信じることの影響力
タクヤ
信じることの力・バフ
私は、何かを信じるということはある一定の強度を超えると体に良い影響、あるいは悪い影響が起きるものだと思います。
まず、良い影響から解説してみたいと思います。
信じるということの代表的なものを一つ取り上げるとしたら、宗教ではないかと
私は思います。
その信仰のもっとも足るものは、死を恐れないということです。
人は長い歴史の中でいくつもの宗教、信仰に基づく戦争がありました。
私は学者ではなく、根拠はなくて恐縮なのですが、宗教によっては死後、戦ったものはいわゆる天国、あるいは極楽的な次元に向かうということを信じた末に、死をも恐れない戦士へと駆り立てたものだと思います。もちろん、他のいくつかの要因もあるとは思っていますが、これが最も大きいものではなかったのでしょうか。
次に、アスリートの立場から考えてみます。オリンピックなど、国を代表する人たち、あるいはサッカー、ラグビーなどのチームスポーツはただ単に身体能力が優れているだけではないと私は思います。
彼らの考え方の一つとして、私はまず、彼ら自身の身体的能力はもちろん、彼らの日々の努力、そして他の仲間を信じる、チームとして信じるという行為が、彼らの身体的潜在力を大きくしているのではないかと考えます。
その中で、特に注目していることは、自分自身を信じることと、チーム全体として、仲間を信じること、これはもちろんどちらも大事なのですが、難易度としてはチーム全体として、仲間一人一人を信じるということは遥かに至難なのではないのでしょうか。
といいますのは人というのは様々な性格、人生の背景、経験、そして思想信念があるものだと私は考えています。
なので一人一人を信じるということは個人を尊重することはもちろん、深い理解が必要だと私は考えます。
総じて、私の結論になりますが、チーム全体を信じているアスリートと、それができないものでは、身体的能力の実戦での差、いわゆる「バフ」が大きく出るものだと思います。
初めて記述するエッセイだったので、うまくまとめられているかはわかりませんが、次回は「デバフ」いわゆるネガティブな面についても私の考察をお話ししたいと思います。
ありがとうございました。
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