いつかの錬成術師

3to

1.プロローグ

 見渡す限り木々、いや、大樹と呼ばれる巨樹群が広範囲に広がる大森林で青年は生活を営んでいる。たった一人で。


 そんな青年の専らの問題はなんなのか?


 それは、朝はどうやって起こされる事が一番至福なのか? という事だ。

 

 蜜のような甘い囀りを耳元で囁かれ、起き上がると心臓が高鳴るほどの美女が目の前で笑っている。そんな状況であれば朝から全てにおいて力が漲る。それか、『一緒に寝ようよ』と交渉して共に夢の中に戻って行くのも中々に夢のある話だ。


 だが、そんな事はあるはずがない。

 そう決め込んでいるが故に青年の夢はもちろん叶うはずがなく今日もゆっくりと起き上がりに背伸びをする。


「ふぁぁぁあっ。おはよ〜」


 誰に言った言葉でもない。

 朝起きたら言わなければいけない言葉として染み付いているだけだ。

 以前は朝の挨拶を交わす人がいた。もういなくなって5年にもなる。

 一人となった事で挨拶をするという習慣は意味がなくなり過去の物となると思われた。その習慣を忘れようとしないのはここにもう一人いたのだと自分に言い聞かせる為の口実だ。

 当然、虚しい朝の挨拶は一方通行で消えてなくなる。すぐに半袖シャツにズボンといつもの服に着替えて何でもいいから腹の足しになるものを口に入れる。


「今日は何すっかなぁ〜」


 栄養は考えずに以前加工しておいた干した大魔熊ドモルトベアの肉を口に投げ込み、昨日寝るまで読み耽っていた途中の本を床から取ってまた続きを読む。


「あっそうだ。弓矢の矢尻がそろそろなくなりそうだったんだ。補充でもしに行くか」


 読書の最中に狩猟用に使う弓矢の予備の矢尻がなくなりかけている事を思い出して今日の暇つぶしが決まった。


 すぐに準備を始める。

 とはいえ準備する物は肩掛けの鞄と剥ぎ取り用の短剣だけであとは青年の気持ち次第。


「よし、出発だ」


 青年は干し肉を食べ終わり肩掛け鞄を肩に掛け家を出ると巨樹群の中に足を踏み入れた。


◇◆◇


 大森林の巨樹群は普通の木々とは明らかに違う。

 幹や根が何倍も太く、吸い上げる栄養が桁違いに多い為に成長速度が速い。異常な成長速度のおかげで聳え立つ巨樹群は太陽の光を木漏れ日程度しか地面に降り注がないようにしている。その為、ここ一体は湿地帯と呼べる程に常時地面が湿っているか、浅い水が断続的に覆われて乾く事のない土壌の状態が続いている。


 大森林の湿地帯を彷徨いながらお目当ての魔物を探す。もう幾度となく狩猟して食糧に変えてきた相手であり生息域はおおまかに把握している。湿地帯を好み巨樹から生えてくるキノコを食べにきた動物を餌として食べる大魔熊ドモルトベアが暇つぶしの相手になる。


「おっ、いたいた」


 家から少し離れた湿地帯。暇つぶしの相手を見つけた。

 把握している生息域通りに遭遇すると気配で気づかれないように近づく。

 大魔熊と普通の熊の最大の違いは上半身にある。

 体の上半身、特に上腕の筋肉が発達して通常の熊より遥かに筋肉が盛り上がる。それに加えて両手から生える異常に長い爪が目の前の魔物は大魔熊だと教えてくれる。

 

 ではどうやって狩猟するのか?


 長い爪は刺突で急所を一突にできるし、異常に発達した上腕を振るい斧のように切り裂いても使えるという汎用性を持っている。人間が近接で戦うには不利である。

 

 青年は大魔熊の場所を見通せる巨樹の枝に登り、位置を確認し見下ろして【錬成】を行う。

 

 錬成とは、世界に存在する《有》に魔力を通して錬成者の意図する形へ変化させる事象。

 これは、いなくなったもう一人が残した言葉だ。


 青年が片手を前にかざして待つ。

 大魔熊は巨樹の根の上をゆっくりと歩く。


「よしよし、いいぞ……。今だっ!!」


 大魔熊が巨樹から離れて湿地帯の地面に四足をつけて歩いた瞬間を狙う。一気に流し込まれた魔力により錬成陣の展開から発現、行使までを極端に短縮する。


 大魔熊の目には錬成陣らしき物が一瞬現れてちょっと光った程度にしか見えなかっただろう。


 ボコォッ!!

