空想帝国

ドレミン

第1話 はじめ

 何気ない日常を過ごしているつもりだった。

 しかし時には思いがけないことが起こる。

 これまでにもそんな経験があって、十村とむらはじめは不意に足を止めた。


「なあん」

「猫」


 いつもの帰り道。

 不意に見た塀の上に猫が居た。毛は黒一色であり、瞳は金色。体はほっそりとしていて顔にはどこか凛々しさがある。


 特別に猫好きというわけではないが、動物は好きだった。はじめがゆっくり塀に近付くと地面へ降りて足元まで来た。試しにそっと手を伸ばしてみる。

 猫は逃げない。差し出された指先をすんすんと嗅いでいる。

 それからそっと手で触れても逃げず、そのまま猫の頭や首を撫でてみた。


「うーん、ありがとう。いい毛並みです」

「んなあ」


 やけに低い鳴き声で、はじめはそれを「渋い」と評した。猫はすぐに彼の手も声も受け入れて体を預けている。自ら手に頭を擦り付けてすらいた。

 出会ったことはないはずだが、飼い猫にも見えない。野良としてあちこちを歩いて単に人に慣れているのだろう。


「よーしよしよし。人懐っこいなー君は」

「んなん」


 最初は片手だったがすぐに両手になり、猫の全身を嫌がらない程度に撫でる。

 想像以上に友好的だった。

 しばらくして満足したはじめが手を離すと、猫はじっと彼の顔を見上げる。


「どうした? まだ足りない?」

「んなー」

「うーん、何言ってるかはわかんないんだよな。難しい」


 何かを訴えたがっているのか、猫はまっすぐにはじめを見て鳴いていた。用は済んだのだがなんとなく離れ難くなっている。

 うーんと唸って困るはじめは図らずもその場から動けなくなってしまった。


 突然、町に警報が鳴り響く。

 数種類ある中でもカンカンカンと鳴るそれは日頃から聞く機会が多いものだ。


 町が少しだけ騒がしくなる。

 振り返ったはじめからは視認できないとはいえ、町中に響く大音量の原因を探す。原因はすでに知っているがいつになろうと気にせずにはいられない。

 町の至る所に設置されたスピーカーから、現状を伝える報告が聞こえてきた。


《水生怪獣が出現しました。市民の皆様、海から離れて行動し、防衛エリアには入らないようお気をつけください》

「あーまた……あ、ヒーローだ」


 目的の水生怪獣や防衛ロボを見ることは叶わなかったが、何気なく空に目を向けると飛行する人間の姿を目撃した。

 町を守るヒーローが海へ向かって飛んでいるようだ。

 相変わらず速いな、と思いながら驚きもせず見送って、はじめは足元で座っている猫へ再び視線を戻した。


「まあこの辺は大丈夫だろうけど、君も一応気をつけてね」


 はじめは猫の頭をぽんと撫で、今度こそその場を去ろうとする。


「じゃあ、またどこかで」

「はじめ」

「……ん? え?」


 振り返って一歩を踏み出すと同時、背後から声をかけられた。

 素直に反応したはじめが背後を見ると、相変わらず猫がじっとこちらを見ている。


「嫌な予感がする。気をつけなさい」

「あ……猫が喋ってる」

「そりゃ猫だって喋るさ。伝えたいことがあるんだもの」


 突然猫が人語を使って語り掛けてきた。しかしはじめは最初こそ驚いたとはいえ、あっさり受け入れてその言葉を聞く。

 不思議な体験は初めてではない。その自覚が彼を冷静にさせている。


「あまり知らない人についていくんじゃないよ。危ない目に遭うかもしれない」

「うん、わかった。気をつける」

「君はすぐに人を信じてしまうから」

「そうかな? みんないい人ばっかりだよ」

「いい人ばかりとは限らないさ。特に町の外から来た人には注意が必要なんだよ」


 言い終えると猫は踵を返し、塀の上へ飛び乗って歩き去ってしまう。

 その背中を見送り、はじめはぽかんとしてしばらく突っ立ったままだった。


「猫に喋られた……まあ、ヒーローも居るし、怪獣も出てくるし、それくらいのことはあるかな」


 多少驚いたものの、「そういうものか」とすぐに受け入れた。

 帰宅途中だったはじめもまた再び歩き出し、家へ帰ろうとする。


 町はいつも賑やかだ。

 腹を空かせた怪獣が現れることがあるが、防衛隊とヒーローが町を守る。

 医者は人々を治療し、発明家は人が暮らしやすい物を作り、魔法使いは神秘を人のために役立てる。


 町には様々な人種が暮らしている。

 森から出てきた獣人。海から出てきた魚人。山から出てきた竜人。或いは彼方から来たという亜人。


 町には神秘が溢れていて、それが当然。

 この町はありとあらゆるものを受け入れて平和を保っている。


「はじめ~。また怪獣出たな。海には近付くなよー」


 家へ向かう途中、近所に住む知り合いに声をかけられた。


「はーい。さっき猫が喋ってたよ」

「おーそうか。そりゃ猫だって喋る。俺は虎だぞ」


 公園の芝生の上、木の陰で日を避けて寝転がっている大きな虎。はじめに返事をしてからごろりと寝返りを打って目を閉じた。

