隣家

たなべ


 その話を聞いたのは、もう三度目である。一度目は、引っ越してきたその日に向かいの家の奥さんから聞いた。二度目は、ごみ捨てに行った時、偶然出会った近所の(名前も分からない)方から聞いた。そして三度目である。今度は町内会に出席して、解散となって四五人で集まって世間話をしている時に聞いた。皆、その話をしている時は、声を潜め、如何にも重大事のようにした。そして話を聞いている側も、うんうんと相槌を打ちながら、まるで深刻な相談事をされているかのように振舞った。最初からこの町内には、この話をする時はこうしなければいけないという決まり事があるかのようであった。

 それは私の隣家の話であった。いつもいつも静まり返っていて、夜になっても電気の点かない隣家。庭の木々が繁茂し、家の正確な形を把握できない隣家。そしてその家主。近所の皆さんは大体、こうしたことを少々気味悪がっては私にその感情を共有せんと話をしてきた。「あなた、隣の家なんだから気を付けなさいね」おおよそいつもこの言葉で話は一区切りついた。そうして何事も無かったかのように全く別の話をし始めるのだった。私にはこの方がよっぽど奇妙だったが、近所の皆さんがあんまり楽しそうに話すものだから、拒絶するのも申し訳ない気がして、いつもあやふやな追従笑いを浮かべては、適当に受け流していた。しかしそれが正解のように思えた。実際、皆さんは私が「ですよね」とか「はい」とか言うと、餌を与えられた動物のように喜ぶのだった。私はそれが何だか面白かった。

 ある日、庭で花に水遣りをしていると、塀の向こう側から、「ねえちょっと」と話し掛けられた。見ると、向かいの家の奥さんであった。「あれ」と彼女が言うので、指さされた方を見てみると、隣家の主がちょうど車に乗り込むところであった。「久し振りに見たわ」そう彼女は言った。続けて、「あの人ね、いつも皆が忘れた頃に姿を現して、また忘れるまで姿を現さないの」と漏らした。たまたまだろう。私は思った。ただ、この日以後も皆さん揃いも揃っておんなじことを言うので、私はもうほとほと辟易してしまって、それで真実を確かめようと思った。本当に、忘れるまで姿を現さないのか。皆さんが言っているように気味の悪い家なのか。私は幸い時間にだけは余裕があったので、隣家の様子をリビングの大きな窓から一日観察することにした。


 6月7日(木)

 午前11時 二階の小窓のカーテンが動く

 午後2時30分 リビング(?)のカーテンが少し開く

 午後3時 一階の小窓(おそらくトイレ)が明るくなる

 午後7時 家主が出てくる。そして郵便受けを確認する

 午後9時30分 二階の部屋の電気が点く

 午後11時30分 同部屋の電気が消える


 午後11時30分以降は動きが全くなかった。おそらく就寝したのであろう。およそ健康的なくらしをしていることは分かった。大体10時頃に起床し、11時30分くらいに就寝する。もしかしたら私より健康的かもしれなかった。ただ、仕事をしていないのかと思った。外出、というか外へ出たのは、郵便受けの中身を確認した、その時だけだった。あとは、暗い家の中にずっと籠りっきりであった。

 一週間、夫には内緒で観察を続けた。しかし、これといった成果は得られなかった。6月7日がずっと繰り返されているかと思ったくらいに変化が無かった。カーテンが動くタイミングも、電気が灯るタイミングも何もかも同じだった。たまに宅配便が来て応対したり、郵便受けの中身を検める時間が長かったりするだけだった。一体、いつも何をしているのだろうか。あんなに長い一日をどうやって消化しているのだろうか。家族はいないのだろうか。どうして外出しないのだろうか。様々な疑問が尽きなかった。そしてそうした疑問を解決するには、あまりにも彼について何も知らなかった。


 そんな時、回覧板が回ってきた。今時、回覧板?と思うかもしれないが、私の住む住宅街では、昔からそうしているから、という理由で未だに回覧板を使っているのだった。それには、ごみ捨てのマナーが悪化していますとか、次の町内会は開催場所が変更になりましたとか、本当に些末なことが書いてあった。どうしてこんなことをいちいち周知しないといけないのだろうと思った。東京のマンション出身の私からすれば不可解なことだらけだった。しかしそのことを夫に言うと、

 「それが良いんじゃないか。近所の人と共同作業をしている感じがして。一人でも欠けたら、回覧板っていうのは成り立たなくなるんだから。それに何かあった時、そういうシステムがあればそれにいち早く気付けるだろう?」

 とか何とか言っていた。いまいち私を納得させるには、決定力に欠けていた。しかしここで何か言っても適当に誤魔化されるに違いなかったから、何も言わなかった。夫は朝食の食パンのパンくずをぽろぽろ落とした。

 回覧板の制度には反対であったが、それをいちいち主張するのも面倒なので私はいつも従っていた。私の家の次は例の男の家だった。私はしょうがないから夫が家を出た後、回覧板を回しに隣家へ訪ねることにした(訪ねると言っても郵便受けに回覧板を突っ込んでくるだけなのだが)。だいたい20メートルかそこらの外出なので、私はそのまま外へ出た。外は雨だった。いつも通り、郵便受けに回覧板を入れようと口に突き刺したら、大きな抵抗があった。どうやら中身がいっぱいで中に入らないらしい。毎日郵便受けを確認しているのにどうして中身がいっぱいなのか気になったが、すぐ忘れた。中を引っ掻き回すわけにもいかないし、あまり雨の外に長居したくなかったから、インターフォンを押した。家の中で呼び出し音が鳴っている気配がする。そろそろ出てくる頃だなと思ったが、玄関の扉はぴくりとも動かない。何の変化もありませんでしたよと扉が言っているような気がした。おかしいなと思って、もう一回押す。しかし10秒経っても反応が無い。しびれをきらして私は玄関の扉の前まで行って耳を澄ませた。すると、奥からピアノの音色が聞こえた。心の琴線を撫でるような柔らかい音色。瞬間、私は森の中にいるかのような錯覚に陥った。森の奥で燃えるような夕日を見た気がした。存在しない記憶。懐かしいような感じもした。この庭の木々が私のこの想像をより豊かなものにした。まるで訪れた人にこの体験をさせるよう仕向けているかのように思われた。どうしてピアノの音が?そう思った刹那、私は無意識にドアに手を引っ掛けて、手前に大きく引いた。鍵は開いていた。ガチャリと大きな音がする。ピアノの音はより大きくなって私を包み込んでいく。

 廊下は暗かった。リビングと繋がる硝子戸からわずかに漏れる電灯の光が密やかにこの空間を照らし出していた。目が慣れるまで少々時間がかかった。一分ほどで周囲が見える様になって、そしてその光景に唖然とした。廊下にA4くらいの大きさの紙が散乱していたのだ。廊下はだいたい六七メートルあったが、その奥の方まで白色で埋め尽くされていた。絨毯のようであった。手に取ってよく見てみると、紙には一番上から下まで五線譜が敷き詰められていた。そしてそこには鉛筆か何かで書かれた音符が所狭しと並んでいた。終始、私は呆気に取られていた。そんな私を置いていくかのように、ピアノは鳴り、雨音がしていた。


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