 大穴が大魔熊の真下に突如として現れる。すぐに重量を感じる大魔熊の体躯は落下し始めるが反射的に上腕を広げて落下を阻止する。


「よしっ、今だ」

 

 青年は巨樹の上から大魔熊に向けて飛び降りる。手には腰から抜き出した剥ぎ取り用の短剣を握る。


 『グサッ』という音ではなく『ガリッ』という切削音が大魔熊の左爪から聞こえる。


『グォォォォーー!!』


 青年が振り下ろした短剣は大魔熊の左手の親指を除いた四指の爪を削り切った。爪を削られたダメージは大魔熊にはない。大魔熊が叫んだのは切削された爪を見て痛いと思ってしまったから。


「よし、撤収っ」


 落下する体躯を上腕で支えたままの大魔熊は、爪を切り取った青年に牙を剥き出しにして怒り狂うが青年にはただの道化にしか見えず淡々と切り取った爪を集めて戦場を後にした。


 青年が大魔熊にトドメを刺さなかったのは必要以上に狩猟をしたくなかったから、という理由だ。

 現状でいえば、大魔熊の干し肉やトリニティ・モス三種の魔物の肉、食用の種や草木が食糧庫には確保できている。狩猟をしても保存しておく場所もなく不要な殺生となる事は明白だ。

 それに、大魔熊の爪だけを削り取ればその個体が生きている限り爪を取り放題という事になり、わざわざ殺すよりも長い期間素材を採取できる。


 もう一つは、青年の短剣の技術の向上の為だ。

 先程の大魔熊を狩猟する場合、心臓や頭を潰せば死に絶える。大魔熊の体格もあって心臓や頭は大きく、多少狙いから逸れても急所にはあたるのだ。

 それでは、致命傷を与える箇所が小さい場合は苦戦を強いられる。武器を扱う上で技術の向上は自分の命を護る事に繋がると認識しているから狩猟でも部位破壊に留まる時も多々ある。


 本日の暇つぶしが終わり家に帰宅する。

 家の周りは大森林とは思えない陽の光が降り注ぎ湿地帯とは思えない乾燥した草地が青年を出迎える。


 意気揚々と家の扉を開けて中に入ると青年は必ずしなければならない儀式がある。


「このクソ親父がぁーーっ!!」


 家の扉を開けたすぐ左側に置いてある円柱の塊に向けて渾身の一撃をお見舞いする事だ。

 大森林の中でも巨獣に分類される大蛇グランペントの死骸の中から剥ぎ取った胃袋に砂を詰めた物。

そこにいなくなった親父一人が置いていった手紙を貼り付けてある。


『旅に出る。あとはよろしく』


 無責任と言える置き手紙をしてどこかに旅立った青年の親父。一応父親と呼べる存在の手紙に力を込めて拳を打ちつける。


 はぁ? ふざけるな。


 そんな気持ちを拳にのせて。


◇◆◇


 ザーーーーっ。

 

「雨かぁ〜」


 上を見れば生い茂る葉が空を隠して天候を確認する事に苦戦する。大森林内において、ポッカリと空いた巨樹群の割れ目から曇天という空模様を確認できる青年の家は立地が最高に良いといえる。そんな好条件の家の窓から空を見上げて溜息を吐く。

 

 雨の日はやる事がない。これに尽きる。

 雨の日には、剥ぎ取った魔物の皮を舐めしたり、肉を保存用に干し肉にしたりと家の中でする仕事はある。だが、雨が7日間も続くと仕事がなくなり暇を持て余す。


 家の一室には『書庫』と呼ばれた部屋がある。

 青年が溜息を吐いて空を見上げる部屋、親父は《リビング》と呼んでいた部屋の奥に書庫は作られている。

 壁一面に専門書や歴史書、自叙伝、手記が並べられ、本で占拠された部屋から青年は1冊の本を持ってきてリビングで読む。


 ペラ、ペラ。


 持ってきた本を読み進めて頁を捲る。

 文字は親父に教わって読み書きはできる。だからこそ、持ってきてしまった分厚い本を読み進める目の速度が遅くなる。

 もう文字だけ流し読みして本を読んだ事にしてまおうかな。

 そんな目線をしている。

 青年自身、そんなに本の虫ではない。

 どちらかといえば大森林で魔物達と戯れていた方が楽しい。そう思いながらも本を読んでいるのは丁度いい塩梅に青年の興味をくすぐってくるからだ。


 読んでいる本のタイトルは『錬成ノススメ』。

 錬成とは何なのか、から始まり犯してはならない禁忌が丁寧に書き記してある。

 少し読み進めては飽きて目印を本に挟んで閉じる。

 そして、興味が湧いてきたら読み進める、の繰り返し。


 パタンッと本を閉じて目印を入れた箇所を見て読んだ量を確認する。まだ、読んでいない部分の頁が読破の何倍もある。


「先は長いなぁ〜」


 青年は苦い顔をして本を見つめる。

 今日はもう読まないだろう。目が疲れたし、理解するのに時間かかるし。

 そう考えていそうな顔をしてリビングのテーブルへ雑に投げて置いた直後。


『ウオォォォォーーン!!』


 大森林から獣の遠吠えが聞こえてくる。珍しい獣の遠吠えに本への興味は完全に失い、また窓の外を見る。


魔狼グラ・リルは雨の日は活動しないはず……。活動するとすればよっぽどいい獲物に出会った時くらいか」


 『よっぽどいい獲物』という言葉に興味を惹かれるが外は雨粒が落ちている。雨に濡れたくはないがどんな物なのか気になる。興味と面倒くさいの間に板挟みだ。


 雨が降ってなければ颯爽と観察に行っていた。

 大雨なら魔狼の頑張りを家の中から応援していた。


 なら今の状況では?

