 五十嵐の言葉に、澪は振り返った。


「どういうことですか?」


「君がこの町に入ってきて・・・・・から、時間の歪みが加速している。このままでは、町全体が時間の狭間に飲み込まれてしまうかもしれない」


 澪は愕然とした。自分の存在が、町の危機を招いているというのか。


「私に、何かできることは……」

「ある。だが、それは君の人生を変えてしまうほどの選択になる」


 五十嵐は澪をじっと見つめた。


「時間を戻すんだ。三十年前に」


 澪は息を呑んだ。それは、彼女の想像を超える提案だった。


「でも、そんなことが……」

「可能だ。しかし、戻れる保証はない。君は、この町と共に消えてしまうかもしれない」


 澪は窓の外を見た。霧の中に、かすかに人影が見える。失踪した人々だろうか。それとも、これから失踪する人々の姿なのか。


「決断をするんだ、月影さん。この町を救うか、それとも真実を追い求めるか」


 五十嵐の声が、遠くから聞こえてくるように感じた。澪の頭の中で、様々な思いが交錯する。


 真実を追い求めるドキュメンタリー作家としての使命。町を救いたいという正義感。そして、未知なる体験への好奇心。


 澪は深く息を吸い込み、ゆっくりと町長に向き直る。


「私は……」


 その瞬間、部屋の灯りが激しく明滅した。窓の外では、霧が渦を巻き始めている。


 時間の歪みが、極限に達する。


 月影澪の選択が、かげみ町の運命を、そして彼女自身の未来を決定づけようとしていた。

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