貴方の座る席はない

そうざ

There is no Seat for You

 出張の帰路、心地好い揺れにうつらうつらしていると、意識に会話が割り込んで来た。土産に買った銘菓〔多幸たこう饅頭まんじゅう〕の箱をこらえ切れずに開封する夢を見始めた矢先だった。

「すみません、ここは私の席なんですが」

「あぁ……そうですか」

 何列か前の座席だ。若い女性が二列シートの窓際に腰掛けていた男に声を掛けたらしい。女性は前の停車駅から乗車したのだろう。

 程なく腰を上げた男が通路へ退いた。単なる座席番号の勘違い、にしても、謝罪の一言は聞こえない。大の大人が悪びれもせず、と思いながら私はまた睡魔に誘われた。〔多幸饅頭〕は後にしよう。


「席、間違えてません?」

 少々語気の荒い問い掛けだった。何列か後ろで、若い男女がキャリーケースと共に立ち往生している。

「あぁ……そうですか」

 聞き覚えのある声と台詞が、今度は欠伸あくび混じりで、より一層怠惰な色に満ちている。

 男は私の列を通り過ぎ、のっそりと別の車両へと消えた。

 どうも様子がおかしい。立て続けに二度も間違えるだろうか。

 そうか――。

 偶にああいう面倒な手合いが居るらしい。自由席のチケットで乗車し、空いている指定席にちゃっかり座るたちの悪いやからだ。本来の乗客が現れると席を立ち、乗務員の目を盗んではまた同じ事を繰り返す。

 が、私には関係ない。何よりも今は睡魔に勝てない。〔多幸饅頭〕は帰宅するまでお預けとしよう。

 私は、西の方へ出張した帰りに必ず〔多幸饅頭〕を買う。その味わいは言わずもがな、掌に余るサイズ、饅頭なのにリング状というユニークさ、一箱六つ入りでワンコインという費用対効果コストパフォーマンス。何ももが魅力的なのだ。

 もし万が一〔多幸饅頭〕を買い忘れたら、私は迷わずUターンするだろう。私にとっては習慣ルーティンどころか使命ミッションに値する銘菓なのだ。


 ――気配を感じた。何だか嫌な具合だった。

 目を開けると、例の男が私の隣につくねんと座っていた。他の車両に空席がなかったのか、舞い戻って来たのだ。

 私はいよいよこらえ切れず、そこは貴方の席ですか、と問い掛けてしまった。

 男は瞳を閉じて唱え始めた。

今生こんじょうは即ち幻、主義も主張も世迷言よまいごと、押しべて夢とうつつの擦れ違い……」

 私は後悔した。こういう面倒な手合いに関わったら損しかしない。なのに、迂闊に出しゃばってしまうのが私の悪い癖だ。

 あれはいつの帰路だったか、酔っ払いの集団と乗り合わせた事があった。その乱痴気振りは、折角の〔多幸饅頭〕が不味くなる程だった。

 ああいう時は迷わず乗務員に知らせるのが正解なのだろうが、わなわなと義憤が湧き立ってしまった。

 触らぬ神に祟りなし、きじも鳴かずば打たれまい、覆水盆に返らず――様々な惹句が浮かんでは消えた。もう二度とあんな目には遭いたくない。

「それは兎も角」

 目を開けた男は、内ポケットから何かを取り出した。

「これ、ご存知? 座席未指定券」

 ぽかんとする私に、男は高説を垂れた。『座席未指定券』とは乗車日や区間だけを指定し、乗客した列車に空席があれば自由に利用出来る特急券の事。但し、『指定席特急券』を持つ乗客がやって来たら、その座席を明け渡さなければならない――恥ずかしながら、私には全く初耳の制度だった。

 詰まるところ、男にルール上の非はない。勝手に座っている訳ではない以上、謝罪を要求するのはお門違いという事か。

「それは兎も角」

 男は耳打ちするように囁いた。

ここ・・にあんたの席はないよ・・・

 そう断言された途端、車内のざわめきがしゅっと遠退いた。

「未練があるのは解かるけど、そろそろ帰るべき所に帰ったら?」

 何だか意識まで薄れて行く。

「俺、あんたみたいなのに呼ばれちゃう体質でね、帰省中ですら気が抜けないんだわ。あぁ、あそこに居るなぁ、面倒臭いなぁって……それでもつい老婆心が湧いちゃうんだけどさ」

 男は最後に軽く微笑むと、手荷物から〔多幸饅頭〕を取り出し、私の空席せきにそっと置いた。それはまるで供物くもつのようだった。

 ようや成仏あんみんが訪れようとしている。

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