第9話 異端な令嬢たち
講義が終わり、ラフィーナが講義内容をまとめると、ルナフレーナはすぐに机に手を置いてため息をついた。
その態度は、自分がいかに面倒なことをさせられたかを全世界に示すかのように露骨だった。
アイリスがそれを見逃すはずもなく、すぐに厳しい口調でダメ出しを始める。
「ルナフレーナ様、今日の勉強態度はひどすぎます。ずっと窓の外ばかり眺めて、全然集中していませんでした。あなたが本当に学院に入学するつもりがあるのか、疑わしいくらいです」
ルナフレーナはアイリスの言葉に眉をしかめ、すぐに反論しようとしたが、逆に口をつぐんで不満そうに目を逸らした。
何か言い返す力も残っていないのか、それともアイリスの言うことに反論する材料が見つからなかったのか、とにかく彼女は黙っていた。
しかし、そこでふと思いついたのか、ルナフレーナはラフィーナに視線を移し、顔に軽い笑みを浮かべた。
「まぁ、でも私がこんなにやる気が出ないのは、ラフィーナのせいかもね」
その一言に、ラフィーナもアイリスも驚いた表情を見せた。ルナフレーナは続ける。
「だってさ、私が全然興味を持たないような授業をするから、やる気が出ないんだよ。ラフィーナ、もっと面白く教えられないの? 私をやる気にさせるのも、先生の仕事でしょ?」
それは、自分の遊び癖や怠けた態度を棚に上げて、責任をすべてラフィーナに転嫁するような発言だった。
彼女の口調は軽々しく、責任をなすりつけるようにして笑いながら言い放つ。
ラフィーナはその言葉に一瞬動揺したが、すぐに表情を整えて、静かに頭を下げた。
「申し訳ありません、ルナフレーナ様。確かにそれは私の力不足です。ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした」
ラフィーナは冷静な声で謝罪したが、その場の空気は微妙なものだった。
周囲の侍女や衛兵たちは「正気か?」という思いを浮かべるような表情で、このやり取りを見守っていた。
ルナフレーナの態度があまりに理不尽だったからだ。しかし、彼女が皇女である以上、誰も口に出して言うことはできない。
ラフィーナが謝罪の言葉を口にすると、ルナフレーナは機嫌が良さそうに彼女の肩を軽く叩いた。
「まったく、しょうがないなぁ……ちゃんとアイリスにも謝っておけよ」
彼女は笑いながら軽々しく言い放つのだが、アイリスが冷たい視線を向け、静かに、しかし鋭い声で返す。
「ルナフレーナ様……さっきのこと、まだ反省していないのかしら?」
容赦のない冷たさが込められていて、ルナフレーナはその声を聞いた瞬間、背筋に寒気が走った。
アイリスの目は鋭く光り、まるで狩人が獲物を逃がさないかのように、ルナフレーナをじっと見つめている。
「う、うそだよ!」
ルナフレーナの笑顔は明らかに引きつっていた。
アイリスの冷たい視線に怯え、必死に場を和ませようとするが、その姿は滑稽でしかなく、緊張感がますます異様なものとなっていく。
彼女は言い訳を重ねながら両手を振り、なんとかアイリスの怒りを鎮めようとしているが、アイリスの鋭い目は一向に柔らぐことはない。
「冗談、冗談! 本当はちゃんと反省してるよ! ね、アイリス、そんな怖い顔しないでよ!」
ルナフレーナは必死だが、その表情には焦りと恐怖が色濃く表れていた。
アイリスはしばらく黙って彼女を見つめていたが、深いため息をつき、ようやく「もういいですよ」と言って、事態を収めた。
彼女はその瞬間にほっと胸をなでおろし、何とか怒りを免れたことに安心した。
しかし、アイリスはすぐに冷静な口調で問いかけた。
「ところで、今から街に出かけるのですが、ルナフレーナ様も一緒に付き合っていただけませんか?」
その言葉を聞いて、ルナフレーナはすぐに不機嫌そうな顔をした。
「えー、めんどくさいな……もしかして、また買い物か?」
彼女はアイリスを軽蔑するような目で見つめ、続けて皮肉を込めた言葉を口にする。
「アイリスもメイベルもそうだけど、二人とも貧乏くさいよな。わざわざ自分で買いに出るのが好きだなんてさ」
貴族の令嬢たる者、買い物に自ら出かけることは滅多にない。必要なものがあれば使いの者に手配させるのが当然だ。
欲しいものがあれば、財布の中身を気にすることなく、すぐに手に入るのが彼女たちの特権。
