第十八話 花を愛でる
現在の綾小路邸に優那が移り住む前、屋敷の管理は俺の祖父が行っていた。
といっても、実際に祖父が行っていたのは部下に対して館内清掃や書類整理の割り振りを決めていたくらいのもので、ほとんどの時間は庭いじりに費やされていたのだという。
俺は両親を早くに亡くしたこともあって、そんな祖父の背中を見て育った。
だからだろう。気づけば、俺はこの学校でも園芸委員に所属していた。
「今年の一年生は真面目だねぇ。といっても、サボらず来るのはキミくらいだけど」
発芽したベゴニアの花をプランターから花壇に植え替えながら、水附詩織先輩が言う。
水附先輩は園芸委員の委員長で、短い尻尾のようなポニーテールと日に焼けた肌が印象的な女の子だ。
いつも水泳部の練習に行く前に中庭の花壇に水やりをしていて、ときには今日のように植え替えをしたり空いたプランターに種まきをしたりしている。
俺は毎週火曜日の担当なので週に一回しか顔を出していないが、先輩が言うにはサボる生徒のほうが圧倒的に多く、ほとんど毎日先輩一人で花壇の世話をしているのだという。
「先輩は二年のときも園芸委員だったんですか?」
俺が訊くと、先輩は白い歯を見せてニカッと笑った。
「一年のときからずっとだよ。家が花屋でさ。好きなんだよね、こういうの」
なるほど。ちょっと俺と似ているな。
「似合わないってよく言われるんだけどねー。花が好きだなんてさ」
照れくさそうに頬を掻いている。可愛い先輩である。
「似合わないなんて思わないですよ。花が好きなの、伝わってきます」
「あはは、おだてても何も出ないよー」
そう言いながらも、水附先輩はちょっと嬉しそうだ。
「今年もインターハイ出れたらほぼ確でスポーツ推薦取れそうだけど、もし出れなかったら農学部でも受けようかなって思ってるんだよね」
「先輩って2コンでしたっけ」
「そうそう。去年はいちおうベスト8まで行ったんだよ。すごいでしょ?」
それは確かにすごい。
しかし、もっと凄いのはスポーツ推薦が取れるレベルの競技実績を持ちながら普通に農学部の受験を選択肢に入れていることだ。
それほど本気で植物に携わることが好きでもあるということか。
「すみません。遅れましたぁ」
ふと、慌てた様子で一人の女子生徒が中庭に駆け込んでくる姿が見えた。
少し前髪が長めのミディアムヘアをした、おっとりした感じの子だ。
決して太っているわけではないが、なんとなく肉づきの良いシルエットをしている。
――ん? というか、この女子生徒、何処かで見たことないか……?
「あ、橘さん! 今日は生徒会のほうはいいの?」
水附先輩がプランターから顔を上げて女子生徒に向きなおる。
橘さん――そうだ、この女子生徒、例の橘楓その人ではなかったか。
「はい。無事に引継ぎの資料もできましたので、今日からまたよろしくお願いしますぅ」
橘楓が水附先輩に頭を下げ、それから俺のほうに顔を向けた。
「ええと、こちらの方はぁ……?」
「あ、そうそう! 会うのは初めてだっけ? 一年生のセトくんだよ。んで、こっちは二年生の橘さん。生徒会のほうと兼任だから、あんまりこっちには顔出さないけどね」
水附先輩が紹介してくれる。
いやはや、まさかこんなところで橘楓――先輩と出くわすことになろうとは。
「よろしくねぇ、セトくん。生徒会のせいであんまり来れないけど、時間のあるときはなるべく来るようにするから、あたしのこと、忘れないでくれると嬉しいわぁ」
橘先輩は柔和な笑みを浮かべて言った。
まあ、もう忘れることはないだろう。
というか、これは面倒なことになってしまったぞ。
俺は服部側の陣営であるにも関わらず、この時点で橘先輩とも形式的には友好関係を築いてしまったことになる。
ただの心理的な問題ではあるが、この先、少しやりづらくなるな……。
しかも、いざ話をしはじめてみると、これがまた良い人なのだ。
俺と橘先輩は六月中に植える花について、やっぱりヒマワリやマリーゴールドがいいよねというたわいのない話でついつい盛り上がってしまった。
橘先輩も水附先輩と同様に花が好きみたいで、ますます俺の心境は複雑だった。
