無気力社畜、異世界転職フェアに放り込まれてみた!(3)

 会場の片隅に、やけにやわらかな光が集まっているブースがあった。

 看板には「妖精・小型種向けキャリア相談/作業環境と労働法の基礎」とある。机の上には、親指ほどのサイズの安全靴(?)や、極小の防塵マスク(??)が並んでいる。俺は思わず二度見した。


「うわ、かわ……じゃなくて、実用だな」

「中村殿、油断するな。かわいい装備ほど守備力が高いことがある」


 ライナの言う“RPG理論”は半分冗談だが、半分は真理だ。

 スタッフの肩口から、鈴のような声がのぞく。


「きゃ、はじめまして! 来場者の方?」

 手のひらサイズの妖精が、ぱっと現れた。薄い翅が光をはね返し、髪は綿毛みたいにふわりと浮く。名札には「ピリカ(小妖精)/希望職種:花屋・庭園・装飾」とある。


「花が好き。朝の香り、昼の色、夕方の影。ずっとそばにいたいの。……でも、ここに来たら“現実を知ろう”って言われちゃって」


 最後の声が少しだけ萎んだ。

 ブースのカウンセラー(人間)が丁寧に頷く。


「“好き”と“働く”の間には、必ず“安全”が入ります。ピリカさんの場合、花屋さんなら──花粉・農薬・土埃・冷蔵保管の低温・搬入時の挟まれ事故。小型種はリスクが人間より大きくなるので、最初に“環境”を整えましょう」


「環境……?」

「例えば、防塵。これです」


 スタッフが指先でつまむのは、糸くずみたいに小さなマスク。

 ピリカが装着してみると、声が少しくぐもる。


「息、できる……けど、香りが遠くなる」


「だから“防塵あり業務”と“香りを見る業務”を時間で分ける。『においの官能評価は15分ごとに休憩』『花粉飛散が多い日はバックヤード作業に切り替え』。休憩は“権利”です」


 産業医セミナーで聞いた言葉が、ここでも出てきた。

 権利。義務じゃなく、権利。


 ヴァルが口を開く。


「小型種の“作業姿勢”はどうする。人間の作業台は彼女には“脚立の頂”だ」


「足場は“作業者のサイズに合わせるのが原則”。固定式のミニ台と落下防止の柵。それから“吸引の危険がある機器”──掃除機や送風機にはフェンス。羽の巻き込み防止のために、翅カバーも」


 カウンセラーは極小の透明フィルムを見せた。ピリカが羽に触れ、首をかしげる。


「重くはないけど、音が変わる。ぶーん、が、ふーん、になる」


「その“音の変化”に慣れる時間も“教育時間”として扱いましょう。教育は賃金が発生します」


 ピリカの目がぱっと開く。

 妖精の瞳に、“現実”が一つ灯ったみたいだった。


 試しに、とピリカは花屋の模擬什器で小さなブーケを束ねた。人間の指ではつまみにくい細いワイヤを、彼女は空中で軽々とくるくると回して結ぶ。

 ……見事だ。

 だが、空調の風がふわりと吹いた瞬間、ブーケごと彼女が流されかけた。


「きゃっ」


 俺は反射的に手を出し、空気のカーテンを作る。ライナがさっと横風を切る。ヴァルは送風口のルーバー角度を変えた。


「風、敵。けど、味方にもなる。……私、風を見る訓練、してない」


 カウンセラーが頷く。


「“風洞テスト”まではいかなくても、空調や搬入口の位置、風の経路を図に落として“安全地帯”を覚えよう。マニュアルは絵で。小型種への指示は“音量控えめ、ジェスチャー多め”。騒音は翅に響くからね」


 現実が、また一つ増える。

 ピリカの肩が、でも、不思議と落ちない。

 彼女は現実に押し潰されるのではなく、現実を拾って小さなポケットに入れていくみたいだった。


     ◇


「もう一つ、相談があるの」

 ピリカは、胸元から薄い葉っぱを取り出した。そこには子どもの字でこう書かれている。


『ようせいさん、うちの幼稚園にきてください。おはなししてほしい。さみしいときに』


 ライナがほわっと笑う。

「良い依頼だな。……だが、中村殿、これは“可愛い”で押してはいけない案件だ」


「うん。子どもの場は“安全と衛生”が最優先」


 ヴァルが順番に指を折る。


「入室前の手指衛生。翅の表面清拭。感染症流行期の入室制限。写真撮影の同意。個人情報の取り扱い。滞在時間は子どもの集中力に合わせ、過剰刺激を避ける。報酬は“無償の善意”ではなく“有償の業務委託”で、保険の適用先を明確に」


