地獄道 歹

山城渉

「黄泉戸喫だ?」

 足の裏で踏み躙っている顔は上下した。

「莫迦を言う。そんなことしてなんになるってんだ、ああ?」

「け、けど聞いたんです、カシラ!」

 男は弁明の声をまた踏みつける。

 ふがふがと不細工が空気を穢す。

 堪忍袋の緒はまだ大丈夫、ほつれ始めているけれど。

「お黙り。それ以上くっちゃべったら簀巻きにしてドブへ流すぞ」

 ようやく男の足の裏は静かになった。

「……あいつが、そんなヘマするはずはねえ」

 焦りで上擦りかけた声を、一寸吸い込んで落ち着ける。

「はずは、ねえんだ」

 足を下ろすと、泣き腫らした不細工は気を失っていた。白目を剥いて、不細工が余計に際立った。

 男が舌打ちを零した畳の上は、ぬらりと湿って堪らない。もう居られない。口をへの字にして、もう一度出来損ないを蹴っておいた。

 襖を乱暴に蹴り開けると、片膝ついた黒子が待っている。

 男は視線もくれずに首尾を訊く。

「万事、滞りなく」

「ふうん」

 至極どうでもよかった。

「……黄泉戸喫」

「巷には俄に広まっておりまする」

「訊いてねえ」

 ドスの効いた男の声に、黒子は短く頭を下げた。

「この根回しの早さ。どうせいつもの横取り野郎だ、踊らされんなよ」

「はっ」

 黒子は天井に跳び上がる。

 男の声が板張りの廊下を滑った。

「何かあれば直ちに知らせろ」

「御意」

 しばしの沈黙が訪れて、男はふうう、と息を吐く。

「ああ、陰気だね、嫌んなる」

 濡れて、塗れては、畳も板間も変わりはしない。

 凄惨な殺戮の後となれば、尚更だった。

 男は束ねた長い髪を、尾っぽのように揺らめかせた。

「今夜はなんだか……いっとう嫌だ」

 苛々と爪を弄った。

 酒でも呷らなければ気が済まない。

 男は格子窓にもたれて、指の先に蝶を形作った。鱗粉のごとく火の粉を散らし、紫の蝶が遊びだす。

 ふ、と男の頬が緩んだ。

 空に浮かぶ燈のない夜に想うのは、浪漫云々では決してない。

 ぼうぼうと音を立て、蝶が舞う。

「莫迦ばっか」

 か、の口のまま眼下を臨む。

 男の呟きは、誰ぞに飛ばしたわけもなく。

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