天井から聞こえる鈍い音

子鹿なかば

天井から聞こえる鈍い音

あれは、私が中学1年のときでした。


私の父親はいわゆる転勤族で、小学生時代を千葉県で過ごした私は、中学入学と同時に愛知県に引っ越してきました。


両親と一人息子の私たち3人は社宅のマンションに入居しました。


私たちの部屋は5階の502号室。3LDKの間取りは3人暮らしにはちょうどよい広さ。小学校の友達と同じ中学校に行けない寂しさはありましたが、念願の自分の部屋を持つことができ、これからの生活にワクワクしていました。


新しく通うことになった中学校では、涼太りょうたという友達ができました。彼とは同じクラスで同じマンションであり、毎日彼と登校をしていました。


引っ越しは不安だったけど、さっそく仲の良い友だちもできて楽しい生活が過ごせそうだ。中学1年の私はそう思っていました。


ただ、この生活に不満が一つだけありました。


それは、とある日曜日、夕食を食べ終わって自室で携帯をいじっている時でした。


「ゴンッ」


「ゴンッ」


「ゴンッ」


と、天井から何かを叩きつけているような音が一定の間隔で聞こえてきたのです。


「うるさいなぁ」


真上の部屋には小さい子供がいて、ジャンプでもしてるのかもしれない。小さい子供が多いマンションでしたので、私はそう思っていました。


イヤフォンを耳につけ音楽で気を紛らわしていたら、気づいたらその音は聞こえなくなっていました。


それから1週間後、曜日は同じ日曜日でした。


「ゴンッ」


「ゴンッ」


「ゴンッ」


夕食を終えて自分の部屋でゴロゴロしていると、また同じ音が聞こえてきました。


「もう、またかよ」


「ゴンッ」


「ゴンッ」


「ゴンッ」


20回ほど繰り返されると、音は鳴り止みました。


また翌週も、その翌週も。


日曜日の夜8時頃になると、私の部屋の真上から、


「ゴンッ」


「ゴンッ」


「ゴンッ」


という鈍い音が20回ほど聞こえてくるのでした。


上の部屋の住人に文句を言いに行きたいがそんな勇気はありません。両親に報告すればよかったのですが、当時の私は反抗期。親に言い出すこともせず、「うるさいなぁ」と一人で愚痴をこぼし、ただひたすら我慢していました。


