第6話 力か、偶然か、それとも運命か①

 昼前の宮廷の一室は、普段の重厚で静かな雰囲気とは異なり、活気と笑い声が溢れていた。

 その広い部屋の中心に置かれた大きなテーブルを囲むように、数人の侍女と衛兵が座っている。

 テーブルの上には、トランプカードが無造作に積み上げられており、その周りにはチップが賭けられている。


 部屋の中央に陣取っているのは、銀髪をなびかせたルナフレーナだ。

 彼女は豪華なドレスを纏いながらも、その表情には普段の威厳ある皇女の雰囲気はなく、むしろ無邪気な笑みを浮かべている。


 指先が巧みにカードを操りながら、目の前にいる相手を見据えている。

 ルナフレーナの周りには、彼女の声に応じて微笑みを浮かべる侍女たちと、真剣な顔つきでカードを見つめる衛兵たちがいる。

 まるで戦場にいるかのような緊張感と、同時に和やかさが同居している。


 そのとき、隣の侍女が遠慮がちに口を開いた。

 彼女の声は小さく、慎重で、周囲の人々の注意を引く。


「あの……でも、いいですか? ルナフレーナ様。確か今は勉強の時間ではなかったでしょうか?」


 一瞬の静寂が訪れる。

 侍女たちは顔を見合わせ、衛兵たちは咳払いをして視線をそらす。

 それぞれが次に来る言葉を待ちながら、気まずい空気が漂う。


 ルナフレーナはその指摘に、ふと顔を上げて侍女をじっと見つめた。

 その目には驚きも怒りもなく、むしろ冷静さと興味が混ざり合った表情が浮かんでいる。

 彼女の視線は、まるで周囲の空気を一瞬で引き締めるかのような力を持っていた。

 だが、次の瞬間には、その視線は柔らかな微笑みへと変わる。


「そんなもの関係ないわ」


 ルナフレーナの声ははっきりとしていて、強い意志が感じられた。

 その口調には、一切の躊躇も遠慮もなく、彼女が自分の欲望に忠実であることがわかる。

 彼女はカードを軽くテーブルに叩きつけ、周囲の注目を再び自分に引きつけた。


「私は今、ポーカーをしたいのだからポーカーをするの。それが何より大事よ」


 侍女たちはルナフレーナの言葉に少し驚きながらも、彼女の自信に圧倒され、顔を見合わせて苦笑を浮かべる。

 衛兵たちもまた、困惑しながらも、彼女の発言を肯定するように笑みを浮かべた。

 皆、彼女の気まぐれに慣れているものの、これほどまでに堂々と宣言されると、どう反応すべきか迷うようだ。

 それでも、ルナフレーナの前では、賛同せざるを得ない。


「確かに、ルナフレーナ様がそうおっしゃるなら、それが一番です」


「そうですね、皇女様のご判断に従います」


 衛兵や侍女はそれぞれ、賛意の言葉を口にする。


 その声には微かな緊張感が混じっているが、どこか安堵した様子も感じられる。彼女たちは、ルナフレーナの気分を害さないように気を遣っているのだ。

 ルナフレーナは、その反応に満足したように頷き、微笑みを浮かべながらテーブルに身を乗り出した。

 機嫌が良くなったのか、瞳に楽しげな光が宿っている。


「さて、皆にちょっとした質問よ。私がなぜ博打をするのか、皆にはわかる?」


 その突然の問いかけに、侍女や衛兵たちは一瞬顔を見合わせ、戸惑いながらもそれぞれに考えを巡らせる。

 ルナフレーナがこうして問いかけをすることは珍しいため、彼らはどう答えるべきかを考えながら、しばらくの沈黙が流れる。

 彼女が何を求めているのか、何を期待しているのか、全員が不安を抱えていた。


やがて、衛兵の一人が代表して口を開いた。


「……申し訳ありませんが、わかりかねます」


 その返答に続いて、他の侍女たちも頭を小さく下げ、同じように「わかりかねます」と口にした。

 彼らの反応に、ルナフレーナは少し満足そうに微笑んだ。その答えを期待していたかのようだ。

 彼女はテーブルに身を乗り出し、まるで舞台役者が観客に向けて語りかけるかのように、熱を帯びた声で語り始めた。


「それはね……皇女である私が、己の意志の及ばない運の世界に挑むためよ」


 ルナフレーナはまるで劇場の中心に立っているかのように、目を輝かせながら続ける。


「私の周りには常に権力と影響力があるわ。それは私の地位、家系、そして皇女としての存在がもたらすもの。何をするにしても、私の一言で全てが変わってしまう。だけど、博打――この運の世界では違う。ここでは誰もが平等に運命の力に委ねられる。自分の力ではどうにもならない、偶然の力に挑むことこそが、私にとっての博打の魅力なのよ」


