第14話 1ー14 仇討ちへの道

 彩華は、改めて顔を上げ、松倉の目を見ながら言った。


「以前より、残っていた疑念にございます。

 松倉様が一体どのようなお方であるのか・・・。

 性格、気質、たぐいまれなる剣の腕と豊富な知識は、私にもわかります。

 ですが、松倉様の素性すじょうが知れませぬ。

 今日もその片鱗へんりん垣間見かいまみ、どうしても松倉様がただの浪人とは思えなくなりました。

 松倉様は高い身分にある方ではないかと私は疑っております。

 松倉様は我が殿に明日の仇討成就じょうじゅをお約束なされました。

 しかしながら、乱戦ともなれば、或いは我が命たれる事態が起きるやもしれません。

 その前にどうか松倉様の御身分お明かしいただけませぬか。

 さもなくば・・・。」


 その後を、松倉が続けた。


「心が動揺して、まともに戦いに挑めぬか?」


「はい。」


「彩華殿の心中わからぬでもない。

 だが、私は正真正銘の素浪人。

 どこぞの誰かに仕官しているわけではない。

 水野の殿様が、我が名を殿付けしたり、『千代』と言う名が飛び出して来たので、そなたとしては不安におちいったのであろうが、その事情は明日全てが片付いたおりに話をしよう。

 今は言えぬな。

 それに、そなたの心の動揺は、女として、許嫁いいなずけとしてのものじゃ。

 今は、仇討以外のことは忘れよ。

 以前、わしは三月の間に、そなたの許嫁に値する男かどうかそなたの目で確かめよと申した筈。

 その刻限は未だ来ていない。

 儂がそなたの許嫁であり続けるかどうかは、明日の結果次第とも言えよう。

  とは言いながら、明日の結果は見えておる。

塩崎の剣はそなた達には通用せぬ。

 自信を持ってのぞむがよい。」


 そばから宗長が口を挟んだ。


「姉上が松倉様をしたうお気持ちは、私にもわかりすぎるほどわかっています。

 女子おなごなれば、これほどの方に添い遂げたいと願うのは当然の話です。

 仮に、明日、万が一にも命を落とすようなことがあっても、姉上には、掛けがえのない思い出があるではないですか。

 少なくとも松倉様と許嫁になり、この一月余りの間に、寝食を共にしたという大事な思い出が・・・。

 私も弟子の一人にございますが、姉上をかほどにうあらやましく思ったことはございません。

 師匠は、いつも姉上がことに配慮されておりました。

 私も弥吉も男ですから多少の我慢は致します。

 だが同じ弟子としての立場ならひがむほどの心づかいを示されていましたよ。

 姉上とて当然ご承知の筈。

 それなのに更に師匠へ自らの疑念をぶつけるなど、ただの我儘わがままであり、嫉妬しっとにしか過ぎませぬ。

 我が殿が、千代殿と言ういずこかの女性の名をおおせになったことで嫉妬を覚えられたのでしょう。

 でも、私は、師匠を信じています。

 師匠が他に好きな女性がいる場合は、仮に取り敢えずの便法べんぽうでも姉上の許嫁と称することはありませぬ。

 千代様がどのようなお方であっても宜しいではありませぬか。

 必要であれば、きっと師匠がお引き合わせ下さり、姉上をご紹介くださるに違いありません。

 その際に、我儘で悋気りんき持ちの女と言われたくはないでしょう。」


「小一郎、私は決してそのような・・・。」


「姉上、小一郎ではございませぬ。

 宗長というお名を頂戴いたしました。」


「ごめんなさい。

 宗長殿、私は悋気りんきで申したわけではございませぬ。

 でも、不安なのです。」


 今度は微笑みながら弥吉が言った。


「お嬢様、本当に松倉様に惚れてしまったご様子ですね。

 松倉様は、明日全てが終わったならお話し下さる筈、それでようございましょう。

 私も松倉様を知らなかった当初は、いきなりお嬢様と許嫁になったとお聞きしたので、素浪人でしかないお方なれば、お嬢様のお輿入れには反対しますと松倉様に申し上げたものにございます。

 松倉様は、身分の上下には余り関心を示さないお方にござりましょう。

 ですから自分が浪人者であっても、お嬢様との縁談には差し障りが無いとお考えです。

 多分、それが逆の立場の場合でも、松倉様は同じ考えで臨まれるのではないかと思います。

 例えば、松倉様がどこぞの大名の若様であっても、また仮にお嬢様が貧乏農家の娘であっても、あるいは岡場所おかばしょ)の娼婦しょうふであったにせよ、松倉様は許嫁として振る舞われるお方だと思います。

