無気力社畜、魔王軍とファミレスバイトしてみた!(4)
店の開店準備は、戦(いくさ)の前の静けさに似ている。床を拭き、カトラリーを磨き、ドリンクバーのタンクを満たし、レジの釣銭を数える。ヴァルは一連の作業を「兵站の整備」と呼び、誰よりも無駄のない動きでこなしていた。ホールの高校生バイト・ミオが感心して言う。
「ヴァルさん、トレーの上の置き方、なんで左右で重心違うんですか?」
「右手に力が入る者は左寄せ、左利きは逆だ。配膳の折り返しで皿が滑らぬ。物は落とす前に落ちぬよう置け」
「深い……!」
俺――中村は、今日も半分冷やかし半分見守り役で店にいた。ライナは紙ナプキンに折り鶴を量産して、謎のテーブル装飾を作っている。店長が苦笑いしながら注意した。
「鶴はかわいいけど、食品の上には置かないでね、勇者さん」
「承知した!」
午前の客入りは穏やかだったが、正午を過ぎて急に波が来た。家族連れ、学生グループ、スーツ姿の三人組。たちまち呼び出しベルが重なり、キッチンとホールの呼吸が乱れ始める。ここからが正念場だ。
最初の異常は、小さな見落としから生まれた。ミオが持っていったお子様ランチの旗が、別柄だったのだ。海賊の骸骨ではなく、ヒヨコ。受け取った男の子が泣きそうになり、母親の眉間にしわが寄る。ミオの顔が固まる。そのとき、ヴァルがさっと膝をついて視線を子どもに合わせた。
「勇敢な船長殿。本日、海は荒れている。代わりに、風見鶏の偵察隊が君の船を護衛してくれるそうだ。こちらに海賊旗をつけ直し、鶏はマストのてっぺんに置こう。二隻体制だ。強い」
男の子は涙を引っ込め、「つよい!」と笑った。母親も思わず吹き出し、ミオは胸を撫で下ろす。ヴァルは旗を付け替えつつ、母親に会計時のドリンクバー半額クーポンを小声で案内した。「迅速な救護は士気を上げ、次の戦を有利にする」――それが彼の解釈する“サービス回復”らしい。
だが、次はもっと厄介だった。スーツの三人組の一人が、ハンバーグを切った瞬間、じゅわっと出るはずの肉汁が思ったほど出なかったらしく、露骨に不満顔で言い放つ。
「これ、写真と違くない?」
どこかで聞いた台詞だ。ヴァルは即座に頭を下げる。
「焼き上がりの個体差が出た可能性がございます。お取り替えいたします」
「いや、交換じゃないんだよ。広告に偽りありってことでしょ? 上呼んで」
空気が刺々しくなり、近くのテーブルがざわついた。ライナが立ちかけたのを俺が袖で止める。ここは勇者の剣ではなく、社会の理(ことわり)で鎮める場所だ。
店長が飛んでくる。ヴァルは半歩下がり、店長の横でメニューと原材料表示の冊子を開いた。店長が低い声で説明する。
「広告写真は、実物をもとに仕上げ見本として撮影しています。焼き加減は同一基準ですが、食材の個体差により見え方が変わる場合がございます。ご不快をおかけして申し訳ありません。すぐ焼き直します。加えて、もしお時間に余裕があれば、焼き加減を少しレア寄りに調整も可能です」
「最初からそう言えば?」
「おっしゃる通りです。スタッフに共有いたします」
怒りの矛先は収まりきらない。男はスマホを構え、皿に寄せる。SNSへの投稿――それが現代の“魔法”だ。ここで炎上すれば、店は一週間は疼く。
ヴァルが静かに一礼した。「撮影の際は、ほかのお客様の映り込みにご配慮ください。また、映像の二次使用に関わるガイドラインはこちらです」彼は即座に店の簡易ガイドを提示した。店長が続ける。「ご指摘ありがとうございます。改善の糧にさせていただきます」
三人は顔を見合わせ、肩をすくめた。「じゃ、焼き直しで」。嵐は過ぎた。ミオが小声で言う。「ヴァルさん、なんであんなに落ち着いてるの?」
「軍議の基本だ。怒号は情報を曇らせる。まず相手が何に怒っているかを分解し、こちらの取るべき手順を三つに絞る。謝罪、是正、予防。順番を間違えると炎になる」
「……社会の理、か」
ライナがぽつりとこぼす。ヴァルは一瞬だけ目を伏せ、「理(ことわり)は、弱き者を守るためにある」と付け足した。
午後、さらに厄介な局面が訪れた。新米の大学生バイト・ケンジが、閉店前の廃棄伝票を誤って打刻してしまい、在庫管理の数字が合わなくなったのだ。店長は頭を抱え、ケンジは青ざめている。ミオが「店長、わたしも確認しなかった」と肩を落とす。悪い連鎖は現場の士気を削る。
ヴァルがホワイトボードを引き寄せ、マーカーを握った。
「原因分析をする。責めるのではない。二度と起こさぬための陣形を組む」
①作業のタイミングがラッシュの山と重なった
②確認者と入力者が同一だった
③打刻画面のUIが似ており、誤操作しやすい
「対策は三段階。即時――入力は声出し確認、チェックシートを導入。中期――ラッシュ時は廃棄入力を後ろに回す。長期――本社に画面改修の要望を上げる。『廃棄』と『売上修正』のボタン色を変え、二段認証にする」
