第10話 三足の草鞋

「麦酒4つと、野菜炒め大盛り」

 接客用語というものが分からないレオニアスは、それだけ言ってテーブルに料理を置いた。

「おぅ、兄ちゃん。酒場なんだからちったぁ愛想よく――ああああ愛想なんて人生に必要ねぇっすね、失礼しました」

 傭兵風の男は、レオニアスを見ると、ものすごい勢いで頭を下げた。ここは首都である。レオニアスの顔を知るものは珍しくない。何回かに一度、このような反応をされる。

「すまない、入ったばかりで、勝手がよく分からないんだ」

「いいっす、大丈夫です。たぶんそれ、坊ちゃんは知らなくても生きていけるやつです」

 同じテーブルにいた、先ほどより若い男がフォローしてくれた。


 レオニアスは憮然としながらカウンター内に戻る。

「師匠。酒場の仕事と、騎士の仕事に何の関係が――」

「ほれ、ぼさっとすんな! 4番テーブル、茄子の煮びたしと麦酒追加!」

 そこに料理がある以上、運ばねばならない。

 心を無にしよう、と決めたレオニアスを、先輩店員フレジアがあたたかく見守っていた。


 明るい栗色の髪を首のあたりで切りそろえた彼女はレオニアスとすれ違う時、小さく両手のこぶしを握り締めて見せた。「いっしょに頑張ろう!」という合図だ。

 その優しい色合いの栗色の瞳を見ると、いつも子リスを思い出すレオニアスは、今日も口元が自然に笑みの形になるのだった。


 エアルヴィオニーがレオニアスの師匠に名乗り出たことを告げると、現公爵であるゴウシュ・フォン・ウラヴォルペはあっさり「許可する」と言った。肉体は壮健ながらまだ40代であるのに髪に白いものが混じり始めた父は多くを語らず、拍子抜けしたレオニアスは剣術指南役を務めているミラーノ・パルマンにも報告したが、こちらもすんなり了承してくれた。

(べつに、大反対されることを期待していたわけじゃないが)

 と思いながらも釈然としないでいると、ミラーノは説明を付け加えた。

「エアルヴィオニーと言えば『砂漠の女獅子』と呼ばれた有名な傭兵ですよ。異なる流派を学ぶのもいい機会です。しごかれてきてください」


 そういった次第で、レオニアスは現在「公爵家の令息」と「騎士」と「酒場の店員」という三足の草鞋わらじを履いている。

 黒いエプロンのみ店から支給されるため、他の衣装は私服でまかなうことに。

 綿の白いシャツと黒いパンツ、シンプルなデザインの革の長靴。赤みを帯びた金髪はうなじの後ろでひとつにまとめている。それだけの簡素な格好だが、もちろん女性客からは熱狂的な支持を受けていた。

 中には熱狂的な支持をくれる男性客もいたが、レオニアスがうまくあしらえないでいると厨房内からレードルやフォークやスプーンが飛んでくるのでなんとか勤務出来ている。


「君の母上は、店の中のことをよく見ているね。背中に目がついているのかと思ったよ」

 レオニアスが言うと、フレジアはくすくすと楽しげに笑う。

「お店の外も見えているかも。新規のお客さんが何人入ってくるか分かるのよ」

「それはすごいな」

 素直にそう思った。


 客の入りが落ち着いてきたので洗い物をしていると、横から𠮟責が飛ぶ。

「手元ばかり見るな。ほら、5番持って行ってくれ。あと葡萄酒の赤、瓶開けて!」

(手元を見ないで、どうやって作業するんだ……)

 内心ぼやきつつも料理を運んで戻ってくると、2つのフライパンを操っているエアルヴィオニーが言った。

「お前、遠山えんざんの目付けは習ってないのか?」

「……!」

 言われてハッとした。


 それは武道において、目前の敵の一点のみを見るのではなく、遠くの山を見るように全体を見渡せる視線を保つことを言う。目の前の敵だけに集中していては、横合いの敵や後方の異変など重要な情報を見落とすかもしれないからだ。

「弟子入りさせるって言ったろ。常に戦場に立っているつもりで行動しな。敵の先を読み、味方の状況を把握するんだ……明日は実践訓練をやるからな」


 翌日。エアルヴィオニーは言葉通り、レオニアスに訓練をつけてくれた。

 別邸にある小規模な訓練場で半日を費やした。レオニアスは刃を潰した訓練用の剣、師匠はよくしなる木の枝。これほどの差がありながら、一本も取ることが出来ない。

「まずは10本のうち1本。どうすれば可能になるかしこたま考えろ。期限は一ヵ月」


 これをレオニアスから聞いたミラーノは「いい訓練だ」と思った。明確な目標と期限がある。そのために何をすべきか、思考が一本に絞り込まれるため、考えすぎる癖があるレオニアスにとってはやりやすいはずだ。

 ミラーノの意見を聞きスッキリと納得した半面、落ち着かない心地を感じている自分に気付いたレオニアス。

 記憶を手繰ると、もう10年以上の付き合いになる彼と、一対一で飲み食いしたことがない。たしか、パルマン伯爵家の家族を招いて晩餐会を開いたことはあったはずだが……。

 広くはない(公爵家の感覚としては)応接室で向き合って座り、幾種類かの肴を挟んで酒を酌み交わすという現状が、どうにも面映ゆい。今さらながら、何を話していいか分からなくなってしまった。

 レオニアスが黙り込むと、ミラーノはまた白い葡萄酒に口をつけた。2杯目だが、酔っている様子は感じられない。薄いガラスで造られた容器をテーブルクロスの置き、静かに言った。

「最近のレオン様、いい傾向が見られますね」

 意味を尋ねると、積極性が生まれたということらしい。

「以前はなかったでしょ。こんな風に飲んだり、騎士団の仲間の意見を聞いたり。自分の中で考えを完結してしまう性格だから。新しい友人でも出来ましたか?」

 そう言われて、思い浮かんだのは。

 やわらかそうな栗色の髪、ころころと表情を変える栗色の瞳。好きなものを好きだとはっきり声に出して話す、フレジア・ガロテの姿だ。

 レオニアスも葡萄酒を口に含んだ。

「そうだね。僕も、好きなものを見つけてみたいと思ったんだ。それが何なのかはまだ分からないけど……」

「そうですか」

 答えたミラーノは、わずかに微笑んでいるようだった。

(いつか、友人だよと言ってフレジアを紹介出来るといいな)

 なんだかいい気分になってきたのは、酒のせいだけではないような気がする。

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