木来井さんの恋はおかしい

ロゼ

木来井さんの恋はおかしい

 時はXXXX年。


 突如として世界中に広がったゾンビウイルスにより、地球上の生物の半数がゾンビと化した。


 これは、そんな危機的状況の中でゾンビに恋をした少女の物語である。


 なお、その少女が少々奇っ怪である、ということだけは先にお伝えしておこう。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 木来井きぐるい 実央みお(十六歳)の朝は早い。


 朝五時に目覚めると、彼女は自室を抜け出して、地下通路を通って、本来であれば外出許可が必要な地上へと向かう。


 ゾンビウイルスが蔓延した世界では、生き残った人間は地下で生きることを決め、地上に出る際には何重にも渡る各所からの許可が必要な上、戦闘能力の高い守衛を最低二名は連れて出なければならないと世界的に決定したのは三十年前のことだ。


 十六歳の彼女も当然そのことを知っているのだが、実はゾンビウイルスが発生して三十年経った世界は、当初のパニック状態の時とは違い案外平和になっており、たまたま見つけた地上への抜け道に気付き、外に出たことでそれに気付いた彼女は、毎日こうして地上へとやってきていた。


 人影一つないすっかりと荒れ果てた道を歩き、一軒の空き家へと手慣れた様子で入っていく。


「おはよう、長野くん!」


 空き家の一室に入ると、彼女は誰かに向かって明るく声を掛けた。


「ア゛ア゛ア゛ア゛」


 部屋の中には耳障りなうめき声が響いているが、彼女はそのうめき声の主へと軽やかな足取りで近付いていく。


「良い子にしてた?」


 部屋の最奥にある学習机へとたどり着くと、彼女は満面の笑みを浮かべて、机の上にいるものへと声を掛けた。


「ヴア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」


 机の上には、明らかにゾンビ化した少年の生首が、剥製か何かのように頭部をしっかりと板に固定され、切断された首の下にはふかふかのクッションが敷かれて、置物のように置かれていた。