「本社に…要望、通るかなあ」と店長。
「通らせるために数字を添える。今日の誤入力で何分ロスし、何皿分の確認が滞ったか。業務インパクトを定量化すれば、上は動く」
俺は心の中で膝を打った。これは会議室で俺がやっている『差分表+改善要望』と同じだ。違うのは舞台だけ。ルールは、個人の善意や根性に頼らずに回る仕組みのことだ。社会の理とは、現場が倒れないための骨だ。
夕方、忙しさの谷間で店長がヴァルを呼び止めた。事務室。安い回転イス、ファイルの山、タイムカードのガシャコンという音。店長は缶コーヒーを一本渡し、言った。
「君、正社員にならない?」
きた、伏線回収。俺とライナは思わずドアの隙間から身を乗り出した。店長は続ける。
「人を見て頼んでる。指示の出し方、クレームの受け止め方、現場の最適化。正直、俺よりできるときがある。シフトも任せたい。待遇は正直大手ほどじゃないけど、社会保険、家賃補助、賞与はある。店長候補として、どうだろう」
ヴァルは缶のプルタブに指をかけ、少しだけ宙を見た。長い沈黙。俺は息を止める。異世界の元参謀が、この世界で“店長候補”――肩書きの重みが、ほんの少し笑えて、そして、なぜか胸に迫った。
彼はゆっくり口を開いた。
「光栄です。だが、答えは保留にさせてほしい」
「理由、聞いても?」
「この世界の“法(のり)”を、まだすべては知らぬ。契約で守られるもの、逆に縛られるもの、余暇と責任の配分。私は支配するためにではなく、ここに“居る”ための理を見極めたい」
店長は肩の力を抜いて笑った。「そう来ると思った。じゃあ、これ渡しておく」差し出したのは就業規則の冊子と、労働基準法の解説パンフ。ヴァルは両手で受け取り、まるで魔導書を扱うかのように目を通し始めた。
「残業代は一分単位……休日は四週四休以上……有給は半年で十日……ふむ。『努力』ではなく『条』で運用するのだな」
「そう。ルールに書いてあるから守る。人が疲れたら替えを入れる。情に流されず、仕組みに頼る。現場を守るには、それが一番強い」
ヴァルは静かに頷いた。ライナが小声でつぶやく。「理は剣より強い」。俺は「Excelよりも、か?」と返しかけてやめた。同じものだ。定義し、可視化し、誰が見ても同じ答えにたどり着ける土台。それがあれば、人はようやく“人間らしく”働ける。
その夜、閉店後。最後の客が帰り、店内にモップの音が響く。ヴァルはバックヤードのメモ帳を破り、サインペンで大きく書いた。
――接客は、相手に勝つことではない。相手が納得する道筋を、一緒に見つけること。
その下に細い字で追記する。
――そして、納得の道筋は、個人の善意ではなく、仕組みの側に置く。
ミオが覗き込んで「かっこいい……壁に貼ります?」と言う。店長は笑って「まずは業務連絡の掲示からね」と釘を刺し、でもメモは捨てずにデスクの端に立てかけた。
帰り道、駅までの夜風が少し冷たい。ライナが鼻歌まじりに言う。
「中村殿。今日は戦わずに勝った気がするな」
「だな。いや、戦ってたけど。剣じゃなく、理で」
「うむ。明日は“社会の理”を我の剣技に組み込もう。名前は……『就業規則斬り』!」
「それはやめとけ」
横を見ると、ヴァルが就業規則を読みながら歩いている。ページの余白に小さくメモ――『休憩は権利。戦略的に確保』。彼は立ち止まり、目を閉じて息を吸った。
「この世界はよくできている。穴も多いが、穴を塞ぐための道具を、最初から人々が持っている。ならば、私もまた、その道具の使い手になろう」
ヴァルの声は静かで、自分に言い聞かせるようだった。俺はふと、自分の職場を思い出す。アゼルの完璧さに押し込まれた数週間。Excelで差分を見せて、会議をひっくり返した日の手の震え。あれも、俺なりの“理”だった。
「お前、本当に正社員、考えてるのか?」
「中村。居場所は、勝ち取るものではない。重さを測り、支える柱を見つけ、そこに自分の重さを分配する。参謀の仕事だ」
「難しいこと言うなよ。つまり?」
「焦らない、ということだ」
ライナが大きく伸びをして、夜空に星を探す。「社会の理、覚えることが多いな。まずは……有給申請から!」
「お前、正社員じゃないだろ」
笑いながら、改札を抜ける。今日の足取りは軽い。どこかで、見えない旗が翻っている。骸骨でもヒヨコでもない、たぶん、風見鶏だ。風の向きを教えるための旗。俺たちは、それを見上げながら歩いている。
そして思う。明日もきっとバタつく。でも、理を知った戦は、少しだけやさしい。そういう夜だった。
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