第4話
成田さんは間違いなく自殺であった。
マンションの1室である彼女の自宅には鍵がかかっていたし、争ったような形跡もなかった。付近の住民から不審な人物の報告もなかった。
彼女自体は浴槽の中で水に浮かぶように死んでいたという。
彼女の死体はすでに腐敗しており、首には何度もかきむしったような跡があった。
浴槽の中には死ぬ直前まで握られていたであろう黒猫のような化け物の形をしたストラップがあったらしい。
スマホについていたものと思われるものの、その紐自体は根本から引きちぎられていたようだった。
浴槽の周りには死ぬ準備のためと思われる道具が散乱していた。
というのも死亡理由が首吊りというのは実は正確なところではない。
実際には自重で首が絞まるように紐を頑丈なものに縛り付けたうえで、ガムテープで内側から隙間に目張りをし練炭を焚き、洗剤を混ぜることによる塩素ガスを発生させ、腕にはリストカットによる大量出血の跡があった。また、常人の適量をはるかに超える睡眠薬と度数の高い酒類などのアルコールを大量に摂取していた。
それらが複合的に影響し、何が原因で死んだとしてもおかしくはない状況だった。
徹底的だった。それこそ失敗をしないように万全を尽くしたうえでの結果だった。
最初聞いたとき、「僕」は思わず内心で突っ込んでしまったほどだ。
でも、彼女の恐ろしいのはこの先だった。
曰く、彼女の母親は普段酒類を飲まない人らしい。
なので必然家には酒類がなく、また成田さん自身も表面上は隠れて酒を飲むようなタイプではなかった。
なのになぜ酒があったのか。
成田さんは夏休みが始まる直前、母に大量に酒を買ってきてもらっていたという。
なんでも、「夏休みの課題として研究発表が出された。私は酒の種類や歴史について調べたい」と。
実際はそんな課題なんてものは存在せず、この自殺のために用意してもらったと考えるのが自然だった。
ご丁寧に図書館で酒の種類や成分についての本を借りてきた形跡があり、机にはほとんどできかけのレポートまであったらしい。
他のものはお小遣いをためて学生でも買おうと思えば買えるものの、酒類に関しての用意だけは完全に計画づくのものであったのだ。
ではここまで用意周到な自殺を行うに至ったのは一体なぜだったのか。
…わからなかったのだ。
彼女がここまで徹底した自殺を行うほどの動機は、彼女を苦しませていたと思われる原因は、全くわからなかったのだ。
彼女は成績は平均以上であり、特に勉強に苦慮しているというわけではなさそうだった。
それは、同席した吉田先生が同意してくれた。
夏休みの宿題も先ほどの「存在しない課題」を含め、まだ始まって1週間ほどしか経っていないのにほぼ終わっていたのだ。
では、彼女がいじめられていたという可能性はないか。
この線も相当に薄そうだった。
1学期だけの様子でも彼女が誰かと対立していたという様子はないし、そういった噂話もとんと聞くことはなかった。
高校入学時から部活には入っていなかったため、部活内の人間関係というのもあり得なかった。
隠れてアルバイトをしていたという話もなかったし、クラスの女子からそのような話をされた際は成田さんは確かに否定していた。
少なくとも表面的にはどんな生徒にも分け隔てなく、友好的な人間。
それが成田さんだった。
では、家族の生活はどうだったのか。
彼女の父親は幼いころに事故で亡くなり、母親と二人暮らしだったという。
決して裕福とは言えなさそうではあったものの、それでも近隣から争っているというような声は聞こえず、週末も二人で仲睦まじく買い物に行く様子がたびたび目撃されていたという。
恋愛などのトラブルはないか。
これも先ほどと同じでそうした噂などは聞かなかった。
何しろ「僕」の住む町はどちらかと言えば小さな町だ。
そういった意味では彼女が誰かと一緒にいたということはなかったし、夜遊び歩いているという姿も一度として見られたことはなかった。
吉田先生も、”成田は嫌なことははっきり言う
どうやらストーカー被害なども考えるのは難しそうだった。
補足すると、彼女がこの辺りの産婦人科での目撃証言はなかったり、自宅近くの薬局で頻繁に見かけられていないということも聞き込みですでに裏が取れていたらしい。
インターネット上でのやり取りはなかったのか。
彼女の部屋の机にはストラップを引きちぎられたスマホが無造作に乗っていた。
ロックはかかっていなかったらしい。それが意図して解除されたものなのかということはわからなかった。
彼女のスマホは地図アプリやメッセージアプリといった最低限のものしか入っていなく、各種SNSなどのアプリは見当たらなかった。
これも事前にアプリやアカウント、関連したEメールを削除してしまっていたのならもう特定するすべはないも同然だった。
トークアプリで「僕」に送られてきたメッセージも結局そのあと誰に送られることもなくそのまま終わってしまったため結局彼女が誰に、何を伝えたかったのかはそのスマホからは読み取ることはできなかった。
そして、今まで忘れられていたように最後に付け加えられたが、遺書の類もまるっきりなかったらしい。
時間はすでに1時間近く経っていた。
あれだけ言葉を尽くしてもらったにもかかわらず彼女の人物像が一向に見えないため、僕はさらに混乱していた。
上田さんも「その様子じゃ、やっぱり改めてわかったこともなさそうだね」と寂しそうに笑ってきた。
今気づいたが、上田さんの目の下にははっきりわかる隈があった。
恐らく彼自身も長い調査を経て、何も得られないことにやつれ果てているのだろう。
「…ええ、お力になれずごめんなさい」
「いや、いいんですよ…そうだ、もう遅いし、送っていきますよ」
「…いいえ、ちょっと考え事をしたい気分ですので結構です……」
ありがとうございました、と礼を言い、帰り支度を始める。
それでも、少し、一人きりになる時間が欲しかった。
そうして進路指導室を出ようとしたとき、吉田先生がふと声をかけてきた。
「なあ、佐藤。お前、死にたいと思ったことはあるか?…いや、ちょっと語弊があるかな。死ぬことしか考えられなくなるくらい悩んだりしたことはあるか?」
一瞬息ができなくなった。
出口に向けて進んでいたため背を向けていた吉田先生の方へ再び向き直る。
「いえ……………そんなことはないですよ?」
自分がうまく表情を作れていないというのは誰の目にも明らかだっただろう。
しかし、吉田先生はそれを察してか知らずか「そうか、悪い、変なことを聞いた」と端的に済ませてくれた。
改めて別れの挨拶を済ませ、部屋を出ていく。
進路指導室を出てからも胸の動悸は止まなかった。
動きもぎこちない。まるで歩き方を教えられてないロボットの様だ。
玄関で靴を替え、自宅方面に向かうバス停へとゆっくり歩いていく。
まだ日は落ち切っていないのにヒグラシの声は聞こえなくなっていた。
いや、あるいは周りの音が
吉田先生には一つ嘘をついてしまった。
その理由はなぜだかわからない。でも、なぜだかそうしなければならない気がした。
僕は……中学時代の日々で、いつも死にたいくらい悩んでいたんだ。
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