 生前の彼の名前は『長野 みつる』。


 生きて成長していれば、現在四十六歳だったであろうが、十六歳でゾンビ化した彼は歳を取ることもなく、現在首だけの姿でこの部屋にいる。


「長野くんは今日もカッコイイね」


 唸るばかりで意思疎通など出来ないゾンビの長野を、うっとりと見つめる木来井さん。


 血の気は失せ、口の端は切れて肉が黒く腐りかけの状態で見えており、どこからどう見ても「カッコイイ」とは程遠い長野。


 しかし、恋する乙女木来井さんにとって、長野の容姿はアイドル以上に輝いて見えていた。


「二重のまぶた」


 実際には筋肉が硬直して閉じることが出来なくなった上、皮膚が乾燥した影響で二重どころか八重くらいになっているだけである。


「憂いを帯びた綺麗な瞳」


 瞳孔が開きっぱなしになり、乾燥し、腐りかけた結果、少し白濁しかけ、ゾンビ化の影響で中途半端に腐敗化が止まったために濃いグレーになってしまっただけの目玉である。


「少しくぼんだ可愛い鼻」


 長野がゾンビ化した際に、他のゾンビ達と同様に歩き回り、ゾンビは視覚が弱いために壁や物にぶつかり続けた結果、本来の鼻よりも奥ばんでしまっただけの、残念な鼻である。


「薄くて形のいい唇」


 他のゾンビ達との共食い合戦に巻き込まれた際に、ぼってりと厚かった唇が噛みちぎられ、何とかうっすらと唇らしい残骸が残っているだけである。


「完璧すぎるわ、長野くん」


 ゾンビの長野を見てそんなことを言うのは世界中探しても木来井さんしかいないだろう。


「もう! また虫が湧いてる!」


 長野の首の下に敷かれたクッションにはウジ虫が這っており、彼女はテーブルの上に置いてある箸を使ってそれらを取り除くと窓からポイポイと捨てていく。


 それが終わると柄が長く加工されたブラシで長野の髪をブラッシング。


 前は普通のブラシを使っていたが、時折長野が暴れて板ごとひっくり返り、それを戻そうとした際に噛まれそうになったため木来井さんが加工したものである。


 なお、ブラシは梳かすだけで髪にツヤが出るという少々お高いブラシを使っており、そのため長野の髪の毛だけは常にツヤツヤである。


「本当は顔も拭いてあげたいんだけど、拭くと長野くんの大切なお肌が傷ついちゃうのよね」


 長野はゾンビなため、傷ができても治らないし、肌のターンオーバーなども起きない。


 一度汚れた肌を綺麗にしようと洗顔シートでおでこを拭いたのだが、その際に皮膚の一部が剥がれてしまったため、それ以降は顔を拭くのを諦めた木来井さん。


「髪も綺麗になったし、虫もいなくなってサッパリしたでしょ?」


「ア゛ア゛ア゛ア゛」


「うふ、どういたしまして」


 彼女の耳には長野のうめき声は勝手に脳内変換されて伝わっており、今のうめき声も「ありがとう」と翻訳されている。


 実際には思考など持たない状態なのだが。


「さ、スッキリしたらお腹空いたでしょ? ジャーン! 今日は奮発して生肉をお持ちしましたー」


 地下都市のスーパーに売られている何の変哲もない豚肉、百グラム百四十八円の品である。


「アガァァァ」


 血の匂いに反応し長野の声が大きくなった。


「や、やだ、そんな恥ずかしい」


 木来井さんの中では「君は本当に出来た彼女だよ」と変換されているようだ。


「グアァァァ」


「はいはい、待って、お肉は逃げないから。でもその前に……」


 長野の頭を固定してある板を持ち上げ移動させると、クッションの下にビニールを敷き、その上に長野の頭を戻した。


 肉の入ったタッパーのラップを剥がし、生肉を菜箸でつまむと、長野の口元へと運ぶ。


 唇に菜箸が触れた瞬間、長野は菜箸を噛んで折らんばかりに食らいつくのだが、タイミングを見て木来井さんが菜箸を引き抜き折れずに済んでいる。


「はぁ、ワイルドな食べ方……惚れ惚れしちゃう……」


 ワイルドという表現が正しいとは思えないが、グチョグチョと音を立てながら生肉を貪る長野を、木来井さんはうっとりと眺めている。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」


「もう、やだ……はい、あーん」


 木来井さんの脳内ではごく普通の恋人同士の会話が繰り広げられているが、長野は単にゾンビの本能だけで肉に食らいついている。


 当然頭しかない状態なため食べても食道の下に落ちるだけである。


 そのためのクッション上のビニールなのだ。


「今日もいっぱい食べていっぱい出したね」


 ちなみに木来井さんの中では食道を通過しただけの噛み砕かれた食料は長野の排泄物扱いである。


 再び長野の頭を移動させると、素早くビニールをまとめ、持ってきていた他のビニール袋に突っ込み口を縛る。


 こうしないと血の匂いを感じた他のゾンビ達が時折寄ってくることがあるからだ。


「愛してる(※木来井さんの脳内での会話)」


「え、そんな……愛してるだなんて……もう、恥ずかしいな! ……でも、私も、愛してる。キャ、本当に恥ずかしい!」


 本当に彼女の脳はどうなっているのだろうか?


「名残惜しいけどそろそろ帰らなきゃ」


「帰らないで欲しい……ずっと一緒にいたいんだ」


「私だってずっと一緒にいたいよ……でも、そうもいかないでしょ? 私達、まだ未成年なんだし」


「君がいないと寂しくて死んでしまいそうだ」


「そんなこと言われたら帰れなくなっちゃう……ズルいよ、長野くん」


「一緒にいてくれ」


 実際には長野はうめき声しか発していないのだが、木来井さんの脳内ではそんなふうに変換されている。


「もう……じゃ、あと少しだけね」


 うめき声を上げ続ける長野をうっとりと見つめ続ける木来井さん。


 普通にしていればそこそこ可愛い顔をした女の子なのに実にもったいない。


「じゃ、また明日」


「グルルル」


「もちろんだよ! 長野くんに会えないなんて私も耐えられないから」


「ガァァァ」


「うん、分かってる。ちゃんと気をつけて帰るから安心して」


 こうして毎朝長野との逢瀬を重ねる木来井さん。


 彼女の恋の行方はいかに!


 続く……のか?

 



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