 なんでもないことと受け止めて、はじめは再び歩き出す。


「虎が喋るんだからそりゃ猫も喋るか。じゃあなんで今まで会った猫は喋らなかったんだろ。不思議だなー」


 うーん、と考えながら歩いて家を目指す。

 家の近辺まで来れば近所に住んでいる人々が声をかけてくる。はじめは近所の住人に見守られて育った。虎も然り。


 はじめは祖父の死後、一人暮らしをしている。それ故に近くに住む者、彼を知る者が誰がともなく世話をしていた。

 彼が暮らしているのは住宅街にある一階建てで古びた和風の一軒家。

 その日、家の前に見知らぬ誰かが立っていた。





「スンバラシイッ‼」


 確実に会ったことのない人物だった。

 異様に細い外見に、手足が長く、身長はおそらく二メートル以上。なぜか燕尾服を着ていて顔は見えない。古びた白い袋を頭から被って、そこに笑っている様子の分厚い唇だけが描かれている。そして頭の上には黒のシルクハット。


 見るからに怪しい人物ではあるが同時に興味を引く外見でもある。

 良くも悪くもはじめは好奇心が旺盛だった。

 変な人だ、とは思ったが自宅の前であることもあり、立ち止まって相手をする。


「誰ですか?」

「ウワーオ直球ッ! しかしお伝えセネバなりませン。ワタシは津々浦々全国の皆様ご存じ! スマイル! スマイルでございマースッ!」


 怪しい人物はスマイルと名乗った。

 だから口が笑ってるのかとはじめは素直に受け入れる。


「どうかドウカ皆々様の清キ一票をこのワタシに!」

「で、何か用ですか?」

「ワタシが大統領になったアカツキには――! あァ、そうでしタ。アナタに用があるカラ来たのに大統領になるツモリになッテしまった⁉」


 やっぱり変な人だ。少し呆れるとはいえ、はじめは動じない。


「スンバラシイッ‼ アナタ素晴らしい才能ですヨッ! 十村ハジメさんッ!」

「へぇー、そうなんですか。才能ってなんの?」

「空想力ですヨ! もしやご存じナイ⁉ ナイィ⁉ でも構いません。なぜナラバ! ワタシが教えればヨイのですから!」


 何を言っているのかはわからないが楽しそうなのは間違いない。

 はじめに危機感はなく、「友達になりたいのかな」などと呑気に考えていた。知らない相手であろうと仲良くなるのが得意だという自負があったせいだろう。


「なんか教えてくれるんですか?」

「そのトウり!」

「空想力って何?」

「空想する力ですヨォ! さあ考えて考えてカンガエテェ~……考えてッ!」


 スマイルは嫌に動作が大きい。長い腕をぶんぶん振り回して異様に目立つ。

 ところが不思議と近所に住む人は誰も現れなかった。

 ずいぶん大声を出していると思うが誰もその声に気付くことも近付くこともせず、はじめとスマイルは不気味な静けさに包まれている。


「……考えた!」

「イヤァあああああッ⁉ 考えるだけじゃダメ! 考えるダケじゃダメだったァ⁉ 考えたモノを形にしないとイケないのォ!」

「これ何やってるんですか?」

「空想力のオ話ィ! 真面目にイッてるんですヨゥ!」

「なんかよくわからんな」


 はじめが呆れた顔で呟くと、スマイルは「ムムムッ⁉」と唸った。

 最初こそ興味を持たれていたのに薄れつつある。

 このままではまずいと判断したのだろう。スマイルがピンと背筋を伸ばした。


「ゴホンッ! エホンッ! ウォッホンッ! ウォオオオアッホンッ!」

「そんな必死にやらなくても」

「ゲホゲホッ⁉ オエッ⁉」

「ほら、むせた」

「ウエーッホンッ!」


 無駄に騒がしいがスマイルはすぐに落ち着き、テンションは一切変わらない。


「じゃあコウしましょう! 試シテみましょう! チマチマ話してたってどうせワカラナイでしょうが! ナンデも誰でもやるっきゃナーイッ!」

「うん……だから何をやるの?」

「使ってミマしょう! そうシヨう! 例えばハジメさん、アナタ、何かシタいことはアリますか? 叶えたいノゾミは?」


 ずいっと顔を寄せられて、スマイルの顔が目の前まで来る。

 迷惑そうな顔をしながらもはじめは逃げず、うーんと真剣に考えた。


「したいこと? そんな急に言われても……」

「デハこうしましょう。死にたくないと思ってクダさい。死にたくないデしょう? 死にたくないハズ」


 突然スマイルがはじめの額を指先でトンっと軽く突いた。

 直後、彼の頭部は勢いよく大量の空気を入れられる風船のように、ぷくーっと大きく膨らんでいく。


「おっ、おっ、おっ――」


 パァン、と軽い音と共に破裂して、辺りに血と肉と脳みそが飛び散った。

 眼前に居たスマイルは全身にそれらを浴びるはずだったのに、一切浴びていない。ふらふらしながらも立ったままのはじめの体を眺めている。

 そしてしばらくして、両手を大きく広げた。


「スンバラシイッ‼」


 はじめは。聞こえるはずのないその声を聞いた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る