1章 若者とマイノリティ
逃亡
――いつも犠牲になるのは少数派の人間だ。
「ユメを助けてください!! 僕が出来ることならなんだってします!! お願いします!!」
僕が所属していた組織――「影縫い」は、まるでこの国の影に潜むように存在している。表向きは平和で豊かだけど、その裏で犠牲になるのはいつも少数派の人間だ。
――邪魔なら最悪消してしまえばいい。
そんなニッチな需要に目を付けた社会の「闇」による副産物である「影縫い」の主な仕事は、裏の世界で望まれる「処理」を行うことだった。
そう、誰もが目を背けたがる汚れ仕事。
なぜそんなことが必要なのか? 簡単だ、表では政治や金持ちたちが笑顔で握手を交わし、マスコミが彼らを称賛する。でも、その背後では不都合な事実を隠すために、僕たちが動いている。彼らはスキャンダルや問題を解決するために、僕たちのような人間を利用するんだ。
僕がそこに在籍する事になったのは、まだ10にもならない頃の事。親が借金のカタに僕と妹のユメを差し出したのがきっかけだ。持病が発覚して真っ先に殺されそうになった妹を守るために、その道に足を踏み入れる事を余儀なくされた。
無謀だとその場にいた大人は笑ったけど、僕は必死に与えられた訓練と仕事を繰り返し、一年もすれば皆が「殺しの天才」と賞賛しだした。
殺しのテクニックは、実に単純明快だった。音を出さずに近づき、相手の急所――喉笛をナイフで切り裂き仕留める。足の健や心臓を狙う事もあるけど、大抵はその2つの工程で片が付く。
それをおよそ3秒で可能にする為に必要なのは、走り込みを含む接近や隠密のテクニックと、ナイフの最も効率的な使用法を習得する為の単純作業の繰り返し。
例えて言うなら毎日同じパンを作ったり、同じ部品を組み立て続ける工場勤務のサラリーマンと同じ作業だと思う。それが僕の場合は人殺しだった、それだけの話だ。
ではなぜそんな事をするのか? それは僕たちが悪いのか?
その疑問に、ある日僕たちの所属する闇組織「影縫い」を統括する男・芹沢ユウジが答えてくれた。
彼は陰でこう呼ばれていた―― 「絶対統制者」と。
ある日、僕を含む同年代の子供数人が芹沢さんに呼び出された。
都会から車でおよそ2時間。辺りは見渡す限り木々と山に囲まれ、村であっただろう草ぼうぼうのその場所に自分たちの乗る高級リムジンが停止する。あたりは鬱蒼とした木々に囲まれ、民家であっただろう廃墟のような住居が数件あるだけ。そんな場所に連れて来られた子供達が想像するのは、ひとつだった。
――殺される。
仕事に失敗した同僚が「お仕置き」と称され、二度と戻ってこなかったのは何度も見てきたからだ。ついに自分たちにもその時が来たと皆の顔が真っ青になり、誰もが声を出さず震えていた。
――でも、その時の芹沢さんは少し違っていた。
手に握られているのは小さな十字架。細身だが人より長身である彼の姿を組織内で目にすれば、その威厳と重厚感のある口調に軽く体が震える。そんな無言の威圧感を放つ彼の背中が、この日に限っては小さく見えた。
「祈るなど、普段の私からは想像がつかない……といった顔をしていますね。人間ですから時に弱さを見せる事は必要なのですよ。私も例外ではございません」
――弱さ?
十字に手を切り、思いにふけるように沈黙する芹沢さんの背中を、僕たちは無言で見つめた。まさか、死者を慈しんでいるのだろうか? 「絶対統制者」である彼が?
「君たちは世の中を毒す真の敵が誰か、わかりますか?」
芹沢さんの問いに答える者はいなかった。
「私くらいの年になると人間は2種に分かれる。世界を救う「天才」と、ただ国に寄生する「愚者」です。「多数派」である彼らは欲望のまま「少数派」の犠牲を望み、未来を食い尽くす。一方私のような「天才」は、腐敗を取り除く為に手を汚し革命を起こす。そして君たちは私の作る未来の為に共に血を流す駒……反抗は無意味と理解しなさい」
未来の為に血を流す。もちろん、反抗するつもりなんてない。僕たちはそう答えた。すると――
「それが賢い判断ですが、少しだけ昔話をしましょう。ある少年が虐待を受けていた。彼は親の愛を得るために勉強に励んだが、親は少年を金のために売り飛ばそうとした。愚かさに気付いた少年は感情を捨てることを決め、親を殺してしまった。そして成長した少年は知恵を生かし権力と財を手にした。言ってることが理解できますか?」
それは芹沢ユウジの子供の頃の話なのだろうか? そう思いながら無言で首を振ると、芹沢ユウジはため息をついた。
「少年は、その時初めて知った。感情は無力、愛や絆など幻想に過ぎない。そして犠牲のない変革など存在しません。感情に縛られない者だけが世界を動かすことができる。もし残酷だと感じるなら、それは君たちが『愚者』である証拠です」
何かを達成する為に犠牲は仕方がない。それが僕立であっても、芹沢さん自身であっても……?
「「天才」も人間だ。神に祈るのは許しを乞うためではなく、咎を背負う覚悟を得る為です。神ですら私の行動に干渉はできないでしょう。さて……では君たちはどうですか? 運命を打開しますか? それとも無意味と理解し反抗を諦めますか?」
正直矛盾していると思った。
――反抗は無意味。
それは「影縫い」に来てから鉄の鎖のように皆の心を縛りつける絶対の真実。皆抵抗をする事すら忘れ、残された道は従う事のみ。こんな八方ふさがりな現実を叩き付けられているのに運命を打開……そんな事、できるのだろうか?
