第二九話 手前勝手なお願い

 ゲーセンでひとしきり遊んだあと、俺たちは一階のモックに来ていた。

 深雪はまたビックモックセットを頼んでいたが、今回は絶対にホテルには行かんからなと事前に強く釘を刺しておいた。


「分かってるよ。『のうしば』でゴロゴロしよ!」


 どうやら今日はちゃんと最後まで健全なデートをしてくれるらしい。

 俺たちはそのままモックで買ったものをテイクアウトすると、『のうしば』の芝生エリアで食べることにした。

 『のうしば』は夕刻も近いこの時間になると学生デートのメッカになる。

 俺たち意外にも男女のペアで語らっている学生の姿が無数にあった。


「あたしたちもカップルに見えるかな?」


 ビッグモックにかぶりつきながら、深雪がにへらっと笑った。

 今日はもう会ってからずっと可愛い。

 俺はいよいよどうしたらいいのか分からなくなってきていた。

 自分のだらしなさに腹が立ってくるくらいだ。

 まだ最初のころはしっかり優那に操を立てるつもりだった。

 しかし、最近の俺はもうすっかり深雪の可愛らしさに絆されてしまっている。

 まあ、優那も俺と同じようにすっかり心を許しているわけだから、そもそも人間的な魅力の高い女の子なのだろう。

 もう腹を括って深雪とも正式に交際をはじめるべきだろうか。

 いや、しかし、そんなことをしてもけっきょく誰も幸せにならないのでは……。


「ねえ、セッちゃん」


 ふと、深雪が何処か遠くを見ているような目で言った。

 まるで、ここではない何処かを見ているかのようだった。


「あたし、このままユナちゃんのお友達でいても良いのかな」


 ……急にどうしたというのだろう。

 どう考えても、優那にとってもはや深雪は必要不可欠な存在だと思うのだが。


「この前の柳川さんとのこと、実はあたしも知ってたんだ」


 半分だけ食べたビックモックの包みを膝の上に置きながら、深雪が自嘲的に笑った。


「知ってて、あたし、何もできなかった。そんなので、本当にお友達って言えるのかな?」


 それは……。

 そんなことは気にする必要ない――と、言ってしまうことは簡単だった。

 だが、これはおそらく俺が何か言って解決する問題ではない。

 深雪の心の中にあるわだかまりの問題なのだ。

 大切な友達が虐め被害に遭いかけていることを知っていながら、何もできなかった自分に対する無力感――。

 俺だって、今回の問題を知っていながら放置して、その上で誰か別の人が知らないうちに解決してくれたとあれば、安堵と同時に自分の不甲斐なさを責めるだろう。

 だから、俺が彼女にかけてあげるべき言葉は、たぶん『気にするな』ではない。

 きっと目を向けるべきは過去ではない。未来だ。


「優那は、深雪のことを本当の友達だと思っているよ。きっと、今も、これからも」


 俺は、できるだけ言葉を選びながら言った。


「友達だから、何もかもすべて力になってあげなきゃいけないなんてことはないさ」

「でも、あたしに何もできなくても、立ち向かうことはできたよ」


 深雪は俺の目を真っすぐ見つめ返しながら言った。

 俺は、頷き返しながら答える。


「そうだな。でも、それで今度、もし深雪が新たなイジメの対象になったら、きっと優那はすごく悲しんだし、苦しんだと思う。自分のせいで友達がイジメに巻き込まれたって」

「それは……」

「もちろん、ただの結果論さ。イジメっていうのは、単純な正義感でどうにかできるもんじゃない。俺も今回の件を収めるのに、かなり汚い手を使った。深雪に話せば、ひょっとしたら俺のことなんて嫌いになってしまうかもしれないくらいにね」

「あ、あたしは絶対にセッちゃんのこと嫌いになったりなんかしないよ!」

「ありがとう。でも、それくらいイジメってのは面倒なことなんだ。それに、深雪は本当に何もしなかったのか?」

「それは……先生に相談くらいはしたけど……」

「じゃあ、それで十分だよ。今回は先生よりも俺たちが先に解決しただけさ」


 どのみち、俺はかなり早い段階で穂村先生にも状況を説明していたから、深雪が相談した時点ですでに先生のほうでも何かしら動いてはいた可能性はある。

 ただ、俺たちのほうがフットワークが軽かっただけだ。

 こういう学校組織において、たった一人の教師が真面目に取り合ってくれた程度で虐め問題が解決する可能性など、砂漠に緑が根づくほどにわずかなものだろう。


「先生に直接相談したのも、俺たちに心配させたくなかったからだろう?」

「うん……それに、二人が何かしてるのは分かってたから、邪魔したくなくて」

「そこまで分かってるなら、本当に十分じゃないか」


 俺は、気づいたときには深雪の頭に手を伸ばして優しく撫でていた。


「深雪は、優那のそばにいてくれるだけで十分だったんだよ。何かあったとき、それを解決してあげることだけが友達の役目なんてことはない。ときにはただそばに寄り添ってあげる存在だって必要さ」

「あたし……」

「優那も俺も、深雪がこれからもずっと友達でいてくれることを望んでる。本当の友達っていうのに、それだけじゃ足りないだろうか?」


 じっと深雪の顔を覗き込みながら、俺が訊いた。

 深雪はそんな俺の顔を潤んだ瞳で見つめ、そして――プイッと顔をそらした。


「足りない」


 あれ? なんかフラグを折るようなこと言ったかな。


「ぜんぜん足りない!」


 急に大声を出しながら、深雪は頭の上に乗っていた俺の腕を強引に払った。

 そして――そのまま、ものすごい勢いで俺の体に飛びついてきた。


「セッちゃん、自分がどれだけ身勝手なこと言ってるか分かってる!? あんた、あたしのこと何度も何度も振ってるんだからね!? そのくせ、こういうときだけ都合よくユナちゃんのお友達でいてほしいとかってさ、あたしのこと、便利な女だと思ってない!?」


 むぐっ……確かに、言われてみればだいぶ手前勝手なお願いではあるが……。

 深雪は食べかけのビックモックも放り出して、もう完全に俺の体を押し倒していた。

 よくよく考えれば、深雪に押し倒されるのはこれで二回目だな。

 今後の俺たちの関係性を暗示しているような気がして、俺は思わず身震いする。


「いいよ! もうこの際だから、便利な女になってあげるよ! やっぱりユナちゃんのことは好きだし、セッちゃんのことも大好きだし、でも、ただではなってあげないから!」


 深雪は唾を飛ばしながらそう言って、そのまま両手でガッツリと俺の顔をホールドした。

 『ただでは』という言葉の意味くらい、俺だってもう分かっていた。

 それから深雪は——俺にキスをした。

 長い長い、鼻で息をしなければ窒息するくらいの長い口づけだった。

 そして、それがもう何度も何度も続いた。

 深雪が満足して顔を離したとき、俺の唇はもう完全に腫れ上がっていた。


「ふんっ! 今日はこの辺で勘弁してあげるわ!」


 真っ赤な顔でそう言いながら深雪が俺の体から離れても、俺はしばらくその場から身動きがとれなかった。

 くそっ、ちんちんが破裂しそうだぜ……。

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