第二三話 相手を選ぶことです

 何者かが俺の上にまたがっていた。

 煽情的せんじょうてきな表情で俺を見下ろしながら、なまめかしく腰を動かしている。

 下半身に血液が集中するのが分かるが、感覚はぼんやりとして分からない。

 たぶん、俺がまだ童貞だからだろう。

 そう、これはいつもの夢だ。最近は本当にエッチな夢をよく見る。

 今回は昨日の深雪のキスが原因だろう。

 何者かは腰を揺らしながらゆっくりと顔を近づけ、口づけをするとともに熱く柔らかな舌を差し入れてくる。

 というか、本当に夢なんだろうな……?

 前回、前々回のことを考えると、今回も良からぬことをされている可能性はある。

 このまま快楽に身を任せることは簡単だった。

 だが、それではいけない。

 俺には守らなければならないものがあるのだ!


 俺は快楽の波に抗い、微睡まどろみの中から抜け出すように無意識に手を伸ばしていた。

 そして、目覚めたとき、俺の目の前には――誰もいなかった。

 本当に正真正銘、ただの夢だったのだ。

 俺は安堵してゆっくりその場で体を起こした。


「おはようございます、セイさま」


 ビクッとした。枕元に有紗が立っていたのだ。

 な、何故? 休日ならともかく、平日の朝にどうして有紗がここに?


「朝のご奉仕のために来ました。朝食の準備ができておりますので、着替えたらリビングのほうまでお越しください」


 そう言って恭しく頭を下げると、そのまま俺の部屋を出ていく。

 朝のご奉仕……? 随分と含みのある言いかただが……。


「あ、アーちゃん、どうだった?」


 ――と、部屋の外から姉貴の声が聞こえてくる。 


「まったく問題ありませんでした」

「ええ? ほんと?」

「はい。なんでしたら、今日はいつもより少し白熱してしまったほどです」

「あらまぁ……あ、それ、洗濯する前にわたしの部屋においといてもらっていい?」

「かしこまりました」


 なんだなんだ……?

