第3話 芸術の虹

(ふぅん、庶民の間にも、芸術の虹アルカンシェルの話は広まっているのだな)

 左手にチーズ入りつくね串を、右手に麦酒の入ったガラスの盃を持ったレオニアスの感想だった。

 左手は絶え間なく食物を口に運び続けている。串が5本程度では足りない、もっと注文しなくてはと思いつつ、麦酒を飲む手も止められない。

 改めて串焼きを注文したレオニアスは、神話の一説を思い出していた。


 光と知恵が創り出す虹色の奇跡――虹色は、ウラヴォルペ領が属する国家アルカンレーブにとって特別な色である。それは、世界を創造したと言われる偉大な女神を表す色。皇家であっても使用が禁止されている。

 芸術の虹アルカンシェルとは、女神の加護を封じたと言われる虹の貴石エリストルを用いた工芸品のことで、例えばウラヴォルペ公爵領のメインストリートを照らす街灯にも、廉価な虹の貴石が埋め込まれている。廉価と言っても、一般市民にとってはひと財産に相当する。火を起こさずに灯りを保つことのできる奇跡。これは奇跡の一例であり、さまざまな奇跡がアルカンレーブ帝国を照らしている。

 神話の時代、悪鬼魔獣が闊歩する戦乱の世であまりにも無力な人間を哀れんだ女神は、虹色の涙を流して土地や植物、空気などありとあらゆるものを清めた。そして四人の人間を選び、知恵を授けた。その際、女神が清めた領域こそが現在のアルカンレーブ帝国の領土であり、その外側にはいまだ人類が足を踏み入れることのできない魔境が広がっている――。


 何故ウラヴォルペ公爵家が騎士団を所有するのか。

 治世における治安維持はもちろんだが、魔境に住まう魔獣たちに対抗する必要があるからである。

 帝国で最も有名な芸術の虹アルカンシェルのひとつに『虹の神殿』がある。魔境と人間界を隔てる境界線であり人類の生命線でもあるきわめて重要な建造物で、女神降臨神話の時代に建立されたとされる。現存する『虹の神殿』は9つであり、ウラヴォルペ領では少なくとも3つの神殿の守護を管轄している。

 言うまでもなく、この神殿が落ちれば、魔獣の侵入を許し、人類の平和は蹂躙される。神殿を守り、境界線を維持する。それが騎士団における最重要任務である。


 それ故に、騎士団の人間は芸術の虹アルカンシェルというものを重要視しているが、路地裏の酒場で肴になるほどとは、レオニアスも考えていなかった。虹の貴石エリストルにもさまざまな品質があるが、もっとも等級の低いものでも値が張る。金剛石の軽く十倍ほどになるだろうか。庶民が気軽に購入できるものでないことは確かだ。

 なお、建国の歴史をもつウラヴォルペ公爵家は国宝レベルの芸術の虹アルカンシェルを所有しており、特別な催事においては領民にも公開される。


 新しい串焼きが届いた。肉と野菜を交互に刺したボリュームのある串だ。さらに味わいが増すというタレもいっしょにある。タレに肉汁が混ざると、想像以上に美味い。

 レオニアスは店員を手招いた。子リスではない、黒髪黒目のがっしりとした体つきの男だ。白い歯を見せて愛想よく笑う彼に麦酒を追加注文し、ついでに話題を振ってみる。

「僕はちょっと金のある貴族の家柄なんだが、まさかこんなところで芸術の虹アルカンシェルの話を聞くとは思わなかったよ」

 サンディと名乗った店員は、ガハハと豪快に笑った。

「お客さん、自分で金持ちって言っちゃいましたね! でも奇跡は貴族さまだけのもんじゃないっスよ。俺は庶民の中の庶民だけど、母方のばあちゃんちに『迷わずの石』っていう芸術の虹アルカンシェルがありました。あ、眉唾じゃないっスよ。狩りに出た男たちの帰り道を照らす、村に代々伝わるすげぇヤツなんですよ」

「君の出身は、イブキエル山脈のほうかな?」

「北側の山奥ですね。嵐や雪で道を見失っても、不思議とちゃんと村に帰ってこられるんです。似たようなものが、海側の村にもあるって話も聞きましたね」

 イブキエル山脈はラヴォルペ領の東側に位置する山脈で、その山を越えたところにある海と諸島が、人間が暮らすことのできる最東端の領域である。首都とは比較的近い位置にあり、民族的な交流が盛んに行われる。

 レオニアスは、空にした盃を左右に振って、追加注文をアピールした。

「あの辺りは独特の文化と珍しい芸術の虹アルカンシェルがあると聞く。境界に近いのに魔獣の被害も少なく、暮らしやすいとか」

「そーなんです! 素敵ですよね!」

 飛び込んできた黄色い声を脳内で処理できず、レオニアスはむせた。

 その声の主は、サンディではなかった。いつの間にか、大男の隣に小さな子リスが並んでいる。しっかりと握りしめた両手の中で、伝票が悲鳴をあげているが、おそらく彼女は気付いていないのだろう。生き生きとした栗色の瞳が、臆することなくレオニアスを射抜く。

「私たちを魔獣から守ってくれて、戦うのにも移動にも使えるなんて! しかもすっごくキレイ! 私、公爵様の爵位継承式典で、国宝の剣を見たんです! 公爵様が剣を振ったら、私たちの頭上に虹がかかって……本当に素敵でした!」

 可哀想な伝票をさらに握りしめるフレジアを置いて、「じゃあごゆっくり~」とサンディは去って行く。

 フレジアの熱量に押される形で、レオニアスも式典の様子を思い返してみた。

 レオニアスは公爵の家族として、民衆の前に立つ父の後方にいた。父は聖剣リ・レマルゴスを抜き放ち、太陽にかざした。七色の光は、聖剣の内部から放たれ、民衆の上に大きな虹の橋を描く――。

 聖剣は装飾品にあらず、という公爵家の信念により、実戦にも稽古にも当然のように使用された聖剣は、レオニアスも見る機会が多かった。そんなレオニアスでさえ、割れんばかりの拍手喝采を覆う光を眩しいと思った。群衆の中でその光を見たフレジアにとっては、より衝撃的な光景だったのだろう。

「本当に、素敵」

 独語に近いその声には、うっとりと夢見る者の響きがあった。

 あっけに取られたレオニアスがじっと見つめていると、フレジアは我に返ったようで、

「あ、ごめんなさい! 大好きな芸術の虹アルカンシェルの話が聞こえたからつい……ごゆっくりどうぞ!」

 と言い置いて、厨房へと逃げ込んだ。

(大好き、ね……)

 サンディから新しい麦酒を受け取りながら、レオニダスは生まれた時から付き合いのある聖剣リ・レマルゴスについて、自分の認識を改めるべきかどうか考えることにした。

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