わざわざ自ら買い物に出かけるのは庶民のすることであり、上流階級の人間ならば、商品を選ぶのではなく、職人に『自分に合ったもの』を作らせるのが普通だ。
特に洋服や靴に関しては、自ら選んで買うなどということはほとんどなく、デザイナーに『自分専用のもの』を特注するのが上流階級の嗜みだ。
それが、貴族の令嬢としてのプライドであり、彼女たちの文化の一部である。
ルナフレーナにとって、アイリスやメイベルが『買い物に行く』という行動は、貧乏くさい振る舞いに見えて仕方なかったのだ。
「貴族の令嬢なら、買いに来させるか、使いに行かせるのが当然。服や靴だって、デザイナーに作らせるものよ。わざわざ自分で買いに行くなんて、上流階級としてあり得ないでしょ?」
ルナフレーナは誇らしげに言い放った。しかし、アイリスは即座に反論する。
「それはルナフレーナ様のことでは? 買い食いや寄り道をして、市街地に足繁く通っているのは、どこの誰ですか?」
アイリスはルナフレーナの矛盾を突くことに何の躊躇もなかった。
街に出ては美味しいものを探し、興味の赴くままに闘鶏場や拳闘場など賭場へ足を運び、どんちゃん騒ぎを起こすルナフレーナが、彼女には滑稽に思えてならなかった。
「それに、闘鶏場で博打をしているのは、どこの皇女様でしょうか? あれ貴族や官僚の中で噂になってますし、本当にやめた方がいいですよ」
メイベルもここで割り込んできた。彼女は無邪気な笑顔を浮かべ、面白がるようにルナフレーナをからかう。
彼女は一瞬、言葉に詰まった。
確かに、買い物のことを批判する資格が自分にはないことを理解していたのだ。しかし、それでも何か反論しようとしたが、結局はふてくされた表情を浮かべるだけだった。
彼女ら三人は一見、性格も振る舞いも異なるが、実は共通点もある。
それは、退屈な貴族の生活に辟易しており、新しい刺激を常に求めていることだ。
アイリスは実用的な視点から市街地に出ることを好み、ルナフレーナは自分の退屈を紛らわせるために博打や無駄な買い物に興じる。
そしてメイベルは、ルナフレーナに付き添ったり、同時に彼女をからかう商品を探したりもする。
彼女たちはそれぞれ異なる方法で退屈を逃れようとしていた。
ルナフレーナはしばらく黙っていたが、ふと思いついたように、やや不機嫌そうな表情で言った。
「これから庭の池で釣りをしようと思ってたんだけどな……だから、私は行かないよ。楽しんできて」
これに対してアイリスは、特に強く引き止めることはせず、淡々とした口調で答えた。
「そうですか、わかりました。それではメイベル様、二人でお出掛けしましょうか」
アイリスはあっさりと引き下がり、メイベルに微笑みながら話しかけた。
その声にはほんの少しの皮肉が込められていたが、それを表に出すことなく、彼女は冷静だった。
「三人で一緒に行こうと思っていたのですが、ルナフレーナ様は忙しいみたいなので、私たち二人で行きましょう」
メイベルはその言葉に一瞬驚いたが、すぐに目を輝かせてノリノリの反応を示した。
「わ――嬉しいです! アイリス様と一緒にお出掛けだなんて、光栄です!」
彼女の顔には満面の笑みが広がり、その無邪気な喜びが伝わってきた。
純粋で、まるで子供のような喜び方だ。
その光景を見ていたルナフレーナは、メイベルの反応にムッとした表情を浮かべた。メイベルの楽しげな様子が気に入らなかったようで、急に声を荒げてメイベルを罵り始める。
「おい、メイベル! お前、いつも私のこと好きだとか言っておいて、あっさりアイリスに乗り換えるのか? この尻軽女! 誰にでも体を預けるビッチが!」
ルナフレーナの言葉は刺々しく、完全に本気でメイベルに向けた怒りが込められていた。その視線は鋭く、まるで裏切り者を見下すかのようだった。
だが、メイベルは一瞬驚いたように目を見開いたものの、すぐににこやかな表情に戻り、まるで何事もなかったかのように明るく答える。
「何をおっしゃるんですか? 私はいつだってルナフレーナ様が一番ですよ! ただ、今日はアイリス様と一緒に出掛けるのも楽しみにしていただけですから、嫉妬しないでくださいね!」
彼女は軽やかに、全く気にしていない様子で言葉を返す。
その言葉にさらに苛立ったルナフレーナは、怒りの矛先を向けようとしたが、次にアイリスが冷静に口を開いた。