 会話の内容についてはまったく理解が及ばなかったが――いざ着替えをしようとしたときに、恐るべきことに気づいてしまった。

 何故か、寝巻の下にはいていたはずのパンツがなくなっていたのだ。

 ――俺はもう、何も考えないことにした。

 はいていたと思っていただけで、うっかりノーパンスタイルで寝てしまったのだろう。

 たぶんきっと絶対にそう。


     ※


 水曜日である。

 いつものように少し早めに登校した俺は、またしても優那の机が荒らされているところを目撃することとなった。

 今度は机の上の落書きに加えて、中にゴミまで詰められている。

 俺はひとまず虐めの証拠ということで現場をスマホのカメラで撮影すると、前回と同様にニヤついた顔でこちらを見ている柳川たちのほうを見やる。


「またおまえらか?」


 俺が訊くと、柳川たちはことさらニヤニヤと笑みを深めた。

「また? そもそもあたしたちは何もしてないし。証拠もないのにやめてくれる?」

「あっはは! それより、早く綺麗にしないと綾小路さんが来ちゃうよ、下僕くん?」

「健気だよねェ。頑張ったらマユが童貞卒業させてあげてもいいよ?」


 そう言ってケラケラと笑いはじめる。

 いちおう今のやりとりは録音しておいたが、証拠としては薄いか。

 すでに登校している他の生徒たちは、明らかに俺たちのことを意識しつつも関わるまいとして他人事を決め込んでいるようだ。

 やはりこの三人が主犯と見て間違いはなさそうか。

 俺はスマホで有紗に少し遅れて登校するようにメッセージを送ると、前回と同じように優那の机を綺麗に吹き上げ、中に詰まったゴミも処分した。

 優那がこういった事実を知る必要はない。すべて俺たちで蹴りをつける。


     ※


 翌日、始業前の机への悪戯はなかったものの、昼休みに有紗が女子生徒から呼び出しを受けるという事態が起こった。

 有紗に声をかけてきたのは名も知らぬ女子だったが、十中八九、柳川の指示だろう。

 俺は優那と深雪に先に屋上に行って昼食を食べているよう伝えると、スマホの『探す』機能を使って有紗が呼び出された場所へと向かった。

 俺たちはスマホで常に互いが何処にいるか識別できるようにしている。

 いつも有紗がフラッと俺のもとに現れるのもそのためだ。

 といっても、タイミングについては彼女の感性によるところが大きいが……。


 ともあれ、有紗は校舎裏にいた。

 当然のように柳川とその取り巻きたちによって取り囲まれている。

 虐めってのはいつの時代も変わらんのだな……と、思わず感心してしまった。

 俺はスマホのカメラでこっそりその現場を撮影しつつ、動向を観察する。


「あんたたちさ、正直、ウザいのよ。自分たちが場違いなところにいるって分かってんでしょ?」


 柳川が有紗を睨みつけながら言う。


「痛い目見ないうちにさ、綾小路の力でどっか別のガッコに行ったほうがいいと思うよ?」

「そうそう。オジョウサマ向けのもっと良いトコに行ったらいいじゃん」


 取り巻きたちはニヤニヤとしていた。

 まるで自分たちの圧倒的優位を疑いもしていないようだ。


 ――というか、こいつら、正気なんだろうか。

 相手は天下の綾小路家のご令嬢だぞ。

 下手に手を出して、自分たちが報復される危険性などは考えないのだろうか。

 いや、だからこそまずは有紗から落とそうとしているわけか。

 綾小路家に喧嘩を売っているという意味ではそう変わらないと思うが……。


「あなたがたに指図をされる言われはありません。もし、どうしてもとご希望されるのであれば、直接お嬢さまにご進言されてはいかがでしょうか」


 おお、有紗も煽るね。

 相変わらず涼しい顔をしているところも煽りポイント高めな感じだ。


「は? 生意気言ってんじゃないよ!」


 よほど有紗の反応が不快だったのか、柳川が声を荒げながら腕を振り上げた。

 わりとあっさり手を出すんだな。これは良い映像がとれそうだ。


 パシィン! ――と、乾いた音がして有紗の頬が叩かれた。

 よし、この辺りで録画はとめておこう。ここから先は逆に面倒なことになる。


「あっはは! いったそー!」


 取り巻きの一人が歓声を上げている。柳川もしてやったりという顔をしていた。

 まあ、普通の女子であれば、顔を引っ叩かれた時点でメンタルを折られるだろう。


 ――普通の女子であれば。


 有紗はおもむろに一歩前に踏み出すと、柳川の脇腹にボディブローをお見舞いした。

 本当に一瞬の出来事だった。


「……え?」


 くずおれる柳川を見下ろしながら、取り巻きが目を丸くする。

 有紗はそのまま取り巻きの片方に左のボディブローを打ち込むと、残りの一人にはその横っ腹に胴回し蹴りで思いきり踵を叩き込んでいた。

 柳川たち三人は、文字どおり一瞬のうちに地面を舐めさせられていた。


「喧嘩を売るなら相手をよく選ぶことです。今回の件はわたしの胸の内にとどめておきますので、今後は真面目に勉学にいそしむようお心がけください」


 うめき声を上げながらうずくまる柳川たちにいつもの無機質な調子でそう告げて、有紗がこちらに向かって歩いてくる。

 俺は柳川たちに気づかれないように壁に身を隠したまま、有紗が来るのを待った。


「映像は撮ってもらえましたか」


 有紗は当然ながら俺の存在に気づいていたようだった。

 もちろん、頬を引っ叩かれるところまでしっかり録画しましたとも。


「素晴らしいです。ご褒美として保健室でエッチなことをしましょう」


 相変わらずブレない女だな。

 つつしんで辞退させていただきます。


「わたしへのご褒美ですよ?」


 え、そうなの?


「頬を叩かれているんですよ? ご褒美なしではやっていられません」


 ま、まあそれはそうかもですが……。


「この際ですから、トイレでも構いませんが」


 いや、何がこの際なのかさっぱり分からん。

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