 雨が降り続いて体を動かせない日々が続いていたからだろう。青年は悩みながらも外へ行く為に大魔熊の皮を舐めして作った雨除けを頭から被る。


 扉を開けて行くか行かないのか最終決定をする。

 土砂降りであればやめよう。

 それ以外なら行こう。そう決めて。


 パラパラパラ。


「よしっ!! 行くかっ!」


 青年はパラつく雨を気にしながら遠吠えが聞こえた場所に向かった。



 魔狼グラ・リルは単独行動はあまりせず複数体での集団行動を主に行う。

 獲物を見つければ狩猟をする魔狼を配置して、その後方では獲物が逃げないように睨みを効かせ、一番外にいる魔狼は増援や異変を伝える役目を担っている。

 しっかりした役割分担に統率が取れている魔狼という魔物は単体こそ倒す事は容易だが集まれば集まるほど討伐するには厄介で凶暴性をもった魔物に変貌する。


 だからこそ、それを理解している青年は途中で大魔熊の雨除けを脱ぎ捨てていた。

 強者弱者の関係でいえば大魔熊の方が強者であり魔狼は弱者だと大森林内では位置づけられる。

 その為、青年がそのまま大魔熊を着たまま向かうと雨除けに残った匂いや見た目で勘づかれて魔狼の次の行動が予測できなくなる事を回避する為だ。


「やっぱり家にいればよかった」


 後悔の声を呟いて遠吠えが聞こえた場所に向かう。

 そこには、5匹の魔狼に囲まれた一人の女性らしき姿があった。


 


「来ないでっ!」


 女性は自分の周りをウロウロする魔狼に両刃の長剣ロングソードを振り回す。

 剣士が持つロングソードは重量があり切れ味ももちろんあるがそれに加えて重量でぶった斬るという付加もある。剣士が持つロングソードをか弱い女性が持つには難しく、それを振るおうとすればとてもではないがロングソードの特徴を活かせる事はない。


 それを理解しているのか魔狼はすぐに襲う事はなく、ウロウロしては近づいて手や脚に甘噛みを繰り返し弄びながら女性の体力が消耗する事を待っている。


「調子にのらないでっ!」


 怒りを見せて女性はロングソードを手放し腰に付けてあった小枝のように見える道具を握る。女性が集中すると小枝の先端に幾何学模様の陣が浮かび上がり、徐々に炎を纏っていく。

 陣の全てに炎を纏うと女性は力強く口を開いた。


《フレイル・サークル》


 魔法名らしき言葉を詠唱後、女性の周りから渦状に炎が噴き上げる。炎は女性を護るようにグルグルと渦を巻いている。

 魔力に依存しているのなら女性の魔力が枯れるまで炎は消える事はない。その間に魔狼が諦めてどこかへいってくれる事を願って最後の手段で魔法を使った。


 未だ消えることのない炎の渦の中で女性は跪き息を切らす。絶望と疲弊で体が強張り動けないでいるが瞳だけは生きる希望を捨てずにいる。


 サーーー。


 炎の渦が消えていく。

 彼女の魔力が尽きたのだ。


 徐々に消えていく炎の渦に固唾を飲んで目を向ける。


「嘘っ……」


 消えていく炎の渦と共に魔狼の白い鬣と紫の毛が見えてくる。

 見えた魔狼は1匹。

 あと4匹の魔狼の行方はわからない。


 炎の渦で死んでしまった? そう願いたい。


 それでも女性には目の前いる魔狼に抗う術はない。諦めたように手を地面に落とし顔も下へ向け目を閉じる。死ぬ瞬間は見たくない、そうともとれる態度で死を待つ。


「おいっ、そこから離れろっ」

「誰っ!?」


 女性の真上。

 ちょうど巨樹から聞こえてきた声に驚きを隠せない女性は上を見上げる。そこには地面に落下してくる一人の青年。


「動けるか?」

「え、えぇ」

「じゃあ、逃げるぞ」


 着地し終えると青年は肩掛け鞄から大魔熊の胃袋から作った水筒を取り出して魔狼に投げる。

 そして、水筒に向けて弓矢を射った。

 水筒に当たり破裂すると辺りには強烈な臭いが広がり水筒の中の液体を浴びた魔狼は地面に伏して悶えている。

 

「今だ、行くぞ」

「ま、待って。まだあそこに人がいるの」


 女性が指を刺した先には確かに人が倒れている。

 

「ダメだっ」

「何故ですっ!?」

「もう死んでる……」


 倒れている人は脇腹や腕、頭、脚等を魔狼に噛みちぎられてすぐに見ても絶命しているとわかる。


「それに、今ここに魔狼がいなくても周りには警戒している魔狼がいるんだっ! 今、逃げないのならオレはもうお前を助けに行けない。それでもいいのかっ?」


 青年の怒号にも似た説明の後、すぐに返答を迫られた女性はすぐに短く頭を縦に振ると青年に手を引かれて魔狼の群れから脱出していった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る