「それは、いつなんですか?」


警察は神妙に、しかし努めて爽やかに聞いてきた。


「私は詳しいことはわかりません。ですが、坂間さんから連絡を受け取ったのが、七月の最初の土曜日でした。だから、六月の最後らへんってことになると思います。」


 最期まで父は頑として行政に頼らなかった。よほど弟と、母と、揉めたに違いない。その詳細はもう明らかにはならない。涙一つ見せずに、行ってしまったのだから。


 もう少し、私が無理やりにも父や母を連れ出していたら、と考えることはあっても、その時間とか気力とかが、あの時すでに残されていなかったことは、うすうす感じ取っていた。


 ただ私が知りうるのは、父親のあの異常ともいうべき自己放任は、もっぱら弟が元凶だろうということである。


 長い一日を終えて、一旦は帰るように促された。坂間さんにお願いして、お家にお邪魔させてもらおうかしら。全部が終わらないと東京には帰れないという。ぼんやりとした頭を首でやっと立てて、道を曲がろうとしたその角で、何人かが話している。


 一人は坂間さんだった。声が遠く、何を話しているかわからない。でもその中に割って入ろうとは到底思えなかった。しかし次の言葉ははっきり聞こえた。


「私がみたお母さんは、もう亡くなってたってことね。お父さんは認知症かしら。最後の力を使って家の中に引きずり込んだのね。哀れな娘さんだわ。今夜はどうするのかしら。」


これを聞いたとたんに、抑えられない量の涙があふれだした。声こそ出さないものの、ペタリと尻をついて、大人げなく泣きじゃくった。やっぱり私もおかしいんだろう。あの子供に家が臭いといわれて、それを素直に受け取って、仮にも直そうという風に言えなかった。心のどこかでは少し放ってしまおうという気持ちがあったに違いない。あの父親ならば、死なない程度になんとかするだろうという気持ちがあったに違いない。だからこうして泣くんだろう。人に隠れて泣くんだろう。そしてまた我慢して、それを誰にも言わないで、表では良い人を繕って、裏では何もできないで、こうして親を殺すんだ。こうして弟を死なすんだ。こうして隣に陰口言われるんだ。再び大粒の涙を流して、声を殺して、枯れるまで延々と\ruby{咽}{むせ}び泣いた。―――

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