赤信号と蜃気楼

アッキー08

第1話

物心ついてからの一番古く印象深い記憶は祖父の葬式だった。


大勢の黒い服を着た人が集まり、静かで厳かなお経の声が響いていた。

時に厳しく、時に優しかった祖父はそこに確かに横たえらえれていた。

父に抱きかかえられもう二度と動かない冷たい祖父の顔を撫でたとき。

祖父の体から何か光のようなものが天に上ったように幻視した。


おそらくその時からだろう。

僕が‘’死‘’に魅入られるようになったのは。


ふと包丁を手に持ってみた。

母親に慌てた様子で取り上げられた。

まだ幼稚園の頃だった。


小学校の4階の窓から身を乗り出してみた。

高さが心もとないためそのまま身を引いた。

小学生低学年の頃だった。


死ぬことについて書かれた本を片っ端から図書館で借りて読み漁った。

結局肝心なことはわからず失意に暮れる日々だった。

小学校高学年の頃だった。


そして…

…………………

………………………………………………………………………………………………………………


僕は高校生になった。


************


彼女と初めて会ったのは通学路だった。

バス停へと向かう帰路の途中、彼女は僕の少し前を歩いていた。

彼女の鞄からスマートフォンが地面へと転がった。

青色のケースに包まれていて、変なストラップがついていたのを覚えている。

それはおそらく黒猫だったのだろう。しかし、しっぽが胴体と同じくらい太くて大きく口が耳元まで裂けているそれは猫というよりデフォルメした化け物じみた物だった。

数歩遅れて歩いていた僕は彼女が気づくより先にそれを拾ってあげた。


「すいません、これ、落としましたよ」


振り向いた彼女に対し、少し息をのむ。


「あ、ありがとうございます」


別に大きな特徴もない、目立たない部類の女子だった。

しいて言えば、その落ち着いた雰囲気が見た目以上に大人びて見せることだろう。


しかし、僕が惹かれたのは彼女の眼だった。


彼女の視線は僕に向いていた。しかし、その瞳にはここではないどこか遠くを映しているようだった。

それは、まるではるか遠い遠い先を……


「あのー、…返していただけませんか?」


「…あ、ああ、ごめんなさい」


一瞬呆けてしまったようだ。

そそくさとスマホを渡す。

彼女はペコリと会釈をしてバス停へと歩いて行った。

僕は、胸に残る奇妙な感覚にとらわれ、しばらく立ち尽くしていた。


まだ、高校一年生の春だった。


************


「おい、佐藤、聞いているのかよ」


「え、ご、ごめん、聞いていなかった」


同級生の近藤が声をかけてきた。

クラスのお調子者で、でも憎めないやつだ。入学当初から出席番号順で席が近いため何度か絡まれるうちに気に入られてしまったのだ。

今は夏休みを明日に控えた日の休み時間、クラスの大半が教室で雑談に興じている。


「おいおい、俺がこの夏休みでどんなチャレンジをしようとしていたのか、それをまた一から説明しないといけないってかぁ?」


「いや、ごめん、それはもういいよ」


「まったく…そういう佐藤はどうなんだよ?誰か女子でも誘って遊びにでも行かないのか?」


「じょ、女子?誘うって…」


無意識に一瞬ある一点に視線を巡らせる。

しまったと思ったときには近藤はニヤリと笑みを浮かべていた。

心なしか一瞬目の奥がキラリと光った…気がする。


「ほうほう、成田さんですか。なるほどね」


ギクリとしたものの、これもまた失敗だった。


一瞬向いた方向にはまだ女子が何人もいたため特定できるわけがない。

つまり今のはブラフだったのだ。

その証拠に近藤は確信したように「やっぱりね」と呟いた。

ちくしょう、普段勉強出来ないくせにこういうときだけ頭フル回転させやがって。


「成田さんねぇ。佐藤はそういう子がタイプだったんだな」


観念してため息をつく。

再び向いた視線の先、そこにはかつてスマホを拾ってあげた女子がいた。

彼女は本を読みつつも、時折他の女子に話しかけられては朗らかに対応していた。


そう、彼女とは高校2年に進級した時に同じクラスになったのだ。


スマホを拾ってからというものの、廊下で何度かすれ違う機会があり彼女が同じ学年だということに気づいて少し驚いたものだ。

もっとも、あれから彼女の方は忘れてしまったのか特に接点を持つことがなかった。しかし僕の方は彼女のことが気になってしまい、廊下ですれ違うたびについ視線を向けてしまっていた。

そうした挙動が近藤にはお見通しだったのだろう。

そういう意味ではさっきのブラフもまるっきり当てずっぽうというわけではなさそうだ。

そして高校2年進級時、彼女と同じクラスになった時は思わずほっとしてしまったんだ。

まぁ、近藤もまた同じクラスだと分かった時は内心複雑だったが。


「んで、どうよ?再来週あたり近くで花火大会やるらしいじゃん。誘ってみたら?」


「無理だよ…特に親しいわけでもないんだし」


そう、彼女と同じクラスになったとて僕はアクションを起こす勇気もなく、また何か親密になるようなイベントがあるわけでもなかった。

クラスメイト。

それが僕と成田さんとの関係だった。

かーっと近藤は焦れったそうに頭を掻きむしった。


「そんなんでどうすんだよ!人生1度きりの高校2年生の夏休みだぞ!来年は受験勉強も始まるしアタックかけるなら今しかないって!」


夏休み自体は何度もあるだろと内心で突っ込みを入れつつも、確かになと思いこむ。

ここで行動しなければもうチャンスは来ない、漠然とした不安が心の中に渦巻いていた。

しかしながらとふと考える。

僕の成田さんに対する形容しがたいこの想いとは…

そこまで考えたとき、予鈴のチャイムが鳴り担任の吉田先生が気だるげな様子で入ってきた。

夏休み中の注意事項について改めて説明され、それに対し近藤が茶々を入れ、クラスがどっと沸く。

笑い声の中成田さんをチラと見やると成田さんもみんなに交じって朗らかに笑っていた。


そう、確かに笑っていたのだ。

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