雨宮雫は信じて疑わない

水月蓮葵

第1話


 ミンミンと鳴くセミの声が、むわっとした暑さを増長させた。

 昼休みのおかげで、教室の中は人がまばらだ。それでも、気温が変わることはほとんどない。ほんの少し人の熱が減ったくらいのものだ。

 涼しさが恋しくて、机の上にうつ伏せになってみるけど、残念。ひんやりを求めていたのに、感じるのはべったりとした感覚だった。



「――雨よ! 降れ!!」



 ビリビリと鼓膜を揺らす、大きな声。それはクラスメイトたちの視線をかっさらった。

 バッと教室の窓際の方へと顔をむければ、両手を広げ、空に向かって叫んでいる女子――雨宮雫あまみやしずくがいた。



「……またか」



 人目もはばからずに堂々とやっている姿に感心するけど、定期的に訪れる奇声に思わず、本音が零れる。

 みんなも同じことを思っていたのか、すぐに各々の世界へと戻っていく。



「いっがらしぃ」

「え、何?」



 俺の元へ来たのは、中学から付き合いがある伊藤一だ。親が斎藤一のファンだかで、名前を頂いたらしい。コイツは余計な一言でその場を凍らせたり、怒らせたり、悪戯が過ぎるところもあるが、基本いいヤツだ。斎藤一をあまり知らないが、きっとこんなヤツではなかっただろう――とは、思う。

 ニヤニヤした顔からして、何やら企んでいるように見える。見える、というかピンッとセンサーが働いた。今度はなんだと警戒すれば、顔が近寄ってくる。



「まぁたやってんじゃん。お前の彼女」

「彼女じゃなくて、幼馴染・・・な」

「照れんなって……てか、マジであれなんなの?」



 無遠慮に頬を突き刺す人差し指は、地味に痛い。あいさつ代わりにいつもこうやって揶揄からかってくる。ただでさえ暑いのに、鬱陶うっとうしいその熱が余計にうざったい。頬に食い込む指を軽く払って、訂正を求めた。

 ただ隣の家に住んでいて、親同士の交流が多いだけ。学校行くにも帰るにも道が一緒だから、遭遇そうぐうする回数が多いだけのただの同級生だ。

 それでも、思春期特有の冷やかしは終わらない――かと思いきや、今日はいつもより早く切り上げられた。伊藤はチラリ、と彼女の方へと視線を向けて首を傾げる。つられるようにそちらをむけば、幼馴染は両手を組んで静かに目をつむっていた。

 まるで、神様にでも祈っているかのようだ。



「知るかよ」

「っ、何で聞かないんだよ! 気になるだろ!?」

「気になるなら、自分で聞けばいいだろ」



 当たり前のように知っていると思われるのは、不服だ。幼馴染とはいっても、お互いに家を行き来するほど仲がいいわけでもない。何度も言うが、ただ家が隣なだけなんだから、そんなこと知るわけがない。

 キッパリと言ってやれば、ボケを食らったツッコミのようにズルッとコケた。

 フォームの綺麗さに見事なもんだとボーッと見守っていれば、眉を吊り上げている伊藤の顔がアップになる。男に顔を近づけられて喜ぶ趣味はない。向こうもないだろうけど、、異様な近さと言い分に眉根が寄った。

 俺を介さずに聞けばいい話なのに、効率が悪い。



「雨宮って可愛いよ。可愛いけど、中二病っぽいから自分から反しかけるのはちょっとさぁ……勇気がいるっていうか」



 俺の肩を組んでうんうんと頷く姿が、いちいちうざい。しかも、言ってることは少し――いや、かなりひどい。イケメンが言うならば、何も反論はない。いや、あるにはあるけど、お前が言うか――という、疑問はあまりない。

 伊藤は別に顔が崩れているわけではない――平均的だと、思う。顔の造形にあまり興味がないから恐らく、としか言えないけど、それでも雫の方が整っているのは事実だ。そんなヤツがいう事ではない。

 いや、そもそも人の造形にあーだーこーだ言うのは、おぞましい。



「最低なこと言ってる自覚ある?」

「おーこわっ。どっかのセキュリティシステムかよ」



 流石に聞き流せなくて視線を向ければ、バチッと合った。人としてドン引きしたつもりだったが、目がどうにもこうにも鋭かったらしい。伊藤は飛びのいて、腕をさすっていた。



「ちげーわ。一般論だろ」

「や、頼んだからなっ!」

「ちょ、おい! なんで俺が……」



 マジで人聞きが悪い。俺は常識範囲で注意しただけなのに、この言われようは納得がいかない。冗談なのか、本気なのか、いまいち分からないそれに今度こそ、睨みつけるとさっそうと去っていった。

 返事も待たずに無責任に押し付ける伊藤を止めるべく、ガタッと立ち上がってみたけど、アイツの逃げ足は速い。もう、教室に面影もなかった。



「ったく……」



 何も掴めない手を下ろして、静かに席に座り直す。胸に広がるモヤモヤを吐き捨てるようにため息を付いて、チラリと窓の外を見た。

 真っ青な空を入道雲が泳いでどこかへと向かっている。どこをどう見ても、雨が降る気配はない。まあ、この時期に降ったとしても、お天気雨とかゲリラ豪雨としかない。あと、季節外れの台風――はあるかもしれない。それでも、今日は降りそうにない。

 もし、雨が降るとなれば、低気圧のせいで頭が痛くなるし、靴も制服も――つーか、全部濡れる。折りたたみ傘を持っていなかったら、濡れて帰るしかないんだから、いいことなんてないんだ。そもそも、雨を望む意味が分からない。

 そのまま視線を動かして雫へと移すとブツブツ呟いて、まだ祈っていた。



「……いつ聞きゃいいんだよ」



 そんなに嫌なら聞かなきゃいい――でも、聞かなかったら聞かなかったで伊藤にしつこく言い寄られるのは目に見えてる。どっちにしろ面倒なことが待ってるなら、さっさと終わらせてしまった方がラクだ。終わらせてしまいたい。でも、本気で雨が降ることを願っている彼女にどう話しかけていいのか、分からない。

 昼休みの暑い中、何故こんなことで頭を使わなきゃいけないんだと恨めしく思いながら、湿度の高い机の上にまたうつ伏せになった。


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