第十四話 青春なんていらない

「なんかゴメンね、夕食ご馳走してもらったのに、帰りまで送ってもらって」


 最寄り駅についたところで振り返りながら、深雪が言った。


 夕食後、俺たちはそれぞれいったん別行動をとることになった。

 姉貴は眠くなったとのことでそのまま自室に戻ってしまったし、優那も着替えて化粧を落としたいということでシャワーを浴びはじめ、有紗は夕食後の片づけをするというので俺が深雪の見送りに名乗り出たというわけである。


「ユナちゃんやアリサちゃんって、こっちが勝手に変な想像してただけでめっちゃ面白くて良い子だったんだね」


 帰り道、深雪は終始ニコニコとしていた。

 成り行きで深雪を巻き込んでしまったが、なんだかんだで楽しんではもらえたらしい。

 今では女の子同士、すっかり名前で呼び合うようになっている。


「……あたし……」


 駅前までたどり着いたとき、深雪がフラッと俺のそばまで歩いてきて、こちらの胸許にコツンと額を当ててきた。


「あの子たち仲良くなって、セッちゃんの知らないところを知って……」


 その小さな手が、かすかに震えながら俺のシャツをきゅっと掴んだ。


「それでも、おかしいのかもだけど、やっぱりまだ、セッちゃんのこと好きだよ……」


 俯いたままこちらに表情は見せず、深雪が言った。

 頭の上の天使の輪だけが、何処か悲しげに揺れているように見える。


 本来ならば、俺にそんなことをする資格がないことくらい理解していた。

 だが、それでも心の奥底からわき上がる欲求をおさえることができなかった。

 気づいたとき、俺は深雪の体を優しく抱きしめていた。


「……セッちゃん」

「俺も、深雪のことが好きだよ」


 心からの言葉だった。


 俺にとって、深雪は『普通の生活』の象徴だった。

 両親が五歳のときに他界して、以降の俺の生活は常に綾小路家とともにあった。

 学校こそ公立に通わせてもらっていたが、姉貴が大学に上がる二年前まではずっと俺たちも綾小路の邸宅に住まわせてもらっていたのだ。

 生活において何か厳粛なルールがあったわけではないが、当然、友達を家に招くことなどできないし、綾小路家との関係を大っぴらにすることも難しかった。

 そうすればきっと周りの人間は態度を変えるだろう。

 自分に近づいてくるものが打算で動いているようにしか見えなくなるだろう。

 幼心にそういった不安を抱えていた。


 深雪は、そんな俺にとって唯一心を許せる相手だった。

 綾小路家のことを大っぴらにこそしなかったものの、彼女であればたとえそのことを打ち明けても決して態度を変えることはないだろうと思っていた。

 まさか、そもそも信用すらしてもらえないというのは予想外だったが……。

 だが、実際に彼女は綾小路家と俺の繋がりを知り、優那や有紗の本来の姿を見ても、これまでと変わらぬ態度で接してくれている。

 俺が中学時代、何処か心の奥底で求めていた『普通の生活』を送れていたのは、深雪の存在があったからに他ならないのだ。


「……でも、セッちゃんは綾小路さんとつきあうんでしょ」


 深雪が俺の胸に顔をうずめながら、寂しげに言った。


「……うん」


 俺は否定することができなかった。

 深雪が俺にとってとても大事な存在であることに間違いない。

 だが、優那も俺にとって同じくらい大事な存在なのだ。

 優那の母は俺たちの両親が事故で亡くなった翌年に遺伝性の病気でご逝去された。

 もともとそう長くは生きられないとの話だったが、それでも綾小路の旦那様や幼い優那の悲しみは筆舌にしがたいものだったと思う。

 思えばあれは一種の共依存だったのかもしれない。

 俺たちは互いの悲しみを埋めるように常に一緒にいるようになった。

 有紗もそんな俺たちに幼いながらよく尽くしてくれた。

 俺たちはあのときからずっと三人一緒に綾小路家の中で育ってきたのだ。


「俺には、選ぶことができなかったんだ。たまたま、優那が先だったってだけで……」


 俺は深雪の匂いを胸にいっぱいに吸い込みながら言った。

 これが最後——これで俺たちの関係は終わりになる。そんな予感を感じていた。


「あたしにもう少し勇気があれば、結果は違ったのかな……」


 深雪が涙ぐむような声で額を押し当ててくる。

