第弐話 宴ノ席

「蘭~!このお膳、大座敷に運んで」

「はぁい!」


 厨房内では若い衆がせっせと食事の盛り付けを行い、出来上がった膳を次々運ぶように促していた。


「それが終わったら酒瓶を頼む」

「はぁい!」


 促しに大きな声で返事をするのは、【青薔薇】で世話役を任せられている青年――らん

 つい先日拾七になったばかりの蘭は、幼い頃に父母を亡くし、この【青薔薇】楼主の華小路に引き取られた。始めのうちは何をすればよいのか右往左往していた蘭も、今では世話役の要として頼りにされる存在となっている。


「よっこいしょ……っと。しずさん、料理持ってきたよ」


 蘭は両手で運んできた膳を、座敷前で中の様子を気にかけている香車やり手に声を掛けながら置いた。


「あいよ」


 遊郭の香車を務める靜は、長きに渡り【青薔薇】を支えてきた重要な人物――。さすがにそろそろ体力の限界が来ているのでは、と周りから心配の声があがるも、そんなことは全く感じさせないくらいの働きっぷりをしていた。


「蘭、あそこの客人酔いが回ってそうだ。冷や水を持ってきておくれ」


 靜の視線の先に目を向けると、確かにそこには顔を真っ赤にした男の姿があった。


「はい。すぐに持ってきます!」


 蘭は足早に厨房へと引き返して行った。


「まったく面倒な手間を取らせるんじゃないよ……。あやかしが人間の酒を飲むと酔いが回りやすいと散々言ってるのに」


 その場に佇む靜は、座敷内で和気藹々としている光景を見ながら、ため息を漏らしながら呟いた。

 

 一見ごく普通の至福のひと時を過ごす場所と思わしき【青薔薇】――。だが、ここを訪れる客の多くの目当てはこの見世で男花魁として働くΩとねやを共にすること――。そんな夢に溺れることができるのは選ばれし者だけだとも知らず、多くの人は【青薔薇】に何度も通い詰める――。


 金銭を積めば夢は叶う――、なんてことはこの【青薔薇】では通用しないとも知らされず――。

 

 ここ華山はなやまは古来より人間と妖が共存している世界――。

 見た目でわかる半妖の者もいれば、一見妖には見えない者もいる。ごく一部の妖には特異的な力を持ち合わせている者もいるが、これまでの共存の中で時代ときは流れていた。


「靜さん、お水持って来たよ」

「あいよ」

「……なんだい」


 靜は水の入った容器が置かれた膳を蘭から受け取る際に、彼からの熱い視線を感じたため尋ねた。


「……靜さん、今日は珍しく尻尾が出てるなぁ……と思って」


 蘭は、靜の背後でふわりと動く黄金色の尻尾を見つめながら言った。

 

「……歳のせいかもしれないね」


 指摘されたことに動じず、靜は答えた。

 

「忙しすぎるからじゃない?俺にできることがあったら遠慮なく言って」

「ありがとさん。そう言ってくれるのはあんただけさね。蘭のそういう所を、他の若いもんにも見習ってほしいもんだね」


 長年【青薔薇】で働く靜は狐の妖――。普段は人間と区別がつかないが、ここ数日の短い間に蘭は何度かふさふさの尻尾を見かけていた。


「最近も忙しかったけど、今日はより一段と忙しいね。……兄さんも張り切ってたし」

「今日は久々に月影のお偉いさんが招かれとるでな」

「……月影のお偉いさんって、亡くなったんじゃ」

「昨年にな。……ようは、跡取りが決まって挨拶がてら顔見せも兼ねてるんだろうよ」

「ふぅん」

「ほれ、ここは大丈夫さね。持ち場に戻りんさい」


 靜に促され、蘭は大座敷を後にした。

 一方で靜は、受け取った膳を酔いが回っているの元へと運んだ。


「お前さん。……ちょっとお前さん」


 靜は、目の前で伸びきった男の肩を軽く揺するようにして起こした。

 

「……あぁ?……ひっく……っく」

「水でも飲んで、酔いを覚ましなさいな」

「……おぉ……さけぇ……さけぇ」

「はぁあ……まったく」


 靜から水の入った容器を奪い取り、男はごくごくと勢いよく水を飲み干した。


「……んく……んく……ぷはぁ。生き返るぅ」

「正気に戻ったかい」


 靜の声に驚いた男は一瞬目を見開き、周囲の状況から自分自身が仕出かした事を思い出したのかのように、深々とその場で土下座をした。


「申し訳ございません!申し訳ございません!立場を弁えず酒に飲まれるなんて言語道断です……。本当にすみませんでした」


 男のあまりにも大きな声に、周囲で盛り上がっていた者たちも静まり返り、視線が靜たちの方へと向けられた。


「はぁ……、また面倒な事を……」


 靜がぼそりと呟き、周りの客へ事情を説明しようと立ち上がった時――、靜の肩にポンと手が置かれた。

 

「どうかここはお気になさらず楽しんで下さい」


 周囲へ響き渡るように太めの声でそう言うと、靜の方へと顔を向けた。

 眉目秀麗――。【青薔薇】にもこの言葉が似合う男はいるが、彼らとさほど大差がないくらい、靜の目の前に現れた男は容姿が美しかった。漆黒の着物と同じような色合いの髪に、黄金の瞳が魅力的であり、誰もが魅了されるような印象だ。


「うちの者がすまなかった」


 男が靜に向かって頭を下げた。その様子を間近で見ていた酔いが覚めたばかりの男も、同じように頭を下げていた。

 

「……気にすることないさね。ただ……、妖と人間では酔いの回りが違うことくらい教えておくべきだと思うがね、月影の坊っちゃんよ」

「相変わらず靜さんは手厳しいね。さすがに坊っちゃんはやめて欲しいかな」

「そうかいそうかい。ならこれからは、月影様とでも呼ぼうかね」

「あはは……。なんだかむず痒い気もするんだけど……。何でもいいや。それより靜さん、俺、陽斗ひなとに用があるんだけど……」

「主なら部屋にいると思うよ。場所は……階段下りて左に曲がった突き当り。案内しなくてもいいね」

 

 本来、一客が楼主へ会う事すらあり得ないのだが、月影は華小路の顔見知りということもあってかすんなりと面会を許された。


「わかった」

 

 月影は靜に一礼し、大座敷を後にした。

 

 ――さて……。俺の勘が正しければこの辺りにいるはず……。


 腕を組みながら廊下を歩き、靜に言われた通り階段を下りた月影だったが、左には曲がらず右へと足を向けた。そして目の前で忙しなく働く目当ての人物を見つけた。月影はニヤリと笑みを零しながら近づこうとした――が、背後から只ならぬ気配を感じ、諦めて後ろを振り返った。


「相変わらず気配を消すのが上手いね、陽斗」

「久しぶりの挨拶もなしに、一体どこに行くのかと思ったよ、叶夜」


 互いの表情は笑みを浮かべているようにも見えるが、その笑顔の裏では何やら沸々と思うことがありそうな、意味ありげな表情をしていた。

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