放課後


 ハーモニア大学附属学院は、この国の科学の最先端が集まる場所だ。広大な敷地には初等部から高等部までの校舎が配置されている、全寮制の学院。


 中等部の校舎は「ネオ・クラシカル・モダン建築」と呼ばれている。クラシックな建築スタイルと現代的なデザインを融合し、白に所々青が添えられたモダン且つシンプルな校舎は、科学技術の発展をイメージさせる配色だ。

 校章は「無限」や「永遠」を象徴する円の中心にDNAシンボル。その周りに配置された星や六角形を囲むように葉や枝のモチーフ。全体を銀色と青色で構成され、その下にはラテン語で校風の「Per Scientiam et Futurum」(科学と未来を通じて)が刻印されている。


 生徒たちが部活動に励む校庭は、土ではなくブルーのゴム製の安全マットで作られている。周囲の花壇には、まるで虹のようにきちんと色分けされたパンジーの花が整然と並び、その横のレンガづくりの細道を足早に歩きながら、さっきの男の言葉を思い返した。



 ――地下研究所。もしかして、入学時に聞いた例の噂の?



 この学園には、誰もが知っているが口に出したがらない噂がある。

 自身の夢と人々の未来を思い研究をしていた1人の科学者が、研究を世間と権力者に潰され妻も子供も失った。絶望に打ちひしがれた科学者が研究をしていた「不気味な地下研究所」と呼ばれる場所が、この学園のどこかにあるらしい。

 まるで死者の悲鳴がこだまするような、その場所に足を踏み入れた生徒は、科学者の幽霊が未だに続けている「研究」の材料にされるという、よくある学校内の七不思議というやつだ。でも入学してから2年半、そんな場所は見たことがなかった。それに……


 ――ネーファスプロジェクト……鍵となるのは澤谷アヤカ。


 アヤカが人体実験の中心人物って、どう言う事だ?

 


「澤谷さん!」


 高級そうなダークブラウンのスーツに、優し気な表情を浮かべた壮年の男性――澤谷ソウイチが細道のむこうから歩いてくる。彼が僕の雇い主。そして――


「アヤカ!?」


 彼の背中で、金髪の少女が眠っている。彼女が僕の警護対象の、澤谷アヤカだ。


「何があったんですか!?」

「心配はいらないよ、少し疲れたみたいでね」


 澤谷さんは軽く微笑みながら、アヤカをベンチの上に下ろした。

 陽の光に照らされ、彼女の金髪がキラキラと輝く。華奢な背中を支えると、肌が少し冷たい。秋の初めのこの時期に、体がここまで冷えるのはおかしい。それに……


「リボンがまた、なくなってますね」


 エメラルドグリーンに近い色のブレザーとふんわりとしたデザインにローズピンクに赤のチェックが入ったスカート、紺のハイソックスはいつも通り。


 ――でも、彼女がいつも髪を結っているお気に入りの若草色のリボンがなかった。


 とりあえず、風邪をひかないようにブレザーを脱いで上から羽織らせると、小柄な彼女の体には大分大きかった。昔は同じくらいの身長だったんだけど、な。


「いつものように、アヤカの髪に結ってあげてくれるかい?」


 澤谷さんがポケットから替えのリボンを取り出し、それを受け取った僕はいつものように彼女の金髪の一部を結った。これも、いつも通りだ。


「すまないが、急な仕事が入ってしまったんだ。今夜の食事の予約をしてくれていたんだろう、申し訳ないけど別の日に変更できるかね?」

「わかりました、お店に連絡しておきます」

「もしくは、君が代わりに行ってくれても良いのだが……」


 ちらりと視線を向けられ、僕は視線を逸らした。今日アヤカと澤谷さんが行く為に予約したレストランは、僕みたいな一般の人間が行けるような店ではないからだ。


「いやいや、ただの独り言だよ。ありがとう、アヤカを頼んだよ」


 世界各地に孤児院を経営する資産家である澤谷さんはその界隈では有名な人なんだけど、こんな風に雇った人間ひとりひとりにも敬意を払う人格者だ。

 小さく頭を下げ、セキュリティゲートの方へ歩く澤谷さんの背中を見送りながら、この後アヤカが起きた時どんな言葉をかけるべきかを考えた。


 ――正直、気が重かった。


 アヤカが月に数回受けている検診。

 父親である澤谷さんが学園に顔を出す数少ない日であるこの日を、アヤカはとても楽しみにしていたからだ。


「顔色が、悪いな」


 僕は雇われた人間の1人に過ぎない。そして「検診」の内容について質問する事はタブーとされている。だけど、いつもより顔色の悪い彼女を見ると疑問が膨らんでいく。


 ――もし、アヤカの検診と侵入者の言っていた人体実験が関係しているとしたら……彼女は一体どんな目に……?


「ん……ここは……?」


 彼女のお人形のようなライトブルーの瞳が開き、ぼんやりとしたまま顔を上げた。その顔を覗き込むと一瞬目が合い――白い肌が一瞬で真っ赤に染まった。


「ふっ……ええええええええっ!!?? リュウ!!??」

「アヤカ、危ない!!」


 弾かれるように体を離したアヤカの体がバランスを崩してベンチからずり落ちる。咄嗟に彼女の上半身を支えると、驚いた顔をしたまま硬直したように動きを止めた。


「大丈夫?」


 ――顔が赤い――体調チェックが必要だ――!!


 妹を失ったあの日の記憶が一瞬にして蘇る。警護対象である彼女の体調の僅かな変化も見逃さない、それはボディガードとしての職務でもある。

 困惑している彼女の体をベンチにしっかり座らせると、正面に立って額に手を当て体温のチェックをする。触れた瞬間少しだけアヤカの体が跳ねて、彼女は真っ赤になったまま視線を逸らした。


 ――熱は、ない。


「リュ、リュウ……」

「じっとしてて」


 アヤカの顔がますます赤くなる。何か言いたげな彼女を見ながら少しだけほっとし、脈拍のチェックの為細い手首に指を添えて――少し鼓動が早い、かな。最後に瞳孔の色を確認する為に、顔に手を当てて瞳を近づけると――


「――だ、大丈夫ッ!! 大丈夫だから!!」


 静止するようにアヤカの両手が僕の体を離し、荒い息切のまま顔を伏せている。



 ……何か、問題があったのだろうか?

 体調チェックの続きをしたかったけど断固拒否されてしまい、中断せざるを得なかった。


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