「ゴメン! そろそろ部活のほうに行くね! あとは花壇の水やりだけしておいてくれたらいいから!」
時間がきたのか、そう言って水附先輩がプランターを片づけながら中庭を出て行った。
俺は橘先輩にホースで届く範囲の水遣りを任せ、俺自身は如雨露を使って蛇口から離れた位置の花壇に水遣りを行っていく。
「橘先輩は、なんで生徒会に入ろうと思ったんですか?」
どうせなら、この機会に少しでも橘先輩の情報が欲しい。
サルビアの花壇に水を遣りながら、できるだけさりげなく俺が訊いた。
「んー? なんとなくよぉ。せっかくの高校生活だから、何かこれまでやったことないことをやってみたくなったのよねぇ」
橘先輩はおっとりと答えながら、ホースの先についているシャワーでコスモスの花壇に水を振りまきながら虹を作っている。
麦わら帽子と白いワンピースが似合いそうな絵面だな……。
「去年の生徒会長選にも出られたんですよね」
さらに訊くと、橘先輩はホースを手にしたままニッコリと笑った。
「そうなのよぉ。去年は本当にノリで出てみただけだったんだけど、いざやってみると楽しくってぇ。会長さんが面白い人で、何年か前になくなっちゃった林間学校や臨海学校を復活させようって言い出してねぇ……」
そういえば、年間スケジュールに林間学校の記載があったな。
七月の夏休み直前に行われるらしく、一年生は林間、二年生は臨海になるのだという。
復活させよう――ということは、一時はなくなっていたものを橘先輩たちが生徒会の活動を通じて復活させたということだろうか。
となると、思ったよりもかなり活動的な生徒会なのようだな。
「まあ、会長さんはアイデアを出すのは上手だったけど、自分では何もしない人だったから、ほとんどわたしがすることになっちゃったんだけどねぇ……」
橘先輩が困ったように笑う。
「それで、なんで合宿が行われなくなったかを調べてたら、実はそれまで利用していた会館が閉鎖してただけだったことが分かってぇ……それなのに年度予算の中からは毎年ちゃんと積立金が拠出されていて、おかしいわよねって話になったのよぉ」
ん……? ちょっと待て、それってナチュラルに学内の不正を暴いたってことか?
「教頭先生にそのことを話したら、これはあくまで次の候補地を探すのに時間がかかっただけだからって、急に今年から復活することになったのよねぇ」
橘先輩は自分の発言の内容をちゃんと理解しているのか、無邪気に笑っている。
地味にすごいことやってるじゃねえか……。
それに、彼女の話を鵜呑みにするとしたら、それらを主導したのは現生徒会長ではなく橘先輩ということになる。
だとしたら、見た目の印象に反して、この先輩、実はかなり有能な人物なのでは……?
そういえば、ここしばらく園芸委員に参加できていなかったのも、生徒会の引継ぎ資料を作るためだと言っていたな。
ひょっとしたら、そういった細やかな配慮であったり、そもそもの組織運営というものに長けた人物なのかもしれないな……。
「やっぱり、来年は生徒会長になりたいですか?」
如雨露に水を汲みに戻りながら俺が訊くと、橘先輩は少し悩むように首を傾げた。
「んー。ほんとはどっちでもいいのよねぇ。でも、今の会長さんも再選を狙ってて、あの人がまた生徒会長をするなら、あたしがやったほうがいいかなぁと思ったのよねぇ……」
なるほど。今の会長は、アイデアマンとしては優秀かもしれないが、組織の上に立つ者として信頼できる人物ではないということか。
というか、再選を狙ってるということは、この前の全体朝礼で服部や橘先輩と同様に演説を行っていたはずだが――そんな人物いたかな?
あるいは有象無象に紛れてしまう程度の人物だったのかもしれない。
少なくとも、あのときの演説で注目に値したのは服部を除けば橘先輩くらいだった。
しかし、話せば話すほど橘先輩も応援したくなってきてしまったな。
これは俺にとって難しい展開になってきたぞ……。
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