ディオザニア帝国物語~自由奔放な皇女様はトラブルメーカー~

柿うさ

第一章 ディオザニア帝国の月

第1話 破天荒なお姫様

 広大な宮廷の食堂は、まさに絢爛豪華という言葉がふさわしい場所である。

 高くそびえる天井からは、無数のクリスタルのシャンデリアが吊るされ、その光が細かなプリズムとなって煌めきながら、部屋全体に散らばっている。

 壁には豪華な金の装飾が施された鏡や絵画が並び、燦然と輝く燭台が各所に配置されている。そのすべてが、豪奢で厳粛な雰囲気を漂わせ、訪れる者に圧倒的な威厳を感じさせる。


 テーブルは白い大理石でできており、光沢のある表面には純金のカラトリーと鮮やかな赤いバラが飾られている。

 柔らかなベルベットの椅子が並べられ、その座面には金の縁取りが施されている。美しく磨かれた床には、色鮮やかな絨毯が敷かれており、足を踏み入れる者の動きを包み込むように柔らかく受け止める。


 その食堂の中心に座る女性――ルナフレーナは、まるで月の光を纏っているかのように輝いていた。

 彼女の肌は透き通るように白く、まるで大理石の彫刻のような美しさを持っている。長く柔らかな銀髪は緩やかな波を描きながら彼女の背中を流れ、月光を集めたかのように煌めいている。

 深い青の瞳は、澄んだ湖のように清らかで、見る者を引き込むような神秘的な輝きを放っていた。


 彼女が纏うドレスは、繊細な刺繍と宝石が散りばめられた薄紫のシルクでできており、彼女の動きに合わせて柔らかく揺れ、まるで星々が流れ落ちる夜空のようだ。

 彼女の姿は、この宮廷の食堂に完璧に調和し、その場にいるすべての者の目を釘付けにしている。


 しかし、その神々しい外見とは裏腹に、ルナフレーナの食事の仕方はまるで異なる一面を露呈していた。

 彼女はテーブルに並べられた美しく盛り付けられた料理を前に、カラトリーを一切使わず、素手で料理を掴み取る。


 まるで獣が餌を貪るかのように、彼女の手は豪華な料理へと伸び、その指先には肉汁やソースが滴り落ちている。

 彼女の長い指が、テーブルに置かれた肉の塊に食い込み、豪快に引き裂くようにして口へと運ぶ。

 ソースが唇の端から垂れ、その滑らかな肌を汚しても、彼女は気にする素振りも見せない。


 指に絡みついたソースを、まるで飢えた獣が骨についた肉をしゃぶるかのように舐め取る姿は、見ている者に異様な感覚を抱かせる。

 彼女は繊細なスープをそのまま手で掬い、ゴクゴクと一気に飲み干す。あまりに粗野で無作法な彼女の食べ方は、この豪奢な空間と全く噛み合わない。

 

 ルナフレーナの下品な食べ方にもかかわらず、侍女たちはまるでそれが日常の光景であるかのように、苦笑いを浮かべるだけで何も言わない。

 彼女たちの顔には困惑と無力さが滲んでいるものの、長年仕えてきた主の行動に口を挟む勇気はないらしい。

 誰もがこの異様な光景を無視し、見て見ぬふりをすることを選んでいる。

 しかし、その静寂を破るように、冷ややかな声が食堂に響き渡った。


「その下品な食べ方、やめてくれないかしら。こっちの食事が台無しになる。山賊でももう少しマシな食べ方をするわよ」


 声の主は、アイリス――燃えるような赤髪を持つ美しい女性だった。

 彼女の髪は太陽の炎を思わせる鮮やかな赤で、揺れるたびにまるで火のように舞い上がる。

 その瞳は深い緑色で、冷徹な知性と強い意志を感じさせる。

 彼女が纏うドレスは深い黒のベルベットで、その裾には黄金の刺繍が施されており、彼女の強さと品位を際立たせていた。

 背筋をぴんと伸ばし、冷静かつ鋭い視線をルナフレーナに向ける。

 

