無気力社畜、勇者に定時退社させられてみた!(5)

 魔王の気配を持つ新人・真王アゼルの出現から、三日が経った。


 社内はすでに、彼を中心に回り始めていた。


 進捗会議では誰よりも早く発言し、資料作成では正確無比。上司の冗談にも適度に笑い、若手社員には気さくに接し、終業時間を過ぎても当然のように残っている。


 誰もが彼を称賛した。


 いや――崇拝していた。


「アゼルくんさえいれば、プロジェクトは安泰だね」


「まるで“人間版AI”みたいな正確さ……うちの部署に配属されないかな」


「このままいけば、来年には係長だって夢じゃないんじゃない?」


 笑いながら語るその言葉の裏に、俺は確かに聞いた。


 ――“中村の代わりに”という無言のメッセージを。


 


 * * * 


 


「中村殿、憔悴しきっているではないか」


 昼休み、休憩室でカップ焼きそばをすすっていた俺の前に、ライナが座った。


 その顔は、どこか深刻だった。


「俺はもう……ダメかもしれん。あいつのレベルが違いすぎる」


「たしかに、あやつの支配力は予想を超えていた。だが、我らには“己のペース”という最大の武器がある」


「そんな生温い武器、通用する相手じゃない」


「ならば、他の武器を手に入れるのだ」


 その瞬間、休憩室のドアが開いた。


 入ってきたのは――


「……いらっしゃいませ。こちらで研修と伺っております、“ヴァル”と申します」


 スーツ姿に着替えた、痩せ型の男。髪は肩まであり、鋭い目つきと低い声が妙に印象的だった。


 俺とライナは、即座に反応した。


「魔王軍幹部!?」


「元・参謀ヴァル……!」


 そう、彼は以前に異世界からやってきて、ファミレスのアルバイトに感動し、人間社会に馴染もうとしていた元・魔王軍参謀。


「な、なんでお前が会社に……?」


「中村殿の紹介ということで。いや、履歴書に“趣味:Excel”と書いたらなぜか即採用されてしまってな」


「弊社、相変わらずの人材不足……!」


「ちなみに、時給は1020円だ」


「正社員よりわかりやすい条件……!」


 ヴァルは俺たちの驚きをよそに、冷静にカップ味噌汁を注いでいた。


「貴様、今どこに配属されている?」


「営業部の資料班。ちなみに、真王アゼルとは同じチームだ」


 俺とライナは同時に立ち上がった。


「それってスパイってことだよな!?」


「もちろん。異世界の勇者と社畜の名にかけて、我はこの会社を“守る”と誓ったのだ」


 この男、いつの間にか転職して味方になっていた。


 まさか、魔王軍参謀が時給1020円で“会社防衛任務”に就く日が来るとは。


 


 * * * 


 


 そしてその日の午後。


「中村さん、すみません。先ほどアゼルくんから提案の資料が回ってきたんですが、ここの仕様、クライアント側の要望とズレていて……」


「え?」


 若手社員の一人が、俺の席に小声で話しかけてきた。


 アゼルが提出した資料の一部に、齟齬があるという。


「それって……重大?」


「うーん、まだ提出前だったからセーフですけど……念のため直してもらえませんか?」


 俺はそのまま、該当ファイルを開いてチェックした。


 ――たしかに。重要な用語の定義が、誤っている。しかも、過去のプロジェクト資料を流用したような跡もある。


 完璧だったはずのアゼルの仕事に、初めて見つけた“ほころび”。


「……これ、修正しておくよ」


「ありがとうございます!」


 資料を修正していると、隣にふらりとヴァルがやってきた。


「……気づいたか」


「お前が……仕込んだのか?」


「否。私は何もしていない。ただ、完璧な者ほど、油断をする。彼の力は“速さ”に依存しすぎている。処理量を誇る者は、往々にして“中身”を見失う」


「……それを、見抜けと?」


「そうだ」


 ヴァルは、時給1020円とは思えないほど深い目をしていた。


 


 * * * 


 


 数日後――。


 俺は、アゼルの提案書をもとに、独自の改善案を作成し、クライアントとの会議で提示した。


 結果、クライアントの反応は上々だった。


「中村さん、さすがですね。こういう調整、よく気づきましたね」


 その一言が、妙に胸に響いた。


 “誰にも見られていなかった努力”が、ようやく報われたような感覚。


 ライナが言っていた。


 ――戦いとは、誰かを倒すことではなく、自分の居場所を守ることだ。


 俺は、少しずつ、自分の足場を固め始めていた。


 


 * * * 


 


 退社後、駅前のラーメン屋で三人並んで座っていた。


 俺、ライナ、そしてヴァル。


「それにしても、異世界から来てまでアルバイトとは思わなかったな……」


「いや、異世界より人間社会のほうが、遥かに複雑で面白い。特に“労働条件”の概念は興味深い」


「興味で働くなよ」


 ライナはラーメンのスープを飲みながら言った。


「中村殿。貴殿は、確かに抗った。己の存在を、“誰かの代わり”ではなく“必要な人間”として証明した」


「……あいつには勝ててないけどな」


「勝ち負けではない。“必要とされる”ということは、それだけで魔王に勝る力だ」


 ヴァルが笑った。


「よく言ったな、勇者」


 俺は、ラーメンの器を見つめながら、静かに思った。


 あいつに勝てなくてもいい。


 でも、俺はここに“いられる”。


 それだけで、きっと今日も……生きてる意味はあるんだ。

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