第5話 指南役

 ヒヤッと、冷たいものが一筋、腹の上を通り過ぎる感覚がした。

 レオニアスは降参の意を込めて、剣を静かに下ろす。

「隙だらけですよ、レオン様。ちゃんと稽古に集中してください」

 石板と煉瓦で造られた練兵場に、ミラーノの声が響く。太陽は公爵家の後ろに沈みつつあり、ここにいるのは自主訓練を行っている数名の団員のみだ。

 ミラーノ・フォン・パルマンは、パルマン伯爵家の嫡子でありウラヴォルペ騎士団の上級騎士である。幼い頃から、レオニアスの指南役を務めている。硬い鳶色の髪、暗褐色の瞳を持ち、年齢はレオニアスの6歳上。若いが、魔物討伐の遠征任務で幾度も功績を上げた歴戦の戦士だ。

 叱咤するミラーノの構えには隙が無く、剣体一致の境地が垣間見える。体格はレオニアスとほとんど変わらないというのに、彼と自分との間には、年齢以上の差があるように思えてならない。

「……レオン様、どうしました? 恋人に振られでもしましたか? それとも、水虫がかゆいとか?」

「お前のたとえは極端なんだよ」

 レオニアスは一礼して剣を収めた。遅れて、ミラーノも同様に剣を収め、ふたりで水飲み場に移動する。

 公共の井戸や水飲み場は、水を浄化するための芸術の虹アルカンシェルで造られている。公爵家のものとなればとりわけ豪華で、豊かさを象徴する水牛の口から絶え間なく飲用水が流れているほか、汗を流すための公衆浴場も設置されている。

 たっぷり水を入れたガラスの容器に口づけながら、レオニアスは空を見上げた。

 夕方から夜へと移り変わる時間、紫色と橙色が入り混じったキャンバスに、黒っぽい街路灯の先端が刺さる。暖炉のように温かみのある光は、虹の貴石エリストルを加工して作られたもので、公爵邸にやわらかい陰影を生み出している。

 じっと手を見る。白い手にできたいくつもの剣だこ。隣を見れば、ミラーノも同じような手をしている。

 視線に気づいたミラーノが、軽く眉をひそめた。公共の場であればそれなりに表情を消すことを心得ている男だが、そこは幼馴染みとしての気安さがある。

「レオン様、まさか俺に惚れたとか言いませんよね?」

 レオニアスは軽くミラーノの腹にこぶしを当てた。

「冗談でも、やめてくれ。冒険者連中にからかわれるだけでも飽き飽きしてるのに、首都に顔でも出せば、女にも男にも口説かれる」

「ロマンスに不自由がなくて、結構なことですね」

「いや、不自由している。お前とは違う意味で」

 今度は、ミラーノに軽く小突かれた。くすり、と笑いがこぼれた。

「なぁ、ミラーノ。お前、剣術が好きか?」

 唐突にそんな言葉が出てきて、レオニアス自身は驚いたが、ミラーノにそんなそぶりはない。

「うーん、別に好きではないですけど。嫌いじゃないし、適正もあるし、立場上やらないわけにもいかないし?」

 パルマン伯爵家は、ウラヴォルペ騎士団の団長や副団長も輩出している剣の名門である。その一人息子となれば、剣を極める以外の道は認められないのかもしれない。

「立場上、ということならば、僕だってそうさ。剣聖の末裔、ウラヴォルペの嫡子……でも残念ながら、僕に剣術の才能があるとは思えない。小公爵は姉上と決まった。僕が剣術を続けることに意味はあるんだろうか?」

 レオニアスが握ったままのガラスの容器を取り上げたミラーノは、自分のものとまとめてすすぎ、置き場に戻した。

「レオン様、騎士団辞めるつもりですか?」

「そこまでは、考えていないが……」

 レオニアスがゆるく首を振ると、赤みを帯びた金髪も揺れる。首筋で髪をまとめておいた紐が緩んでいるのに気づいて結びなおす。

 ミラーノは軽く息を吐き、

「なら、俺の知ったこっちゃないな」

と、薄情ともとれる言葉を吐いた。

 非難の眼差しを向けるレオニアスに対してまっすぐ向き合う。

「レオン様が剣術を好きだろうと嫌いだろうと、得意だろうと苦手だろうと関係ない。騎士団に所属する以上は、厳しく指導します。それが、生きて帰るために必要なことだから」

 もしレオニアスに剣の才能があり、手柄でも立てれば、ミラーノも教え甲斐があるだろうしもっと評価されるだろう。しかし現実はそうではない。レオニアスの腕では、最も危険な境界の討伐任務の前線に立つことは許可されない。後方支援や町の警邏けいらがレオニアスの主な任務だ。

「公爵家の息子なのに」

「派手なのは見た目だけだな」

 そんな言葉をよく聞いた。

 だがミラーノは、レオニアスにへりくだることもないが見下すこともない。淡々と、指南役としての役目を果たし続けている。聖剣に「才能がない」と言われているレオニアスがとにもかくにも下級騎士としてやっていけるのは、彼の助けが大きいだろう。

 挨拶を交わして去って行くミラーノの背中にかけるべき言葉は、「すまない」なのか「ありがとう」なのか。

 判断がつかず、黙って見送るレオニアスを、薄い色の三日月が見下ろしていた。




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