 どうだろうな……あるいは、今とは少し違う未来が待っていたのかもしれないな。


「でも、あたし……」


 深雪の手が俺の服をギュッと握る。

 次に深雪が何を言うか、俺にはなんとなく分かっていた。

 俺は両手でそっと深雪の肩を掴むと、優しくその体を離した。


「ダメだ、深雪。君みたいに誰かの光になれる子は、俺なんかに捕らわれちゃいけない」


 そうだ。俺の人生に優しい光をもたらしてくれたように、深雪はこれからもきっと誰かの人生を光で照らしてあげられる存在なんだ。

 今は俺という枷が彼女を縛りつけているだけ――彼女自身がそのことに気づいて、自らを開放してあげなくちゃいけない。


 俺は……少し寂しくなってしまうけど。


「……セッちゃん……」


 深雪が揺れる瞳でじっと俺を見上げている。

 そして――。


「……いやっ!」


 いきなり腕を振りほどかれてしまった。

 改めて深雪を見やると、その顔は信じられないくらい憤怒の色一色に染まっている。

 それこそ、以前に空き教室で告白されたときよりも強い激情に駆られているかのようだ。

 な、何故!? わりと良い感じの流れじゃなかった!?


「バカにしないでよ! あたしにはあたしの生きかたがある! なんでセッちゃんにそれを決められなきゃなんないの!?」


 い、いや、ごもっともですけれども……。


「あたしのことが好きで、あたしを光だって言うなら、ごちゃごちゃとゴタクを並べてないでさっさとあたしを抱いてよ! あたしをあんたのオンナにしてよ!」


 ぐおっ、強い! こいつ、俺が思ってるよりずっと強いぞ! メンタルがヤベえ!

 というか、観衆の注目が集まってきた。そりゃ、集まるわな。俺だってこんなやりとりが目の前ではじまったら、ちょっと見物していこうかなってなるもん。


「セッちゃんはなんにも分かってない! 綺麗ごと言うのはやめて! あたしはセッちゃんのものになりたいの! 甘酸っぱい青春なんていらないのよ! 分かる!?」


 わ、分かります! 分かります! 


「分かったら、頭を冷やしてよく考えて! ほんとにいつまでもガキなんだから……!」


 ぴしゃりとそう告げて、深雪が肩を怒らせながら改札の奥に消えていく。

 うーん……なんか、改めて好きになりそう。いろんな意味で胸の奥を震わされたぜ。

 

「さすが深雪さまです。敬服に値します」


 何故か、背後から拍手の音とともに有紗の声が聞こえてきた。

 振り返ると、自分のではなく俺の自転車にまたがった有紗の姿がそこにあった。

 おまえちょっと神出鬼没すぎんか。


「セイさまと深雪さまが帰りの道中でうっかりそのままエッチなことをはじめないよう監視に来たつもりでしたが、存外に良いものが見られました」


 有紗は今のやりとりがよほど気に入ったらしい。

 確かに少し上機嫌そうに見える。


「セイさまは女性相手に自分の理想像を押しつけるばかりで、相手が本当に望んでいることから目を背けている傾向があります。今回は良い薬になったことでしょう」


 おまえらの願望がもう少しまともだったら俺だってもう少し善処するわい。


「爛れた願望すら飲み込んでこそ真の大器というものです。器を大きく持ちましょう」


 いや、そんな詭弁では説得されんからな。


「まあいいです。今日のところは帰りましょう。帰りはわたしが後ろに乗るので、セイさまが漕いでください」


 そう言って、有紗が俺の自転車を差し出してくる。

 なるほど、だから自分のロードバイクではなく俺の自転車でここまで来たのか。


 俺は言われるままに自転車にまたがり、後ろに有紗を乗せて自転車を漕いでいく。

 ――と、唐突に有紗が俺の腰に腕を回し、背中に胸を押し当ててきた。

 くそっ、これが狙いだな? したたかな女め……。


「どうですか? 流れでエッチなことをしたくなってきましたか?」


 なるものか。さっきまでのシリアスな雰囲気が台なしだぞ。


「むう。ガードの堅さだけは大したものですね。やはり、最後はこちらに訴えるより他はありませんか」


 うおっ!? おちんちんを直接攻撃するのはやめろ!

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