吸血鬼少女は王子様に甘く監禁されています
真白燈
第1話 出会い
――エリス。お前は決して私から逃げることはできない。お前は私のものだ。
男の低く、恐ろしい声が頭の中に響いてくる。今自分を捕えようと暗闇の中追いかけている者たちの中に彼はいないとわかっていても、まるで今この瞬間心臓を握られているような恐怖に囚われる。
紫色の髪をなびかせながら、エリスは必死に森の中を走っていた。彼女の後ろを数人の男たちが追いかけてくる。その速さはエリス含めて人間には決して出せないもので、彼らが通る時、まるで嵐の最中であるように木々が激しく揺れ動く。
(あと、何度こんなことを続ければいいのかしら)
今回無事に逃げおおせることができても、また別の者たちが自分を捕まえようとする。それはもう定めのようなものであり、あの男の手に堕ちるまで決して終わることはない。
「あっ……」
突然目の前に現れた男――追手のうち先回りした者の出現で不意を突かれ、慌てて方向転換しようとしたエリスは木の根っこに爪先を引っ掛け、転んでしまう。すぐに起き上がろうとするも、すでに男たちに取り囲まれており、冷淡に告げられた。
「さぁ。もう追いかけっこはお終いだ」
「閣下がお待ちだ。今すぐに戻れ」
「半端者の癖に手間をかけさせる」
雑念にとらわれて失敗した。迂闊だった。ただ逃げることだけを考えなければならなかったのに。
(いいえ。まだ、諦めてはいけないわ)
「……わかりました。大人しくあの方のもとへ参りますので、どうか乱暴なことはしないでください」
憐れみを乞う表情でそう頼むと、男たちは軽蔑した表情を浮かべつつ、エリスの腕を掴んで早く立たせようとする。
(今よ!)
エリスは肘を思いきり男の顔面に食らわせ、身を屈め、一気に男たちの輪から逃げ出した。待て! と叫ぶ声にも、途中獣のような恐ろしい声が背後でしても、決してエリスは足を止めなかった。
ただ今度こそ逃げることだけ、走り続けることだけを考えて、脚を動かし続けた。
しかし突然、その脚は動かなくなる。まるで見えない誰かに足首を掴まれたようにエリスは動きを止められ、ガクッと身体を傾けた。そのまま地面に身体を叩きつけられる。
痛くはなかった。代わりに血の色をした水たまりが浮かび、エリスの身体を底へ引きずり込もうとしていた。
『――エリス。逃げられると思うな』
頭の中で繰り返し響いていた声が、今はっきりと近くで聞こえ、エリスは絶望する。
「嫌っ! 離して!」
エリスは恐怖に呑み込まれそうな心で、必死に拒絶する。
「わたしはあなたたちとは違う! あなたと同じ存在なんて絶対になりたくない! わたしはまだ人間として――」
『お前にもう居場所などありはしない。お前は私たちと――私と共に生きるしかない』
うつ伏せで喚いていたエリスはハッとする。赤い水たまりの中からぬっと手が現れた。白くて綺麗だが、大きくて男性を思わせる手だ。
それがエリスの、力を込めればあっという間に折れてしまいそうな華奢な手首に添えられる。青白い血管を指先がなぞったかと思えば、人差し指の長い爪が思いきりエリスの肌に突き立てられた。
「あっ……」
爪が深々と刺さり、さっと引き抜かれる。赤い滴が溢れたかと思うと、たらりと肌を伝う。その赤に、常人には嗅ぎ取れない臭いに、甘美な匂いに、エリスの心臓がどくんと鳴った。
赤い。血だ。血がある。血がある!
『見ろ、エリス。逆らうな。これがお前の生きる道だ』
そうだ。逆らうことは実に愚かなことだ。自分の存在を否定するな。人間などという劣等な生き物ではなく、我々は誇り高い――
「きみ! 大丈夫か!」
エリスはその声に、半分呑まれかけていた理性を取り戻す。
と同時に、首元にかけていたブレスレットを引きちぎって赤い水たまりに押し付けた。すると手も水たまりも消え、ただの地面に変わる。
エリスはそのことに安堵する暇もなく、起き上がって逃げようとした。
しかし――
「待って! 僕は追手ではないよ!」
普通ならば、肩を掴まれることはなかった。だが先ほど男と対峙してしまったことで体力をひどく消耗してしまったようだ。エリスは呆気なく相手に触れられ、そのまま振り向くよう肩を引かれる。
(あぁ、甘い匂いがする)
せめてもの抵抗として相手の胸を押しやる。だが自分の方が押し負けてしまい、どさりと尻餅をついてしまう。
相手が息を呑んだのがわかる。
「きみ……」
今日はなんてついていない日なのだろう。先ほどまで曇っていたのに、今は晴れて煌々と輝く月が自分たちの姿を照らしてしまう。
血に興奮して赤く染まった自分の目も見られてしまった。
「きみ、吸血鬼なんだね」
エリスが何か答える前に、相手は――眩い金色の髪に水色の瞳をした美しい青年が跪き、エリスの手を取った。そして――
「どうか僕の血を飲んでほしい。いや、ぜひ飲んでくれたまえ!」
エリスの胸に渦巻いていた恐怖も吹き飛ぶほど、青年は満面の笑みで至極突拍子もないことを告げたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます