無気力社畜、勇者に定時退社させられてみた!(4)

 それは、いつも通りの朝だった。眠い目をこすりながらスマホのアラームを三回スヌーズし、トーストを咥えてギリギリの時間に玄関を出る。ついさっきまで「昨日の勝利」に浸っていたはずなのに、目覚めればそこはいつもの戦場だった。


 社会という名の魔王軍は、毎朝五時からすでに活動を開始している。こっちが武器を構える前から、奴らは通勤電車と満員ホームで先手を打ってくるのだ。


 そんな気持ちで駅へ向かっていたところで、俺の隣を、金髪の女勇者がスーツ姿で並んで歩いていた。


「中村殿、今日も戦いの地に向かうのだな」


「お前も行くんだろ」


「当然だ。我がインターンはまだ終わっておらぬ」


 ……勇者ライナ・フレイリオット。異世界から突如現れ、なぜか俺の部屋に転がり込んできた元・魔王討伐の英雄。今はなぜか、俺の会社で“社会勉強”と称した謎のインターン中。


 昨日の“定時退社”の感動から一転、今日は恐ろしく平常運転である。


 ――だった。午前十時までは。


 


 * * * 


 


 「……なんだこれ」


 会議室に入ってきた瞬間、俺は思わず声を漏らした。


 白いYシャツに黒のスラックス。革靴ピカピカ。髪をオールバックに撫でつけたその男は、誰がどう見ても“できる新入社員”といった風貌だった。


 だが、雰囲気が違う。清潔感がありすぎるというか……オーラが、やたらと濃い。妙に背筋の伸びた立ち姿。目の奥が光っている。いや、光ってるって物理的に。


 ライナが俺の袖を引っ張った。


「中村殿……あやつ、“魔”の気配があるぞ」


「魔?」


「うむ。あれは……ただ者ではない」


 そんな中、部長があっさり紹介した。


「今日から営業サポートとして入社することになった“真王(シンオウ)アゼル”くんだ。君たちにとっては心強い助っ人になるだろう。特に君、中村くんとは案件が多く被るから、しっかり教えてやってくれ」


「……えっ、俺が?」


「よろしく頼むよ、先輩」


 にこりと笑ったその男の目が、まったく笑っていなかった。


 俺は、雷に打たれたような感覚を覚えた。


 この男……ただ者じゃない。オーラのレベルが、現代社会の枠を超えている。なんなら、面接で内定を五社蹴ってきたみたいな自信すら滲んでいる。


 でも、それだけじゃない。


 なにより――隣の勇者が、完全に“戦闘モード”に入っていた。


 


 * * * 


 


「中村殿……あやつ、まさしく“魔王の眷属”だ」


「……は?」


 昼休み、社食のすみっこでライナは真顔で断言した。


「我が世界でも、一部の魔王軍は異界を渡る術を得ている。あの男の名にある“真王”とは、古の魔王に仕えし精鋭部隊の称号……間違いない」


「いや、名字で判断すんな」


「違う。気配だ。あやつからは、“欲望の濃縮体”のような瘴気が溢れている」


「ただのやる気ある新人社員じゃねえの?」


「否。あれは、“支配”の気配だ」


 支配って、そんな大げさな……。


 でも、思い出す。朝のあの笑顔。目。挨拶。立ち振る舞い。どれも完璧だった。完璧すぎて、どこか“型”にはまりすぎている気がした。


 そしてなにより……なぜか部長や上司たちの“評価”が異様に高い。


「あのアゼルくん、すごいね。資料のまとめ方がプロみたい」


「会議の仕切りも自然だし、先読み力もある」


「まさか新卒でここまでとは……次期エースだな」


 耳に入るたび、何かがおかしいと感じていた。


 それは嫉妬なんかじゃない。むしろ、警鐘だった。


 


 * * * 


 


 午後三時、俺のデスクにアゼルがやってきた。


「中村さん。この提案書ですが、僕なりに修正してみました。ご確認いただけますか?」


「え、あ……ああ、ありがとう」


 渡された資料は……完璧だった。構成、図の配置、用語の使い方、クライアント目線での導線。俺が二時間かけて作ったドラフトより、三倍見やすく、五倍説得力があった。


「すごいな……これ、もう完成でいいじゃん……」


「恐縮です。でも、先輩の土台があったからこそです」


 口ではそう言いながら、アゼルの目は笑っていない。


 ――こいつ、俺の立場を、完全に潰しにきてる。


 その瞬間、ライナの言葉が頭をよぎる。


 魔王の眷属。


 支配の瘴気。


 ……いやいや、そんなバカな。俺は社会人。彼はただの優秀な新人。


 そんな理屈で自分を納得させようとしたとき。


 ――目が合った。


 彼の、アゼルの目が、まっすぐにこちらを見ていた。


 そして、笑った。


 その笑みは確かに言っていた。


『――お前の役目は、終わった』


 背筋がぞわりと冷たくなった。


 俺は、戦慄した。


 


 * * * 


 


「中村殿!」


 終業後、ライナが俺を迎えにきた。いや、もはや迎えにきたというより、“救出”に近かった。


「見ただろう。あれが“現代に潜む魔王”の姿だ」


「……ああ。認めたくないけど、俺もそう思い始めてた」


 完璧すぎる言動。


 媚びすぎない礼儀。


 どこにも隙のない立ち回り。


 ――まさに“現代社会に適応した魔王軍の精鋭”。


「このままでは、会社が支配されるぞ」


「支配って言っても、仕事できるだけじゃ……」


「その結果、誰が“不要”になる?」


「……」


 俺は、言葉を失った。


 アゼルが評価されればされるほど、俺の影は薄くなる。


 比較され、淘汰され、やがて居場所を奪われる――そんな未来が、ありありと見えてきた。


 そして、それはきっと俺だけじゃない。


 他の社員たちも、少しずつ“彼の正しさ”に飲み込まれていく。


 完璧な新人の登場によって、職場が“最適化”されていく。


 それはまるで、“人間らしさ”の消失だった。


「中村殿、抗うのだ。定時退社を守った貴殿なら、まだ立ち向かえる」


「……俺、何をすればいい?」


 ライナは言った。


「“本当の意味での戦い”は、今ここから始まるのだ」


 こうして俺は知ることになる。


 ――社会の中に潜む“魔王”は、いつだって笑顔でやってくる。


 そして、俺たちの心を、静かに蝕んでいくのだ。

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