 ピリカは真剣に頷いた。

「わかった。善意は大事。けど、善意を守る仕組みも大事」


「そう。だから──ここ」


 カウンセラーが示したのは「博物館・科学館・公共施設の“ミニチュア修復・展示内清掃”」の求人票だった。

 ガラスケース内は無風で、粉塵管理もしやすい。

 小型種が“届く場所”が、ここにはある。


「わぁ……ジオラマ、好き」

 ピリカの目が星みたいに瞬く。


「ただし、密閉空間作業は酸素濃度と溶剤に注意。SDS(安全データシート)に従う。換気タイミングは人間側が管理。小型用の“退避合図”も作る」


「退避合図?」

「これ」


 カウンセラーは橙の小さな反射プレートを掲げる。

 “光三回で退避”。

 単純だが、揺るぎない。


「あと、履歴書。小型種はATS(機械読み取り)で弾かれないよう、ファイル名は“ピリカ_小妖精_官能評価15分×4_展示清掃経験.pdf”。“頑張った”ではなく“名詞×数字”。」


 俺は思わず笑ってしまう。

 ライナもくすぐったそうに目を細める。


「数字は盾。交渉で心を守る」

 ヴァルの口癖を、ピリカが小さく復唱した。


     ◇


 模擬面接。

 椅子の背に小さな台が設けられ、ピリカがちょこんと座る。面接官はマスク越しのやさしい声で切り出した。


「志望動機を教えてください」


「私、花が好き。けど、花粉で咳が出る子のことも好き。だから、“香りを測る時間”と“防ぐ時間”を分けて、誰かの“好き”を守る手伝いをしたい」


「具体的に、どんな手伝い?」


「ガラスケースの中を掃除する。展示の小さな埃を取る。香りのサンプルは十五分見て、十五分休む。光が三回点いたら退避。翅カバーは、ふーん、って鳴るけど、慣れた」


 面接官が目尻を下げる。


「弱みは?」


「光に、寄っていっちゃう。綺麗だと、近づく。……でも、“手順に戻る”って唱えると戻れる。うれしくても、手順に戻る」


 リオルのときと同じ合言葉が出てきて、俺は胸が少し熱くなった。

 “手順に戻る”。

 今日は何度、この呪文に助けられているだろう。


「最後に、働く上で大事にしたいことを」


「“可愛い”を、仕事の盾にしないこと。可愛いから許される、じゃなくて。可愛いを、誰かの元気に変える。……そのために、現実を知る」


 面接官は、はっきりとうなずいた。

「合格。二次で“安全教育”と“香りの官能評価の練習”に進んでください。あなたの“好き”は、そのままでいい。現実は、あなたを小さくしない。あなたの“手順”を大きくするだけ」


 ピリカは、胸の前で小さく手を合わせた。

「ありがとう。……現実、好きになれそう」


     ◇


 ブースを出ると、会場の照明が夕方色に溶け始めていた。

 人混みの上、吊りバナーがゆっくり揺れる。

 ピリカが俺の肩にとまり、こそっと囁く。


「人間の世界、むずかしいね。けど、約束がある。約束があると、怖くない」


「約束(ルール)が、守ってくれる」

 ヴァルが言葉を継ぐ。

「そして、約束に“自分の声”を乗せるのが仕事だ」


「声、ちいさいけど、届くかな」


「届く。届かせる。数字と手順と、物語で」


 ライナが笑って拳を握る。

「よし、次は“休憩の権利”セミナーの最終回だ。ピリカも来るか?」


「行く。休憩、きちんと学ぶ。休むのは、仕事」


 俺は目を閉じ、吸い込むように息をした。

 このフェアで、誰もが“現実”を少しずつ拾っていく。

 ドラゴンは火の扱い方を、勇者は言葉の剣を、参謀は理の盾を。

 そして妖精は――“可愛い”を免罪符にせず、“現実”を味方にする術を。


 会場出口の手前、ノベルティの島で“妖精サイズ反射バンド”が配られていた。

 ピリカがそれを腕に巻く。

 ちいさな布が、光を三度、やさしく返した。


「退避、合図。ふふ。……ねえ、中村」


「ん?」


「私、いつか、花屋さんで働く。だけど、最初は博物館で修行する。数字を集めて、手順を覚えて。それで、花に戻る。──夢、折らないで、曲げる」


 その言い回しが妙に胸に刺さって、俺はただ頷いた。

 夢を折らないために、現実で折り目をつける。

 その折り目は、いつか栞になって、正しいページをすぐ開かせてくれるはずだ。


 フェアの出口で係員が頭を下げる。

「本日のご縁が、あなたの明日を軽くしますように」


 ライトの反射が、ピリカの腕のバンドに跳ねた。

 俺たちは小さな光を連れて、夕暮れの新宿へ歩き出す。

 現実は冷たくて、でも、悪くない。

 だって今、掌に、はっきり温度がある。

 “手順に戻る”。

 そう心の中で唱えながら、俺は人混みの速さに歩幅を合わせた。

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