 ですから松倉様は、松倉様の氏素性ではなく、その為人ひととなりを見極めるためにお嬢様に三月みつきの猶予を与えたのだろうと思います。

 人は貴賤きせんで判断するものではないという教えそのままに、松倉様は実践をされておられます。

 身分違いという意識などに捕われずに松倉様をお慕いし、そのお人柄を見分けなされ。

 この弥吉、左程の力はございませぬが、お嬢様のためなら、たとえ将軍様であってもかけあう覚悟がございます。

 斯波の親戚筋も何かとわずらわしゅうございましょうが、私や母上様にお任せあれ。

 いざとなれば駆け落ちでもなされればよろしい。

 でも、きっとお嬢様の望む方向に動くような気がいたします。」


 彩華は、弟や弥吉にいさめられて嬉しかった。

 かほどに心配をしてくれていたのだと初めて気づいたのである。



「松倉様、宗長殿、そうして弥吉、済みませぬ。

 私の考えが浅はかでございました。

 全ては、仇討の後の事にございましょう。

 明日は、すべての想いを託して塩崎を討ちまする。」


 四人が皆微笑んだ。


 ◇◇◇◇


 翌朝、四人は仇討の準備を始めた。

 松倉と弥吉は、普段の羽織袴に白の襦袢じゅばんをつけており、宗長と彩華は白装束に襷掛たすきがけである。


 これらの衣装は白木屋が準備してくれたものである。

 但し、この白装束では、目黒までの途上目立ちすぎるので、駕籠かごを二丁手配してある。


 そうして、夜がまだ明けきらぬうちに白木屋を出立した。

 最初の頃は、四六時中ついていた見張りが近頃は途絶えており、日中だけのお座なりの手配になっている。


 何しろ、白木屋に入ったきり、全くと言っていいほど外出しないからである。

 だから四人の出立に監視の目は気づかなかった。


 途中で休憩をはさみながら一時ほどかけて辰の上刻たつのじょうこくには目黒下屋敷の近傍に達していた。

 目黒不動の先に岡崎藩下屋敷がある。


 およそ三千坪の敷地に土塀を張り巡らせた屋敷であるが、周囲はほとんど畑であり、夜は人気が全くなくなる場所でもある。

 下屋敷は余り利用はされていないが、ご府内の中枢に位置する上屋敷や中屋敷では中々飼うに難しい馬を飼い、厩番うまやばんを二人抱えているほか、上屋敷又は中屋敷で不具合が生じた場合の替え屋敷ともなっているのである。


 本来、参勤交代で大勢の供揃えが入府した場合の控え屋敷でもあるのだが、水野忠之が若年寄になってからは、国元にほとんど帰ってはいないのである。

 そのために、当初は多数の徒士かちも控えてはいたのだが、二年、三年と経つうちに、物入りを抑えるために多くの下屋敷勤番の者を国元に帰して在府の人数はできるだけ少なくしているのである。


 下屋敷には、屋敷を維持するに必要な最低限度の人員は置いているが、部屋数に比べるとかなり少ないと言える。

 武士は少ないが、滞在する武士の割には中間、女中など屋敷奉公の者が多いことも特徴であるが、中間、女中は年寄りが多い。


 近来の定数では、用人及び次席を除き、馬回り役五名、徒士五人が常駐し、厩番二人、中間四人、女中五人が置かれている。

 用人と次席が上士じょうしであるが、残りの武士はいずれも下士かしである。


 但し、今現在は、岡崎から出府した探索方二名がここ三月ほど下屋敷に入っているために、武家が十四名となっているはずであり、そのほかにも岡崎からの使いなどが泊まることもあって、この数は時に増減している。

 中間或いは女中の若い者で目端の利く者は中屋敷又は上屋敷に上がり、左程ではない者が下屋敷務めとなっているようだ。


 目黒不動で駕籠を降りた彩華と宗長は、境内に少し入った空き地で白装束の上に羽織を着て、少しの間駕籠で強張った手足を伸ばし、血行を良くした。

 間もなく四人は連れ立って田舎道を西へ進み始めた。


 そこから半里ほどで岡崎藩下屋敷があった。

 筧十兵衛は、半時ほど遅れて到着し、正門と裏門にそれぞれ三人を配置し、待機する予定になっている。

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