第一話⑦
森を抜けると、一気に視界がひらけた。頭上を覆っていた木々がなくなり、青空が現れたからだ。異世界でも、空は青いんだなと思う。ベリュージオンに暮らすのは、俺たち人間(この世界にいるあいだは、ロイメンと言ったほうがいいのだろうか)とはちょっと違った人たちだったとしても、自然の造形は俺たちの世界とよく似ている。べリュージオンがいったい何処の世界なのかは、まだ見当もつかないけれど、生き物が暮らすことのできる世界というのは、地球と環境が似る必要があるのかもしれない。
「ここから少し進んだ先に、崖がある。眼下に広がる町を見下ろすことのできる絶景が広がる場所なのだが、長老はそこに幽閉されている」
「ゆ、幽閉?」
おおよそ、俺が普通に生きていたら、日常生活の中で、なかなか聞くことのできない言葉だ。ユウヘイとはつまり、閉じ込められているということだろう。俺の感情がにわかにざわついた。
「長老……、我の祖父は、ときに昔を回顧するような発言や行動をすることがある。それだけならまだいいのだが、我々には見えぬものを見ていたり、とっくに戦争は終わっているのに、自分がまだ戦禍の中にいると勘違いをし、周りを憚らずに攻撃を仕掛けてきたりと、安寧な日々に火を注ぐような出来事が増えてきた。……だから我々は一族で話し合い、祖父の同意を得て、彼を崖の途中にある洞穴に幽閉することにしたのだ」
俺の頭の中に、ある言葉が浮かぶ。———身体拘束。それは、徘徊などの問題行動と呼ばれる行為を繰り返す高齢者の行動を抑制するために行われるものだ。当事者の自由を奪い、人間としての尊厳をも失うことにつながりかねないので、俺たち介護職が簡単に行なってはならないことのひとつとして挙げられている。
竜族の長老、ガークのじいちゃんは、洞穴に閉じ込められて、そこから出られなくなっている。それも身体拘束といえるんじゃないだろうか。
「ガーク、お前はそれでいいのか」
ガークの背中に語りかける。彼はふと歩みを止めて、空を仰いだ。
「もう決まったことなのだ。それに祖父も、我々に迷惑をかけるくらいなら、幽閉されることを望んでいる」
こいつは本心を言っていないと、俺は感じた。お前はそれでいいのかと問われたことの答えにはなっていない。自分の感情を殺して、それで何もかもがうまくいくのなら、不条理な現実も受け入れるしかないと思っているのだろうか。ガークも、ガークのじいちゃんも。
そのまま少し歩くと、突然道がなくなった。地形の影響で、進む方向は崖になっていたのだ。
「コタロー、オマエは見たところ、ここから飛び降りる気概は持ち合わせていなさそうだな」
馬鹿にされているのか、心配されているのか、真意は読み取れなかったけれど、ガークは静かにそう言った。だが、彼に言われたことはその通りだとしか言いようがなかったので、俺は素直にこくりと頷いてみせた。
「やむを得んことだ。案ずるな。ロイメンは我々と違って、体が脆いことも知っている。ここを滑落してしまえば、大怪我をするだけでは済まないだろう」
我に捕まれと、ガークは言った。
「えっ!?」
「え、ではない。なにをそんなに驚愕しているのだ。我がオマエひとり担いでここを降りられぬとでも思っているのか?」
成人の男を一人かついで、崖を飛び降りる。普通そんなことできるわけないだろうと思ったが、ガークは竜族なのだ。人間とのハーフとはいえ、彼にも竜の血が流れている。そのため俺たちと比べると、頑丈な体をしているのだろう。
「ちょっと照れくさいな」
「何を恥じることがある。オマエが飛び降りるのに失敗して、脳髄をぶちまけるほうが余程面倒で屈辱的なことだろう」
ここはおとなしくガークに従ったほうが良さそうだ。いまも風に圧されて足を踏ん張っていないと、バランスを崩して倒れてしまいそうになるのだ。最悪の想像をして身震いしながら、俺はガークの背中に身を預けることにした。
さっきぶつかった時も思ったが、ガークの体は熱を帯びていて、暖かい。竜族は体温が高いのだろうか。干したての布団のように心地よくて、油断すればこのまま眠ってしまいそうだ。
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