「あの……アイリス様、そのような言い方は……」


 アイリスの言葉に、侍女たちは慌てて顔を見合わせ、口元を抑えながら窘めようとするが、アイリスはその言葉を遮るように、さらに辛辣な指摘を放つ。


「あなたたちも、ちゃんと注意しないとダメよ。さもなければ、もっとダメになるわ」


 侍女たちは更に困惑し、どう対処すべきか途方に暮れている様子だ。

 彼女たちは普段、ルナフレーナの気まぐれな行動に耐え、できる限り波風を立てないように努めている。しかし、アイリスのような毅然とした態度には慣れておらず、その言葉に戸惑いを隠せない。


 アイリスの指摘を受けたルナフレーナの顔には、瞬間的に怒りの色が浮かぶ。

 彼女の美しい額にはしわが寄り、青い瞳には冷たい怒りが宿る。

 彼女は口の端を歪めて笑い、冷たくて刺すような視線をアイリスに向ける。そして、その淑やかな外見に似つかわしくない、粗野な言葉がその口から飛び出した。


「うるっせんだよ、クソ女。私の輔導ほどう役に任じられたのか知らないけど、分家の分際で私に説教するな。身の程を弁えろよ、ボケ!」


 その言葉はまるで凍った刃のように食堂の空気を切り裂き、場をさらに凍りつかせた。侍女たちは驚きと恐れで身を縮め、周囲の空気はピリピリと張り詰める。

 ルナフレーナの口から飛び出した粗野な言葉と、その美しい容姿とのギャップが、食堂全体に異様な緊張感をもたらしている。しかしアイリスは一切怯まず、冷ややかな視線を保ったまま立ち向かっている。

 その対峙は、これからの波乱の前兆を示しているかのようだった。


「それにお兄様は、私のマナーを完璧だと言ってくださったわよ。バーカ!」


 ルナフレーナはアイリスを挑発するように舌を出し、べろべろバーと下品なジェスチャーをする。その様子はまるで幼い子供のようで、あまりに場違いな行動に周囲の人々は言葉を失った。

 だが、アイリスの表情には一片の動揺もなく、まるで凍りついた湖面のように冷静な微笑を浮かべるだけだ。

 その微笑みは冷ややかでありながら、どこか挑発的なもので、彼女の緑色の瞳が鋭く輝いている。


「そうね、あのシスコン皇太子なら、あなたが手を使わずに食べても同じことを言うでしょうね」


 アイリスは皮肉たっぷりに返した。

 その言葉は宮廷の礼儀を根底から揺るがす不敬なものだった。場の空気はさらに重く、冷え込むように悪化していく。


 激怒するかと思われたルナフレーナは意外にも、一瞬の沈黙の後、口元を手で覆って軽やかに笑い出した。

 それは、この緊迫した場の空気をほんの少し和らげるような響きを持っていた。


「もう、アイリスったらご冗談ばかり言って。私は大丈夫だけど、本気にする人がいるわよ。皇族への侮辱は大罪なのを知ってるでしょ」


 ルナフレーナの軽妙な口ぶりに、侍女たちも困惑しながらも、思わず苦笑を浮かべる。重苦しかった空気が少し和らぎ、まるで何事もなかったかのように場は一瞬の安堵に包まれた。

