第28話 2ー10 船旅 その二
宗徳と水夫の一人が食事を終えると水夫二人との交代で甲板上に上がって行った。
食事が終えるとその後片づけであるが、和気あいあいとした台所風景であった。
食事の済んだ二人が再度甲板上に行き、宗徳と水夫一人が戻って来た。
大阪湾を出るまでは船の往来もあり、二人で操船をすることになっているらしい。
彩華は食事の準備、食事、後片付けを含めてここが船の中であることを忘れそうになっていた。
むしろ陸にある岡崎の家の台所の方がよほど不便に違いない。
ご飯を炊くには女中一人が
半時ほどしてから小さな音がして米が
しかもおこげなしにである。
水は井戸に汲みに行かずとも、目の前の金物を操作するだけで必要な水を出すことができるし、流しには小さな生ごみすら逃がさない網目の小さなざるがついていた。
流しの水は貯めることもできるし排水もできる。
どうやって船の外に排出しているかはわからないのだが、非常にうまくできている仕掛けの様である。
宗徳が戻って来ると、彩華との約束を守って船を動かす力の源を教えてくれた。
船の最下層は天井が低く
彩華の腰ほどの高さがあり、全体に円筒形の形をしている金物があり、その先から同じく細い金物の軸が出ていた。
その軸がかなり速い速さで回っていたのである。
確かにその先が水の中に出ていれば水をかき回して前に進む力を生み出すかもしれなかった。
一方で、軸が船の外に出ており多分水面下であろうから、何故にその軸と船体の間から水が染み出てこないのか不思議であったが、宗徳曰く、やはり巧妙な仕組みで船の中に水が入ってこないような仕掛けがあるのだという。
それに船の中に有る灯りはこの部屋にあるエレキを起こす機械で産み起こされたものが光を生んでいるのだという。
それだけでも
彩華が割り当てられた船室に戻ると、お咲が寝る支度を整えていた。
お咲に勧められるままに寝台に横になると、随分とふかふかの布団であることが分かった。
掛けるものは厚手の一枚ものの織物であったが、部屋の中は寒くも暑くも無く、それだけで十分であるようだ。
少し話をしてから寝ることにしたが、枕元に灯りを点けたり消したりするための押し栓があることをお咲に教えられた。
お咲は水夫から教えられたそうである。
お咲がその押し栓を押すと行燈よりも少し明るい光が消え、足元に月夜よりも暗い淡い灯りがついていた。
部屋の中を動き回るにはそれで充分であった。
ご
それもお咲が水夫から教えてもらったことのようだ。
横になって間もなく尿意を催し、廊下に出ると話し声が聞こえた。
宗徳の部屋の戸口に水夫の一人が立っており、宗徳と話をしているところであった。
「・・埼を変わったところです。
予定通りですと、潜ることになりますが・・・。」
「不安か?」
「へい、あっしら水夫にとっては水の中ってのは地獄と一緒のようなもんで、・・・・。
若様の話は聞いてわかっておりますし、これまで若様の言ったことに間違いはねぇでやすから信じてはいますが、どうにもこうにもボタンを押す気持ちになれねぇもんで。」
「それはそうだろうな。
では、
「お願いしやす。」
水夫は
秋蔵が先導し、宗徳が続く。
時刻は、概ね夜の四つ、
彩華は、ご不浄に行くのを中断して、宗徳たちの後について行った。
廊下は、部屋の中よりも明るいがそれでも暗い灯りである。
階段の上下には黒い布が二重に垂れ下がっており、廊下の明りが上の部屋には漏れないようになっている。
階段を上がるとそこは水夫たちが操船をする場所であった。
周囲は暗闇であるが水平線が月明かりで見える。
夜の海というのを初めて見た彩華であるが、周囲に灯りは一切見えない。
ギヤマンから見える空は晴れていて星が良く見える。
操船を行う場所から後部の甲板に出る扉は閉じられていた。
部屋には、水夫三人と宗徳それに彩華の五人がいる。。
舵の代わりである
彩華にはそれが何であるかを判別はできないが、陸地のようなものが映っているのではないかと思っていた。
それらは決して明るくはないが、暗闇の中では見間違うことのない明るさである。
それが月夜のように淡く人の顔を照らしていた。
宗徳は周囲を一度見渡すとやがて一つの押し栓を押した。
暫くは何事も起きているようには思えなかったが、やがて彩華も気づいた。
船がどんどん沈んでいるのである。
既に前部甲板の一部を波が洗っているのがわかる。
それからの沈む速度は思いのほか速かった。
目の前の透き通ったギヤマンの窓に水が押し寄せてきたときには彩華も思わず声が出かかったのを必死でこらえた。
水が押し寄せてもギヤマンの窓から水が漏れるようなことはなかった。
やがて、ギヤマンの上まで完全に水が覆った。
それからしばらく誰もが身じろぎもせずに立っていた。
宗徳が静かに言った。
「異常はなさそうだな。
後は、予定通りの深度と速力で行ってくれ。
見張りは一人でいい。
何か気になることがあれば遠慮なく儂を起こせばいい。
明日の朝には大島沖にいるはずだ。」
宗徳は彩華の肩に触れ、肩を押すようにして誘った。
彩華が先頭に立って、船室のある通路に降り立ち、宗徳の指示に従って、食事をした広い船室に入った。
隅にある固定の椅子に並んで腰を降ろし、宗徳は話をしてくれた。
「この船はね。
水の中を潜るように造られている。
水の上では左程早くはないけれど、それでも今までの状態では半時で一里半ほどは進めるだろう。
帆を出せば、風の向きによっては半時で五里ほども進めるかもしれない。
でも水の中に潜れば、半時で十五里ほども進める力をこの船は持っている。
大阪から伊豆の大島まではおよそ百二十里ほどだが、一日の半分ほどで十分に走ることができるわけだ。
今、紀州の
大島までは八十里ほどの距離だ、三刻もあれば大島沖に到達する。
明け六つ頃には大島の近傍に到達しているはずだ。
夜が明ける前には海の上に出て、海上を走ることになる。
そうして今度は帆を上げて走ることになるだろうな。
風向きさえ良ければ昼前に、風向きが悪くても暮れ六つまでには品川沖に着けるだろう。」
「まぁ、大阪を立ったのが昨日で、
宗徳は頷いた。
「のんびり旅も良いが、たまには楽な旅も良いだろう。
それに明後日以降は海も時化て来る。
だから、このことは誰にも内緒だよ
他の者にも口をつぐむように明日には伝える。」
「わかりました。
でも、私は身分だけではなく随分と大層なお人と許嫁になってしまったのですね。」
「うむ、そうかもしれぬな。
婚約を取りやめるなら今の内かもしれぬぞ。」
宗徳はいたずらっぽく言って笑った。
「いいえ、宗徳様と一緒ならば色々と目新しきことを教えてくれそうです。
ますます離れがたくなりました。」
「そうか、それは良かった。」
宗徳はそう言って彩華の肩に両手を掛けて軽く引き寄せた。
互いの位置が近づき、宗徳の好ましい顔が目の前にあった。
暫し見つめ合い、予感があったわけではないが彩華が目を閉じると口づけされた。
心の臓がどきどきと脈打っているのがわかるほど、彩華は興奮していた。
今求められたならきっと肌を許すに違いないと感じていた。
唇と唇が触れただけであるのに、宗徳に抱き着きたくなった。
左程長い時間ではなかったのだろうと思う。
宗徳の唇が離れた。
彩華はそのまま宗徳の胸に頭を預けるようにしなだれた。
宗徳は黙って軽く彩華の身体を抱いている。
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