"TS"美少女【ダンジョン配信】者だけど(多分)俺が一番かわいい!!
白秋凜乎
朝おん
「俺、…………かわいい?」
口を衝いて出たのは、一般成人男性であるところの自分、『霧情イト』を表すのには到底相応しくない、仕草や容姿を形容する"その"言葉。
だが、俺が驚いたのは無意識に発された声の内容にではなく、音そのものだった。
確かに自分の身から、甘く未成熟で、肺活量が足りないのか溶けて詰まった喉から掠れて出る吐息を孕んだような、少女の声がした。
魔素エネルギーへの転換に伴い、本格的に二酸化炭素の排出量が抑えられてきたこのごろ、今は古いSDGsに感化されたわけでもなく、俺は寝苦しい夏の夜を窓全開に扇風機直当てパンツ一丁で戦い抜いてきた。
当然、そんな時代錯誤な装備では肉体の管理に支障をきたし、俺は寝る前と後には強大な尿意に襲われることになる。
ただでさえ水分の摂取量が多い
流石に二十代なりたてでこの頻尿度合いはまずいかとも思ってはいるが、家事以外はやることもなく親の金で自堕落に生きている俺にそれをわざわざ何とかしようという気は起きずに今に至る。
そう、今、この日、寝起きの俺はかつてない巨大な尿意に目を覚ました。
ダンジョンに飲み込まれて久しいあの壮大なマウント富士を思わせる下半身への圧力は俺の全神経を刺激し、脳裏にトイレまでの最速ルートを描き出した。
幸いにして場所は開け放たれた部屋の扉を出てすぐ廊下の右のつきあたりだ。
どうやら外は雨のようで、網戸から振り込む雨風が部屋を薄く濡らし、ジトっとした汗の感覚に体が震える。
九合目を軽々越えた尿意を決死の意思で抑え込み、上半身を起こそうとしたところで視界に違和感を覚えた。
どうも遠近感がおかしいのだ。
見える範囲の体のパーツと見慣れた部屋の壁の位置や家具の大きさが昨日までと違いすぎる。
それに何だか後ろに引っ張られるように頭が重い。
もしかしたら不健康な寝方が祟ってついに風邪でも引いたのかもしれない。
思えば動かしづらいような気がする手足で這って、ゆるゆるのパンツを片手で押さえながらようやく俺はベッドから抜け出した。
床に降り立つのと同時に部屋に設置された古いデジタルデバイスが起動し、現在時刻が表示される。
午前五時三十二分、何時もより早く起きてしまった。
その根本原因を取り除くべく俺は薄暗い屋内を進む。
ここでも明らかに様子がおかしかった。
住み慣れた我が家の自室からトイレまでなんて普段なら目を瞑ってでも行けるはずなのに、やけに遠く感じたのだ。
それでも異常を特定できなかったのは、生物学的に性別、年齢まで変わってしまった小さくなった体でそれしか異常が無いこと自体が"異常"であったからだ。
そう、トイレの扉に手を伸ばしたところで気がついた。
俺はドアノブに向かって地面と平行になるように腕を伸ばしていた。
明らかに小さい手、細い手首、短い腕、丸っこい肩。
俺の身長はドアノブほどの高さに頭一個のせた分しかなかった。
パンツがストンと落ちるのも気にせず、反射的にもう片方の腕を並べてみる……白くて柔らかい。
頬を両手の平で触る……もちもち。
胸に触れる……ある。
下……ない……。
幼い頃、妹が見るからと言って恥ずかしいのをごまかして女児アニメを見ていたことがある。
初恋だった漫画のキャラクターは、あとから知ったが女装男子だった。
中学になる頃には立派な処女厨で、やがて百合以外を体が受けつけなくなり、男よ全て滅びろと割とマジで思っていた。
初めてのバイト代で、妄想していた美少女になった自分に着せる用の服をコーディネートしたことがある。
生まれたときから手に入れられなくなってしまったもの。
思えば"それ"に囚われ続けた人生だった。
昔から器用貧乏に色々できる方で、親の影響でそれなりに頭も使えたからダンジョン以外の色んなものに手を出してはやめてを繰り返してきた。
やりきれる才能がなかったのは確かだと思う。
努力が上手い方ではないし、人付き合いもある時期から意図的に避けるようになった。
それでもずっと考え続けてきたのは足りない"それ"がもしもあったときの自分のこと。
"それ"さえあれば何をしても俺は俺を赦すことができる。
どんなことでも楽しめる自分になれる。
ずっと求めていた、『何か』ができる。
だって"それ"は正義だから。
俺は溢れ出す興奮に体が壊れないように、有り余るエネルギーを使って全力で飛び跳ねながら扉を叩いた。
「イトぉ? おはよ、ちょいうるさい……」と、妹であるところの『霧情ユアン』の眠たげな声とともにトイレの扉が開く。
妹を見上げるのは初めてだ、寝不足なのか少しくまのあるユアンの透き通るような薄い瞳に俺のその姿が映る。
眉毛のあたりで切り揃えられた、頬に沿って触覚のように垂れるパーツのついた腰ほどまである艶のある黒髪。
薄く赤が差した黒、飴細工のように繊細な目の曲面。
眠たげに擦っていた目を見開いてまじまじとこちらを眺めるユアンに、俺は勢いのまま"それ"の質問を投げかける。
そんな自分の声さえ、驚くほど……
「超かわいい」
グッと親指を立てるユアン。
それが返答であり、俺と妹の、否、世界の答えだった。
俺はかわいい。超かわいい。
全身が打ち震えるかのような快感、次に心が身体をすり抜けたような開放感、そしてそんな俺も可愛かった。
まずはいっぱいいろんな服を着よう。
今まで行けなかったところにも行って、行ったことある場所ではできなかったことをしよう。
やりたいことはいくらでも思いつく。
今ならどれだけ凄いことだってやりきれる。
なぜなら俺はかわいいから。
ところで俺は直近でしたかったことがあったはずだが。
ふと我に返って思う。
俺の顔を見ていたユアンの視線は、床に合わせられている。
「あっ……」そうか、なくなったのだからその分近くなるよな。
朝起きたら女の子になっていたその日、得た可愛さの分、俺は失った。
外では雨が降り続いていた。
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