第3話 マスターの片思い

 そこは多分、小さな教会だったのだろう、かろうじて屋根の先に焼け焦げた十字架らしきものが残っていた。俺達がその中に足を踏み入れると若い女の声がした。


「お爺ちゃん、お爺ちゃん!」


 ベッドに横たわる老人に覆いかぶさるように叫んでいる十代の少女。老人は今しがた息をひきとったようだった。反応の無くなった彼の胸で泣き続ける少女。


「何だかタイミングの悪い時に来ちまったな……」


 俺の呟きにアリウスは無言のままベッドを見つめている。


「えっ!? そこにどなたかいらっしゃるのですか?」


 こちらを振り返る少女。彼女の目は見開かれてはいたが、その光を失っているのは明らかだった。彼女は目が見えない。ん? いや、おい! 俺の声が聴こえた!?


「アリウス、こりゃあどういうことだ?」


「どういうことって……、そういうことでしょ。あなたここに来るまで自分の変化に気づいてなかったの? 私はそっちの方が驚きだけど」


「はあ?」


 何だよ、変化って……。


「お嬢さん、私たちは怪しいものではないわ。ただ、たまたま声が聴こえたから……。まさか生き残りがいるなんて思いもしなかったからね。ああ、私はアリウス。で、こっちのポンコツがレノボよ。そちらがあなたのお爺さんなのね。お悔やみを申し上げるわ」


 なんだよポンコツって。俺は当時だったら最新式の……。


「ああ、神さま……。こんなことって。本当にお爺ちゃんが言っていた通り……」


 再び目を閉じてこちらを向く彼女、あれ? どこかでこの子……。


「お爺さんが言っていたというのは、どういうことかしら?」


 涙を拭いて呼吸を整える少女。ベッド脇の椅子に腰掛けると、亡くなった老人の方に向き直りその手をとって続ける。


「こんな状況でも信じていれば救いはあるって、神さまは私達のことを見ていてくれるって、そうお爺ちゃんは私を励ましてくれてたんです」


 彼女の話によれば、突如東京を襲った攻撃。通信関係も一瞬で麻痺し、スマホもパソコン、テレビ、ラジオ、あらゆるメディアが沈黙した。目の見えない彼女にとっては聖職者である祖父からの情報がすべてだったが、どうしてだか多くを語ろうとはしなかった。この教会を頼ってその災厄から一週間ほどは多くの人たちが集まっていたのだが、避難民の間で争いが起きた。それを仲裁しようとしたときに負った大怪我が原因で彼女の祖父は命を縮めたらしい。結局、連中は怪我をして満足に動けない老人と目の不自由な少女は足手まといだと判断して、二人を見捨ててどこかへ移動してしまったということだった。


「酷え話だな……」


「いえ。こんな状況です。みなさん自分のことだけで精一杯のはず、私も祖父も恨んでなどいません」


「はあ……」


 なんていうか、こういう人間ってのもいるんだな。まったく驚きだ。


「ああ、まだあなたの名前を聞いていなかったわね」


 たしかに! 俺と違ってアリウスはちゃんとしてやがる。見習わないといけないか。


「私は……」


「ちょっと待ってくれるかなお嬢さん? いま、名前を当ててみせるから」


「はい?」


 俺の言葉にいったん言葉を飲み込む彼女。


「何言ってんのよ、レノボ?」


 アリウスは胡散臭そうなものを見るような感じで俺を見る。


「まあまあ。一番初めは「ま」だな」


「あ、合ってます」


「で、最後が『あ』だ」


「はい、そうです!」


 不思議そうな顔をしていた彼女の表情が明るくなる。


「君の名前は、マリアだ」


「す、すごいです。正解です!」


 手を叩いて喜んでくれている。うん、気分がいい。


「まあ、これが俺の秘められし超能力ってやつだな」


「ちょっと、教会の子だからって聖母マリアって?」


 どうしてこうアリウスは俺に厳しいのだろうか。俺は小声で根拠を伝える。


「違うんだって、この子の写真を見たことあったのを思い出したんだよ」


「えっ、どういうこと?」


「俺達の愛すべきマスターの黒歴史をぎっしり詰め込んだ門外不出のハードディスクの中にあったんだよ。彼女はマスターの片思いだった子なんだって!」


「えっ、ええ!?」


 こんな大声を出して驚く彼女を見たのは初めてだった。俺には、いつもマスターの部屋でしっとりと音を奏でていた印象しかない。


「どうしたのですか? アリウスさん」


「い、いえ。なんでもないわ」


 

 その後、俺とアリウスは亡くなったマリアの祖父の遺体を、彼女の代わりに埋葬してやった。

 

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