それからも毎週日曜日の夜に天井から音はなり続けましたが、気づけば私は気にしなくなっていました。


それから1年半後、私たち家族はそのマンションから引っ越すことになりました。


愛知県を気に入った父親は、ここに住み続けたいと言い出し、愛知に本社を置く別の企業に転職したのでした。転勤族からの卒業です。


当然社宅からは出ないといけません。近くのマンションに引っ越しをすることになりました。


住む場所が変わっても通っていた学校は変わらず、私は安堵していました。


引っ越しの前日、私たち家族はマンション内の挨拶回りをしました。


1階から順に、顔見知りの家庭に挨拶をしていきます。


私たちの部屋がある5階の挨拶まで済み、最後は最上階の6階へ。


601号室の住人に挨拶をし終わると、父親が言いました。


「ふぅー、挨拶はこれで終わりだ。お疲れ様」


顔見知りの家庭にのみ挨拶を行うということで、6階は一家族のみ。


私はつい気になって聞いてみました。


「602号室はいいの?」


602号室は私たちの真上の部屋です。


毎週聞こえてきた「ゴンッ」という音の正体がわかるのでは? そんな期待から602号室の住人の顔を見てみたかったのです。


すると、父親が言いました。


「いや、その部屋は誰も住んでないぞ」


「え?」


「私たちが来たときからずっと空いてるみたいね」

母親も父親に同意してきました。


「え、いや、だって、よく俺の部屋の上から音が聞こえてたよ」


「いや勘違いじゃないかな」

父親は怪訝な顔をしながら言いました。


「絶対誰か住んでるって。ゴンッ、ゴンッ、ゴンッって毎週上から音が聞こえてきたんだよ」


両親は不安げに顔を見合わせました。


「真上じゃなくてその隣の部屋から聞こえてたんじゃない」と母親も父親をフォローします。


そんなわけ無いと思いながら、602号室の扉の前までくると、たしかにその部屋だけ名札が剥がされていました。


「誰も住んでいないのか……」私は薄気味悪さを感じながら、その階を後にしました。


翌日、私たち家族はそのマンションから引っ越しました。


====


それから数年後、大学生になった私は、高校から別々の進路を歩んでいた涼太りょうたと久々に会うことになりました。


お互いに近況を報告し合った後、話題はあの時のマンションへと移っていきました。


「3階に住んでいた田中先輩は〇〇大学に進んだらしい」

「会社の経営が厳しくて、家賃が値上がりしたらしい」


そんな当たり障りのない噂話を涼太りょうたから報告を受けていました。


「そういえば、あの事件があったときってまさや(私の本名)ってマンションに住んでたっけ?」


「え、なんの事件?」


「確か、まさやが引っ越してくる半年前ぐらいだったからまさやは知らないのか?」


「だからなんの事件?」


「聞いたことない? ある夫婦があのマンションに2人で住んでたんだって。で、夫のほうがけっこうなDV人間で、妻にいつも暴力を振るってたらしいの。ただ、気分の上下があるらしくって、機嫌がいいときは奥さんにも優しくって、暴力をふるったことを泣きながら謝っていたらしい。だから、奥さんも別れようと思わなかったのかもね。で、ある日、相当機嫌が悪い日があって、思いっきり奥さんを殴り飛ばしちゃったんだって。そしたらさ、倒れたときの当たりどころが悪かったのか、そのまま奥さん亡くなっちゃったんだよね」


「え、まじで」


「人間って案外もろいんだよな……。しかも、この話はまだ終わらないのよ。妻が死んだことに気づいたDV夫は、正気に戻って罪の意識に押し潰されたのか、大声で泣き崩れたらしい。うぉぉぉぉぉって」


涼太りょうたは目をぎゅっとつぶりながら大声をだすふりをする。


「んな、自分勝手な」


「同じ階の人たちはその叫び声を聞いて心配になって呼び鈴を鳴らしたんだって。大丈夫ですかー?って。そしたら夫はどうしたと思う?」


「どうしたの?」


「呼び鈴を鳴らした人が言うには、扉越しに鈍い音が何回も聞こえてきたんだって。ドンッ、ドンッ、ドンッって」


涼太りょうたは頭を前後に揺らしながら説明する。


「どうやらさ、土下座の格好で何回も頭を思いっきり床に叩きつけたらしいんだ。ドンッ、ドンッ、ドンッって」


私は身体中から血の気が引いていき、手足が冷たくなってきた。


「周囲の住人も事態の異常さに気づき、管理人さんを呼びに行ったの。で、管理人さんは鍵を開けて中の様子を見たんだって。その時にはすでに音は聞こえてなかったらしい。部屋の中を見るとさ、頭から血を流してうつ伏せになっている女性と、その横で土下座するように折りたたまれた男性の死体があったらしい。すごいのがさ、男性の頭は空気の抜けたバレーボールみたいに顔の半分がぺちゃんこになってたんだって」


怪談話のピークを迎えて、涼太りょうたはドヤ顔で私の顔を覗き込んでくる。


私は呼吸が浅くなり、涼太りょうたに目をあわせられない。


「で、その部屋はずっと使われなくなったらしい。まさやが引っ越してきたのはあの事件の半年後ぐらいだね」


冷や汗をかきながら、私はなんとか声を振り絞って涼太りょうたに問いかける。


「そ、それって何号室?」


「えーっと、6階の角住戸の隣だったから、確か602号室だと思う」


私が住んでいた部屋の真上だ。


「その事件が起こったのって、もしかして日曜日?」


「えっ、あぁそうかも、俺が部活の大会があった日の夜だったから多分日曜日だと思う。ってか、なんでわかったの?」


胸が苦しくなり、うずくまる。


「お、おい、大丈夫かまさや」


苦しくて呼吸ができない。


頭の中であの音が鳴り響く。


「ゴンッ」


「ゴンッ」


「ゴンッ」


毎週聞こえていたあの音はなんだったのか。


誰もいない部屋で床に頭を打ち付ける男の姿が脳裏に浮かんでしまう。

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天井から聞こえる鈍い音 子鹿なかば @kojika-nakaba

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