 彼女はその言葉に力を込めて、手を大きく広げるようにジェスチャーを交えながら語る。

 その仕草は、偉大な舞台役者が観衆の心を掴むかのようで、彼女の言葉が響き渡るような錯覚を起こさせる。


「運命というのは、私たちの意志を超えたところにある力よ。権力ではどうにもならないもの、すべてが偶然の産物で決まる。その偶然に身を委ね、未知の結果に挑むことで、私は私自身の枠を超えた存在を感じられるのよ」


 ルナフレーナは一息つき、周囲を見回す。誰もが彼女の言葉に引き込まれ、耳を傾けていた。しかし、その顔には理解の色よりも、どこか困惑が漂っている。

 彼らにとってみれば、彼女の講釈はあまりに抽象的で、現実味に欠けるものであり、単なる気まぐれな博打好きの理屈にしか聞こえなかったのだろうか。いや、それでも皇女の講釈なのだ。賛同するなり、褒め称えるべきだろう。

 ルナフレーナはその反応に少し苛立ちを覚え、さらに言葉を重ねる。


「どうしたの?  私の偉大な講釈におそれをしなたのか?」


 彼女は自信に満ちた笑みを浮かべて、周囲の反応を待った。しかし、皆の顔色は悪く、どこか遠くを見つめるような曖昧な表情を浮かべている。


 その時だった。


「どうしたんじゃないでしょ……」


 突然、背筋が凍るような冷たい声が部屋に響き渡った。

 その声には鋭い刃のような切れ味があり、部屋の中の全ての空気を一気に凍りつかせた。

 ルナフレーナはその声の主が誰であるかをすぐに察し、恐る恐る顔を向ける。そこには、鋭い目つきでこちらを睨みつけるアイリスの姿があった。


 アイリスの目には怒りの炎が宿っており、その視線はまるでルナフレーナを貫くかのようだ。

 口元はかすかに引き締まり、軽蔑を込めたような冷たい表情だ。

 彼女はゆっくりとルナフレーナに向かって歩み寄り、その動き一つ一つが、まるで戦場にいるかのような緊張感を漂わせていた。


「勉強をさぼって何してるの?」


 ルナフレーナは普段の威勢とは打って変わって、目を泳がせながら視線を逸らす。

 普段であればどんな時も自信満々な態度を崩さない彼女だが、この瞬間ばかりは、まるで幼い子供のように見える。

 

「い、いや、これはその……ちょっとした、うん、リラックスよ!  ほら、息抜きって大事でしょう?  その……疲れを取るために、ポーカーをしていたの!」


 ルナフレーナは慌てて言い訳を始めるが、その言葉には明らかな焦りと不安が混じっている。

 彼女の言葉はどれも頼りなく、空回りしているように響く。

 アイリスはその見苦しい言い訳に、深いため息をついた。

 彼女の眉は微かに寄り、その瞳には呆れたような色が浮かんでいる。


「そんな言い訳は必要ないので、学習室に行きますよ。先生も待ってますから」


「嫌だ! 絶対に嫌だ! まだ行きたくない!」


 ルナフレーナはまるで幼い子供のように足を踏み鳴らし、顔を真っ赤にして叫ぶ。その姿は、皇女が持つべき高貴さや気品を一切感じない。

 アイリスは彼女の駄々に対して、さらに圧をかけるように一歩前に出た。

 冷たい瞳で彼女を見下ろしながら、静かに囁くように言う。


「あんまり我が儘だと、木に縛り付けて、肉を少しずつ削いでいきますよ」


 ルナフレーナもその脅しに怯えたように身を縮める。

 顔には一瞬恐怖の色が浮かび、口を開きかけたが、急に何かを思いついたように目を輝かせた。彼女の目がテーブルに積まれたトランプの束に向けられる。


「いいわ! だったらこうしましょう!」


 彼女はトランプの束から一枚を勢いよく引き抜き、テーブルの上にパッとめくる。そのカードはスペードの10だった。


「ハイアンドローで決めようじゃない!」


 ルナフレーナは声を高らかに上げ、得意げな表情を浮かべる。


「次にめくるカードがこの10よりも小さい数字なら私の勝ち。10よりも大きい数字ならアイリスの勝ち。勝負はそれだけよ」


 彼女の目には再びいつもの自信が戻り、その表情には子供のような無邪気な挑戦心が溢れている。


「もしアイリスが勝ったら、私はあなたの言う通り勉強をするわ。でも、私が勝ったら、もう少しここでポーカーを続けさせてもらうわよ」


 彼女は自分が提示した条件に満足そうに頷き、テーブルに肘をついて、アイリスの反応を待つ。

 その顔には、勝利への執念と、子供じみた駄々をこねる一方で、どこか楽しんでいるような様子が見える。

 ルナフレーナはその目でアイリスを挑発し、自分の運命を賭けた大勝負でもするかのような熱意を見せていた。

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