第十八話 彼女の願いを叶えるため
「ごべんなざいぃぃい、あんだごどを言うづもりはながっだんでずけどぉぉお!」
「お嬢さま、鼻水が出ていますよ」
「うずずず……」
昼休み、屋上である。
優那は深雪に抱きつきながら涙と鼻水をほとばしらせていた。
深雪も困った顔で笑っている。
「な、なるほど。セッちゃんに対しても表と裏でこんな感じだったんだね」
「人前では恥ずかしくてつい思ってもみないことを言ってしまいますの……直そう直そうとは思っているんですけれど、意識すればするほど言葉が辛辣になってしまって……」
「そういえば、確かに今日のは今までで一番キツかったかも」
「ごべんなざいぃぃぃい!」
「お嬢さま、鼻水がほとばしっておられます」
また泣いてる。
ただ、その涙と鼻水を拭う有紗は非常に満足そうな顔をしていた。
コイツちょっと性癖盛りすぎなんよ。
——いや、とりあえず有紗のことは無視だ。
優那と深雪のやりとりに注視しよう。
「でも、分かってたら逆にギャップが可愛く思えてくるよね」
「そ、そうですの?」
深雪はニッコリと優那に笑いかけている。
もしこれが男女なら恋愛フラグが立ってそうな会話しとるな。
「あたし、ユナちゃんは別に今のままでもいいんじゃないかなって思うけどなぁ」
「分かります。やはりツンデレはクラシックタイプが志高ですよね」
いや、有紗さん、そこはあなたが割り込んでくるところじゃないんですよ。
めっちゃ良いところだからいったん大人しくしておけ。
「そ、そうでしょうか……」
遅ればせながら、少し自信がなさそうに優那が呟く。
「わたくし、この性格のせいで中学生のころは友達なんてほとんどできませんでしたの。といっても進学校でしたから、周りはみんなライバルといった感じでしたけれど……」
優那はすっかりシュンとしてしまっていた。
中学生のころの優那か——。
優那は、少なくとも中学生の時点までは本当にお嬢さま然とした人生を歩んでいた。
県内で最難関と謳われる進学校に通い、家でも専属のオンラインで家庭教師をつけ、中学を卒業するころにはそこいらの大学なら余裕で合格できるレベルの学力を身につけていた。
もちろん、中学は主席で合格——そんな才女がこんな平凡な公立高校を受験するとなったときは、関係者の間で相当な混乱が起こったと聞いている。
一方で、それまでの優那の人生は常に何かが足りなかった。
母はおらず、旦那さまはご多忙で、俺や有紗以外に友達と呼べる者もいない。
娯楽が与えられることもなく、繰り返されるのは勉強と習いごとの日々——。
優那の心は常に渇ききっていた。
俺も有紗も彼女の心を満たすために腐心はしたが、所詮、俺たちは綾小路家の
どうしても優那の立場や将来を考えてしまう。
俺たちでは、本当の意味で優那の渇きを癒してあげることはできなかった。
「そうだったんだ……」
気づいたとき、深雪は優那の隣に座ってその手を取っていた。
優那が驚いたように目を見開き、深雪の顔を見る。
深雪は目を伏せ、両手で優那の手をそっと包み込んだまま語りかける。
「じゃあさ、これから、いっぱい色んなことをしようよ」
優しく優那の手を撫でながら、深雪が言う。
「一緒に服を見に行ったり、カフェに行ったり、たまには遠くに旅行してみたりさ。こうやって一緒にお弁当を食べたり、みんなでお菓子を持ち寄ってパジャマパーティしたり、またこの前みたいにキャンプに行ったり、あたし、ユナちゃんと一緒に色んなことがしたいな」
優しい顔で優那に微笑みかける。
「あ、でも、別にユナちゃんにお金を出せって言ってるわけじゃないからね! ちゃんとワリカン! 昨日は、その、出してもらっちゃったけど……」
——と、今度は慌てたようにとりなしている。可愛い。
それを聞いていた優那は、しばらく放心したようにポカンとしていた。
まるで深雪の言っていることが理解できないとでも言うような、そんな表情だった。
そして——。
ハラリと、見開いた瞳から涙をこぼした。
まるで自分が泣いていることすら気づいていないように、ただ茫然としたまま、静かに涙を流し続けていた。
「ちょ、どうしたの!? えっ!? あたし、変なこと言っちゃった!?」
優那の様子に気づいた深雪が、大慌てでハンカチを取り出して優那の目尻を拭おうとする。
しかし、優那はそんな深雪の腕を掴むと、そのまま力一杯に自分のほうへと引き寄せ、ギュッと深雪の体を抱きしめた。
「ゆ、ユナちゃん……?」
優那は何も言わなかった。
ただ、嗚咽を漏らしながらずっとずっと深雪のことを抱きしめていた。
深雪も最初は驚いていたが、おずおずと優那の背中に腕を回すと、そのまま優那が落ち着くまでずっとその背中を優しく撫で続けていた。
そうか……。
優那は、今まで
『友達』——。
思うに、俺に偏執的な愛情を見せていたのも、きっと俺だけが唯一の友達だと思っていたからなのだろう。
だが、もうその影を俺に求める必要はない。
今この瞬間、優那は本当の意味で『ありふれたごく普通の友達』を得たのだ。
少し寂しくはあるが、これからは俺が背負っていた荷のいくらかを深雪が背負ってくれることだろう。
俺たちの関係もまた少し変わるのかもしれない。
でも、それでいい。俺たちは最初から優那の願いを叶えるために動いていたのだから。
ふと、有紗のほうを見やると、何故か優那たちのほうではなく、じっとこちらのほうに顔を向けていた。
そして、相変わらず無表情なまま、唇だけを動かして告げる。
「わたしの本命はあくまでセイさまのおちんちんですので」
今すっごい良いシーンだから、もうちょっとだけ自重しといてくれるかな?
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