第三話 カスミとマユカ
帰宅のために荷物を取りに教室に戻ると、何故か姫宮が一人で教室に残っていた。
机の上に化粧道具を広げ、窓から差し込む夕日をバックに自撮りをしている最中らしい。
SNSに上げるための映え写真というやつだろう。
なんにせよ、好都合だ。ここまで声をかけるのに適したタイミングは他にない。
「姫宮
俺が声をかけると、姫宮はギョッとしたように目を見開いて俺を見た。
「え、え、なに? マユになんか用?」
明らかに警戒されている。
俺が姫宮に対して直接的に何かをしたということはないが、彼女だって俺と有紗が裏で通じていることくらい気づいているだろうし、多少は思うところもあるだろう。
姫宮はパーマのかかった明るめの茶髪にガッツリめの化粧という、いかにもギャルという風体の女子である。
左右の耳には大きめのピアスをつけていて、爪の色も派手な上に先が異様に尖っている。
袖まくりしたブラウスにニットベストというギャルスタイルも、よく見るとかなり可愛いじゃねえか……。
――いかんいかん。いくらギャルだからってときめいてはいけない。
コイツは深雪と違ってガチのギャルだから、たぶん俺とは相容れないタイプだ。
「も、もうアヤノコウジにもカグラザカにも、なんにもしてないでしょ? ま、マユに何かしようってんなら、大声出すよ?」
滅多なことを言うな。少し話を聞きたいだけだ。
「は、話ってなにさ? そ、そりゃ、確かにあのときは童貞卒業させてあげてもいいよって言ったけど、あんなのその場のノリで言った冗談だし……」
そういえば、そんなこと言われたっけな。
というか、なんで今になってそんな話が出てくるんだ。
「だって、こんな誰もいない教室で話って、どうせエッチなことでしょ? ま、マユ、別にこういうカッコが好きってだけでそういう経験ないから、ホントに人を呼ぶよ?」
うお、訊いてもいないのに謎のカミングアウトをされてしまった。
俺の周り、マジでこういうタイプの女しかいねえのか。
「話ってのは、服部のことだ」
仕切り直しをはかるために、適当な机の上に腰を下ろしながら俺が言った。
さすがに予想外だったのか、姫宮が目を丸くする。
「カスミのこと? なんで?」
おや、名前で呼び合うほどの仲なのか。
同じ中学の出身という話しか聞いていなかったが、これなら思っていたより中身のある話を聞けるかもしれないな。
「べ、別に、仲が良いってわけじゃないし……」
何か思うところでもあるのか、姫宮は視線を逸らしながら言い澱む。
「ていうか、マユはアイツのことキライだし……勉強できて生徒会長とかもやって、それなのにこんな普通の学校にきてさ。見せつけられてるみたいで、キモイんだよね」
窓の外を見やりながら、ブツブツと勝手なことを言っている。
とりあえず、姫宮の
生徒会長もやっていたというなら、ホームルームで激昂したことにも少しは納得がいく。
本心はどうあれ、あのときの優那がこの学校の生徒会を馬鹿にするような発言をしていたことは変えようのない事実だ。
「アヤノコウジがいなかったら、きっとアイツが代わりにイジメられてたよ。なんでこんな学校にいるのか意味分かんないもん」
おいおい、まさか今度は服部を狙って何かしようってんじゃないだろうな。
仮に服部が優那と同様にこの学校にとって場違いな存在だったとして、それなら何をしてもいいなんてことにはならないことくらい小学生でも判断できるぞ。
「ち、ちがっ、やらない! もうやらないよ! その、ヤナちゃんは知らないけど、マユはもう普通の高校生活を送りたいもん……」
姫宮が焦ったように訴えてくる。
その目には俺に対する恐怖が浮かぶとともに、一抹の悔恨も宿っている気がした。
うーむ……これはひょっとすると、姫宮は別に本心から優那が憎くて
だからといって、それで虐めに加担した事実がなくなるわけではないし、姫宮のしたことを容認できるわけでもないが……。
――まあ、この件に関してはもう解決したことではある。
終わったことをいちいち蒸し返したところで、何が得られるわけでもない。
俺は姫宮の前まで行くと、正面から彼女の目を見据えて言った。
「おまえがそうであるように、俺たちだって、普通の学生生活を送りたい」
それは、これからの三年間で優那が望む唯一の願いであり、俺や有紗がこの身を
優那には俺たちがいた。だが、もしあれが優那じゃなかったら、あるいは俺たちのような仲間がいなかったら、もう二度と普通の学生生活を送れなかったかもしれない。
姫宮は俺の視線から逃げるでもなく、かといって睨み返すわけでもなく、ただ瞳を大きく見開いてじっと俺の顔を見つめ返していた。
「……ごめん。本当に、もうしないから」
やがて、姫宮は俯きながらぽつりと言った。
まあ、この調子ならもう大丈夫だろう。
「いいよ。分かってくれてるなら」
俺は姫宮が少しでも警戒を解けるように、できるだけ優しく微笑みながら答えた。
そもそも、別に威圧したかったわけではない。
これから色々と話を聞くにあたって、わだかまりをなくしておきたかっただけだ。
姫宮は
緩急をつけすぎたせいで、彼女の情緒がついてこれていないのだろうか。
まあいい。それよりも、そろそろ本題に入らなければ……。
「あのさ」
「あ、あのさ」
うお、かぶってしまった。
こういうときは女子を優先するのがセオリーだ。
有紗が言っていたことだから、信用に値するかは微妙なところだが。
「あ、あの、この前、言ってたこと、あのときはただのノリだったけどさ……」
急に両手の指先をモジモジと絡み合わせながら、何故か赤い顔で言う。
いや、窓から差し込む夕日のせいで赤く染まっているだけ……だよな?
「あ、あんたがそうしたいなら、マユ、あんたとなら……」
そう言いながら俺を見つめる姫宮の瞳は、恥じらいとともに何処か
おいおい、俺はこんな感じの顔をこれまでに何度も見ている気がするのだが……。
「ご、ごめん! なんでもない! じゃ、じゃあね!」
姫宮はそのまま大慌てで机の上の化粧品を鞄の中にしまい込むと、
しまった。ちっとも服部のことについて聞けぬまま逃げられてしまったな。
というか、余計なフラグを立ててしまったかもしれない。
いや、さすがにないか……ないよな?
――と、そのとき、姫宮が出て行ったほうとは反対側の扉がガラリと開いた。
「……泥棒猫が現れたようですね」
何故か開いた扉から顔半分だけを覗かせて、有紗が無表情にこちらを見つめていた。
コイツ、今回も変わらず絶好調だな……。
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