「もしかして……ルナフレーナ様、ヤキモチですか? 嫉妬ですか?」
アイリスの声は冷ややかでありながら、どこか楽しむかのようにルナフレーナを挑発していた。
「誰が、お前みたいな底辺女に嫉妬するか!」
ルナフレーナはすぐに反論し、胸を張って自信満々に言い放った。
「私は皇女だぞ! 人を妬むなんてするわけがない! 私を馬鹿にしたら、ぶっ飛ばすぞ!」
ルナフレーナの返事は高飛車であり、あくまで自分が優位であることを強調するものだった。しかし、その自信たっぷりな態度にもかかわらず、アイリスとメイベルは軽く笑ってそれを聞き流すだけだった。
「そうですか」
アイリスは軽く肩をすくめ、特に深追いすることもなく、冷淡な返事を返した。
「では行きましょうか、メイベル様」
「えぇ、そうしましょうか」
アイリスがそう言うと、メイベルも元気に頷き、二人は何事もなかったかのようにドアへ向かって歩き始める。
ルナフレーナはその様子を見て、顔を真っ赤にして怒りの声を上げた。
「待て! 私を無視するなー! 私抜きで行くんじゃない!」
彼女の声には明らかな苛立ちと焦りが混じっていた。
自分が無視され、置いてけぼりにされることに耐えられないという感情が滲み出ている。
ルナフレーナはふてくされた表情で椅子から立ち上がり、二人に向かって怒りの視線を投げかけたが、アイリスとメイベルは何事もなかったかのように振り返らず、笑い合いながら部屋を出て行った。
「ねえ、待ちなさいよ! 本当に私を無視して行くつもりか!?」
彼女は叫んだが、部屋は静寂に包まれたままだった。
仕方なくルナフレーナは、部屋に残っているラフィーナや衛兵たちに視線を向ける。そこにいた彼らは、何とも言えない微妙な表情をしていた。
若干嫌そうというか、めんどくさそうというか、彼女の態度にどう対応すべきか困惑しているのが明らかだった。
ルナフレーナはその様子にさらに苛立ちを募らせ、ため息をつきながら近づき、彼らに語りかけた。
「どうして、二人を止めてくれなかったの? 私の性格、知ってるでしょ?」
ラフィーナが口を開こうとしたが、ルナフレーナはそれを手で制し、声を張り上げた。
「私が悪いのか? え、私が全部悪いの? でもさ、これが私なんだから、もう受け入れてよ! そうでしょ? どうしてわかってくれないの!」
彼女の声は次第に弱々しくなり、半泣きになりながら、さらに語り続けた。
怒りと悲しみが混じり合った表情で、周囲に訴えるように視線を送るが、ラフィーナや衛兵たちは困った顔をしてお互いに目を合わせるばかりだった。
彼らにとって、ルナフレーナのこのウザがらみは日常茶飯事であり、対応に困る瞬間でもあった。
部屋の空気が微妙な緊張感に包まれる中、突然ドアが勢いよく開いた。
「嘘ですよ!」
メイベルが明るい声で叫びながら部屋に戻ってきた。続いてアイリスも現れ、静かな笑みを浮かべてルナフレーナを見つめる。
「少しからかっただけです、ルナフレーナ様」
メイベルが軽快な口調で続けると、アイリスもそれに頷きながら言葉を添えた。
「さぁ、ルナフレーナ様も行きますよ。置いて行くわけないじゃないですか」
ルナフレーナは一瞬驚いたように二人を見つめ、戸惑いの表情を浮かべた。
彼女の目には涙が滲んでいたが、急に状況が変わったことで、その涙が引っ込むような感覚に襲われた。自分をからかった二人に対して怒るべきか、それとも喜ぶべきか、判断がつかず、口をパクパクさせたまま立ち尽くした。
「……ほんとに、からかっただけ?」
ルナフレーナは少し怒ったような、でもどこか安堵の表情を見せながら二人に問いかけた。
「もちろんです!」
メイベルは相変わらずニコニコと笑い、アイリスも微笑を浮かべたまま頷いた。
「あなたを本気で置いていくつもりなんて、最初からありませんよ。私たち、みんな一緒に出かけるんですから」
ルナフレーナは少し恥ずかしそうにしながらも、溜め息をついて言った。
「もう……からかうなんて、やめてよね」
彼女の頬はまだ少し赤いが、どこか安堵した様子だった。そして、アイリスとメイベルの言葉に押されるように、しぶしぶながらも一緒に出かける準備をし始めた。
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