――そんな僕の転機は、妹のユメが死んだことだった。
僕を先導するように「丸くて淡い光」が繁華街の中を飛んでいく。
都会を照らすネオン、人々の喧騒、屋台の料理が放つ香ばしい香り。時折舗装された道路に散らばったチラシに足を滑らせながら、その光を必死に追い、逃げた。
反抗は無意味。
冷たい鎖のように僕たちを縛りつけるその言葉。僕もずっとそれが真実だと思っていた――いや、信じ込まされてきた。でも、その言葉はユメが死んだ僕に一切の救いも慰めも与えなかった。反抗が無意味だとういうならこの苦しみは、悲しみは何のためにあるんだ?
追手に捕まる恐怖と戦いながら逃げる僕の視界に一瞬映ったのは、高層ビルの下の繁華街の一角、たった一人でデモ活動をする男性。
「――よく見ろ、これは俺たちの世界の50年後の姿だ」
高層ビルの麓の繁華街。その一角の壁にスクリーンで大きく映し出されたのは「僕たちの暮らす街の50年後の姿」らしい。
ビルの屋上にはソーラーパネル。その周囲には植物が生い茂っている。人々は自給自足の生活を送り、飢えと戦う様子が描かれている。一方で、世界の一部分だけがテクノロジーとエネルギーを独占する小さなエリアとなり、高い壁で守られていた。
「自給自足を余儀なくされ、廃墟のような場所で鬱々と暮らし、限られた富裕層だけが都市に住む未来が、後50年もすれば訪れる。俺たちをこんな未来で生活させる気か? 物価高騰・借金の増加・次に待ち構えるエネルギー危機に我々は備えなければならない」
――男の背後に目を向ければ……
夜空にキラキラと輝くイルミネーションとライトアップ。それに照らされた高層ビルの上では、この国の一部の金と権力を持つ人間だけが暮らしている。そして、繁華街では線路下にずらりと並ぶ露店のところどころで酒を飲み、仕事や家族への解決策の見えない愚痴を言い合う大人達。細道の陰ではホームレスと思われる老人が数人寝息を立てている。
「今と全く変わらないじゃないか……」
ぽつりと呟いた直後――あたりに「気配」を感じた。
背筋が凍り付き、ざわつく感覚。そう、それは自分自身が獲物になった時の、あの感覚。反射的に周囲を見回すけど、周囲は男のデモに集まる人ごみで溢れていた。
――逃げないと。
背後で徐々に小さくなる男の声を聞きながら、僕は繁華街の出口へと走り出した。
「みんな目を覚ませ! 俺たちがいくら頑張っても、あの高いところから見下し、搾取し、何の見返りも与えようとしない奴らに制裁を!! 結局、俺たち若者はただ使い捨てにされるだけなんだ」
――男の言葉は僕たちの未来を象徴しているかのように聞こえた。
高層ビルの上にいる人間は、どんな顔をして彼を見下ろしているのか。想像した瞬間――僕は違和感を感じ、一瞬足を止めた。
繁華街を歩く若者から老人、屋台の店員、皆が男の方へ視線を向けている。
「エネルギー危機? 何言ってるんだあいつ。水も資源もわが国には溢れてるじゃないか」
「そう言えば最近食料の値上げがあったけど、すぐ戻るでしょ」
「行きつけのラーメン屋がステルス値上げしてたから、行くのやめたよ。安い店なんていくらでもあるからな」
「なんだかんだで平和だよね、この国って」
「おーい、俺たちの国は平和だから! 心配しなくても大丈夫だよ」
アハハハハハハハ……!!
――皆、何を言ってるんだ?
男の叫びは自分たちの未来を憂う言葉だというのに、皆彼へ冷たい視線を浴びせ、ある者は指さしながら笑い、ある者は彼を犯罪者と言って罵声を浴びせた。
「やめろ! 放せ!」
突如警官に押さえつけられた男の声に我に返り、僕は再び走り出す。一瞬背後に視線を向けると必死に抵抗する男の姿が映った。遠ざかるその姿を見つめながら、ひたすらその場から逃げる為、走った。
『君たちは世の中を毒す真の敵が誰か、わかりますか?』
何故かわからないけど、頭の中では芹沢さんのその言葉が繰り返し脳内で響いていた。
――無我夢中で組織から逃げた日から5年。
15になった僕は少しだけ芹沢ユウジの言葉が理解できるようになった。愚者に運命の打開はできない。世の中を変えるのは、ほんの一握りの天才。僕を含む大半の人間は、運命を打開するなんて不可能だ。
その一方で常に思っていた。ただの駒でいいのか? もし、ユメの時のように何かを失うような事があったら?
心のどこかに残っているのはあの夜の感覚――守れなかった無力感だ。
多数派の意志だろうと、犠牲を強いる世の中だろうと、僕は今度こそ守りたい。自分の全てを賭けて、君だけは絶対に。再び出会った「守りたい存在」は、いつしかそんな小さな反抗心を僕の中に芽生えさせていた。
でも、この時僕はまだ気づいていなかった。
自分の中に微かに芽生えた「反抗心」がどれだけ無力かを。全ては「絶対統制者」である芹沢ユウジの計画通りであるという事を。そして、それがこの社会全体の意志によるものだということに。
どこから彼の「プラン」だったのか。どうして僕が選ばれたのか。
それは誰にもわからない。僕自身でさえも。
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