第13話 剣聖の末裔
あー、行きたくない。行きたくないなぁ。
鏡に映った自分を見てアルナールは呟く。心の中ではなく、声に出して。しかし身支度を手伝っていた侍女たちは全員素知らぬ顔で仕事を続けていた。アルナールが舞踏会を嫌うなど、今に始まったことではないからだ。
王都アリヴィティームにおける社交シーズンの幕開け、皇室主催の舞踏会にのみ参加することに決めたアルナール。
美しく着飾ってしゃらりしゃらりと歩くのはまったくもって面倒なことだが、ここで顔を出さねば後々さらに面倒なことが起こると予測されるからだ。
問題は皇室との付き合いでなく、弟レオニアスの人付き合いの方である。
姉弟そろって『帝国の薔薇』と呼ばれた祖母の美貌を受け継いだため、幼い頃から
実のところ、中央社交界に留まらずウラヴォルペ公爵領にまで乗り込んでくる求婚者もいて、それは公爵夫妻が可能な限り丁重に(不可能な時はアルナールがちょっと過激な方法で)お帰りいただいている。その中にはレオニアスへの求婚者もいる。当人はほとんど本邸に寄り付かないため、アルナールへの求婚者だと思い込んでいるようだが。
父上も母上も「穏便に!」って念押ししていたけど、ぶった切るんじゃなくてぶん殴るんだから、まぁまぁ穏便よね?
今度は侍女たちが激しく首を横に振っていたが、アルナールは見ないことにした。
たっぷりとひだのついた薄紅色のドレスは、刺繍とレースで装飾され、背の高いアルナールを華奢に見せていたが、彼女に言わせれば「布の無駄遣い」でしかない。
重たいルビーのイヤリングを自分で身に着けた後、左右の太ももに短剣を装備する。本当は長剣のほうが得意だが、まぁここは妥協しよう。髪飾りは虹鋼のかんざしを特注した。短剣と同様、こちらも魔獣に通用する武器だ。
さぁ、いざ行きますか、戦場へ。
胸を張って歩くアルナールの前で、静かに重厚な木製の扉が開かれていった。
* * *
「今日はキレイだね、姉上」
だいたいの女性陣から怒りを買いそうな発言をしたのは、弟のレオニアスだ。
とりあえず一発ぶん殴っておく。着飾った女性に対しては「本日はいっそう美しいですね」以上の言葉をかけなければならない。社交界の常識である。
「……社交界にほぼ姿を現さない人に、常識を説かれても納得できない」
と弟が言うので、
「じゃあ納得できるまで殴ろうか?」
というと黙った。素直でよろしい。
かく言うレオニアスもなかなかの仕上がりだ。
白を基調にした貴族的な礼服は、裏地に淡い紅色が使われ、飾りタイの留め具にも紅色の宝石があしらわれている。着こなしの難しい配色だ。金糸の刺繍と房で仕上げた衣装はかなり目立つが、端正な顔立ちと品よく結ばれた唇が、衣装に見劣りしない典雅な雰囲気を漂わせている。何より、長い睫毛にふちどられた薔薇色の瞳は、どの宝石よりも美しく輝いていた。
(あー、これはまた色んな女が寄ってくるだろうな。それ自体はいいことなんだけどさ)
アルナールは髪をかきむしりたい気分になったが、侍女たちの仕事を無駄にしないためにぐっとこらえる。
「あんた、今日は私のエスコートっていう偉大な役割があるからいいけど。他のパーティにはひとりで行くつもりなの?」
舞踏会場までの長い廊下を歩きながら、アルナールが尋ねる。
「単身者はそれが普通だろ」
その通りなのだが、この弟がひとりでパーティに出席すると、たくさんの熱帯魚たちが群がってくるのだ。下は7歳、上は70歳までよりどりみどりである。
アルナールはため息をついた。
アルカンレーブ帝国において、秋の社交シーズンの幕開けを告げるのは、皇后の誕生祭と決まっている。
皇后宮は、別名「
今宵も、皇后は皇室の伝統色である青いドレスに身を包み、二階へと続く白い階段の上で優雅に手を振っていた。背後には、皇太子と第二皇子を従えている。皇帝は、体調に不安があるとのことで欠席だと告げられた。
舞踏会は、四大家門――皇家、ウラヴォルペ公爵家、ヘムズヒュール公爵家、ディビエラ公爵家――のダンスから始まる。
皇太子は婚約者と、残る公爵家はそれぞれ公爵夫妻が手を取り合って踊る。
アルナールは弟とダンスを踊りながら、他の家門の顔ぶれを見ていた。特に、ヘムズヒュール公爵家の面々が興味深い。
(水面下での女の争いが熾烈を極めている匂いがするわね)
ヘムズヒュール公爵家は、ウラヴォルペ公爵家と同じく始祖の英雄の末裔……錬金術師を祖先に持つ家系だ。現代においても優れた錬金術師を輩出するほか、
帝国では、男性が複数妻を持つことが認められている、本日のヘムズヒュール公爵は、第一夫人と第二夫人、そして愛人を伴って出席していた。それぞれの間に設けた子どもと一緒に。その子を後継者にしようと、母親たちは互いを牽制している。そして、アルナールとレオニアスのダンスが終わるや否や、男子はアルナールに、女子はレオニアスに殺到して次のダンスを申し込んだ。一番下の子どもは、確かまだ7歳だったはずだ。
笑おうとして、アルナールはやめた。どれほど滑稽に見えても、これが貴族の結婚事情である。
アルナールか、レオニアスの子どもがウラヴォルペ公爵家を継承せねばならない。それは単に家門を存続するという意味ではなく、聖剣リ・レマルゴスの祝福を後世に伝え、領地と領民ひいては帝国全土を守護することである。
剣聖の末裔に生まれた意味を、果たして弟は正しく理解しているのだろうか。
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