 だが、次の瞬間、その空気は再び一変する。

 彼女の表情が突如として険しいものへと豹変し、その美しい瞳には狂気じみた光が宿る。


「引っかかったな! クソ女!」


 彼女は猛然と立ち上がり、椅子を蹴り飛ばと、全力でアイリスに殴りかかった。


「今、ここで私が粛清してやる! 皇族を侮辱したこと、あの世で詫びろ!」


 そう叫びながら、ルナフレーナは拳を振り下ろした。だが、アイリスはその攻撃を予想していたかのように冷静に反応し、右腕でそれを防いだ。


「いきなり何するの、危ないじゃない」


 少し怒りが滲んだ声で返すアイリス。だが、ルナフレーナは意に介さず、さらに荒っぽい行動に出る。

 彼女はテーブルの上にあった皿に盛られた料理を手に取り、豪快にアイリスへ向かって投げつけた。


「きゃっ!」


 アイリスは驚きのあまり、可愛らしい悲鳴を上げる。

 飛び散った料理のソースが彼女の美しいドレスに付着し、その艶やかな生地が無残にも汚されてしまった。

 彼女の顔には驚きと怒りが交錯し、その瞳には冷たい怒りの炎が宿っている。

 一方、ルナフレーナは大きな声で勝ち誇ったように笑い始めた。


「『きゃっ!』だって、だっせぇー。大丈夫ですか、その服のシミ?」


 アイリスを指さしながら、腹を抱えて笑い転げる。

 彼女の笑い声は食堂全体に響き渡り、まるで勝利の凱歌のように高らかに鳴り響いた。


「見てよ、アイリスのドレスが汚れてるわよ。汚ったねぇ」


 ルナフレーナが侍女たちに向かって言うと、侍女たちは困惑しながらも、視線を落として頷くしかなかった。

 その様子を見て、彼女はますます調子に乗り、声を大にして煽り続ける

 だが、その笑い声が次第に消えていく中で、アイリスは静かに立ち上がった。

 彼女の顔には冷たい怒りが浮かび、その表情はまるで氷のように冷え切っている。


「何がそんなに面白いの? ルナフレーナ様」


 アイリスは低く、冷ややかな声で尋ねた。

 その口調には、まるで鋭利な氷の刃が隠されているかのような冷たさと鋭さが込められており、怒りの中にさえ冷徹な理性が見え隠れしている。


 その瞬間、ルナフレーナは一瞬にして、その場に漂う危機的な空気を肌で感じ取った。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように、彼女の体は凍りつき、指差していた手が震え始める。しかし、逃げ出す間もなく、アイリスは素早く彼女の指を掴み、そのまま反対方向に冷静に曲げた。


「ギャー! 指が!」


 ルナフレーナは痛みに耐えきれず、叫び声をあげた。

 その声は先ほどの高笑いとは違い、切羽詰まった痛みに満ちている。


「これは、私のドレスを汚した罰よ」


「くぅ~、分家のくせに! 数ヶ月早く生まれただけで、偉そうにしやがって! いつかぶっ殺して……」


 ルナフレーナは苦痛に顔を歪めながらも、恨みを込めた声で言い返そうとする。

 だが、彼女の言葉が終わる前に、アイリスの表情はさらに冷たくなり、指を曲げる力を一層強めた。


「まだ、そういうことを言うのね」


 アイリスの声は、まるで骨まで凍りつかせるかのように冷たい。

 彼女の瞳には一切の同情も見当たらず、その冷徹な光は、まるで残酷な異端審問官が目の前の者を罰しようとしているかのようだ。


「何見てるんだ、早く助けなさいよ!」


 ルナフレーナは涙目になりながら侍女たちに助けを求めた。

 その顔には怒りと恐怖が入り混じり、普段の傲慢さとは程遠い。

 彼女の声は高く、震えており、指に走る痛みが限界に近づいているのが見て取れた。しかし、侍女たちは困惑し、慌てふためきながらも何もできない。

 その場にいる侍女たちは、ルナフレーナの命令に応じることもなく、ただ不安げに視線を交わすだけだった。

 アイリスは、その光景を冷静に見つめながら、冷ややかな微笑を浮かべる。


「早く謝らないと、指が折れちゃうわよ」


「私を誰だか分かっているのか! 服を汚したぐらいで皇女の指を折るとか、お前イカれてんのかよ!」


「あっそ、指いらないんだ」


 彼女の冷ややかな瞳には、一切の情け容赦がなく、ルナフレーナに対する冷酷な決意が見て取れる。

 その姿は、まさに勝者が敗者を見下ろすかのような威厳に満ちていた。

 彼女は少しも緩むことなく、相手の痛みと苦しみを見据えている。


 ルナフレーナはしばらく耐えていたが、ついに痛みは限界に達し、涙が滲み出てくる。

 高慢な彼女にとって、これほど屈辱的なことはない。しかし、痛みと恐怖がそれを上回り、彼女はついに泣きながら謝罪の言葉を口にする。


「アイリスの服を汚してごめんなさい。私が悪かったから、許してくれ~」


 その言葉を聞いて、アイリスはようやく力を緩め、ルナフレーナの指を放した。

 解放されたルナフレーナは、痛みに震える指を抱え込み、悔しさと屈辱で顔を赤く染める。くそっ、くそーっ!と唇を噛みしめ、悔しさに満ちた声で呟くのだった。

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