第十二話 綾小路になっちゃうわけでしょ

 意外にもカラオケはつつがなく終わった。

 有紗は相変わらず女子とは思えない声量でプロかと思うほどの迫力を見せていたし、深雪も可愛らしい歌声が最高にプリティだった。


「予定外でしたが、楽しかったです」


 有紗もご満悦のようだった。何が予定外なのかはさておいて。


「神楽坂さんって、すっごい歌うの上手いんだね。あんなに上手にAboの曲歌える人って初めて見たかも」


 深雪もすっかり機嫌を直したようだ。

 確かに俺も有紗以上にAboの『しゃらくせぇわ』を上手く歌いあげている人は、テレビでやっているようなカラオケ番組を含めても見たことがない。

 ひょっとしたら、普段の機械的な口調の反動が出ているのかもしれない。


「ねえ、これからどうする? もう帰っちゃうの?」


 深雪が、駅のほうに向かって歩き出した俺の服を掴んで言った。

 今日は自宅から直で繁華街に向かっているので、電車移動なのだ。

 まだ少し遊び足りないのか、深雪は露骨に帰りたくなさそうな顔をしている。

 とはいえ、あまり遅くなると姉貴から文句を言われるだろう。

 有紗がここにいる以上、姉貴の夕食はないも同然だ。

 休日の姉貴は基本的にダメ人間なので、自炊をするなどありえない。

 それに、綾小路家での用事を終わらせた優那が帰ってきている可能性もある。


「塚本さまも一緒に帰られませんか?」


 ――と、またもや唐突に、有紗が提案してくる。


「え? そりゃまあ、帰る方向は一緒だけど……」


 深雪はキョトンとしていた。

 まあ、普通はそういう反応になるだろう。

 だが、おそらく有紗が言っているのはそういうことではない。


「塚本さまさえよろしければ、夕食をご一緒にいかがでしょうか」

「あ、何処かで食べて帰ろうって話?」


 まだ深雪は理解できていないらしい。


「いえ、セイさまのご自宅でということです」

「えっ……ええっ!?」


 まあ、そういう反応になるよな。

 俺だって同じ気分だもの。

 なんで俺の家に招待するのに俺の意志が確認されてないの?


「そ、それって……同棲してるってコト!?」


 次々と判明する新事実に、深雪の目が驚愕に見開かれる。

 なるほど、そういう解釈をしたわけか。

 確かに、実質的に半同棲といっても差支えない状況ではある。

 まあ、だからと言ってとくにエッチなことがなされているわけではないが……。

 ――いや、なされていないよな?

 今朝のこともあるし、ちょっと自信がなくなってきたな……。


「そ、そんな……セッちゃん、あたしが思ってるよりずっとオトナだったんだ……」


 深雪がまたしても涙目になっている。

 なんか色々と勘違いされている気がするな。

 大丈夫! 俺はまだ童貞だぜ!


「確かに、これだけ苛烈なセックスアピールを受けておきながら純潔を保っていられている以上、その童貞は誇るに値するかもしれません」


 なんか褒められてしまった。照れるぜ。


「あ、あたし……行くよ! セッちゃんがどんな生活……いや、性活をしているのか、この目で確かめに行く!」


 深雪が涙を振り切り、その瞳に確かな意思を宿しながら告げる。

 勝手に熱くなってるところ悪いが、期待しているようなものはないと思うぞ。


「はたして、本当にそうでしょうか?」


 いや、ないから。不穏なことを言うのはやめろ。


     ※


 というわけで、俺たちは深雪を含めた三人で我が家に帰ってきた。

 リビングではやはり姉貴がテレビでVewTubeを見ながらグータラしており、俺たちの帰りを今か今かと待ちわびていたようだ。

 とりあえず、客を連れて来てしまったのでパンツ一丁はやめてくれ。


「おかえりぃ。珍しいわね。優那ちゃん有紗ちゃん以外の女の子なんて初めてじゃない?」


 姉貴がいそいそとソファの隅に放り出されたショートパンツをはく。

 そんなところにあるなら最初からはいておけよ……。


「お、お邪魔します……」


 おずおずと深雪がリビングに入ってきた。

 俺に姉がいることは日常会話の中でそれとなく話したことがあったはずだが、実際に顔を合わせるのは今回が初めてのはずだった。


「あら、いらっしゃい。あなたがセーちゃんの言ってた新しいカノジョ?」


 そんなことは一言も言ってないが。


「えっ……あ、いや、違くて、あたしはその、ふ、振られたっていうか……」


 深雪が赤い顔をしながらシドロモドロになっている。


「いいのよ、いいのよ。こんな甲斐性なしに女を選ぶ権利なんてないんだから、セーちゃんが何を言おうと勝手に彼女面しておけば良いのよ」


 姉貴はひらひらと手を振りながら陽気に笑っている。

 座卓に並ぶ空き缶の数を見るかぎり相当呑んでるようだから、それなりに酔いも回っているのだろう。


「そうですよ、塚本さま。わたしも日頃からそうしております」


 確かにおまえはそうだろうよ。


「夕食を準備いたしますので、塚本さまもどうぞご自由におくつろぎください」


 まるで家主のように言いますね……。

 まあ、どちらかというとこの家の家長は姉貴なので、俺は口を挟まないでおくか。


「えっ……ど、どうしよ……」


 深雪がオドオドと俺のほうを見る。

 ひとまず、俺は深雪を促して一緒にソファに腰を下ろすことにした。


「へええ、可愛い子じゃない。名前はなんて言うの?」


 姉貴がやたら馴れ馴れしく深雪に話しかけている。

 まあ、深雪もだいぶ畏まっているようだから、これくらいアクティブに絡んでくれたほうがいくらか緊張も解けるだろう。


「あ、えと、塚本といいます」


 深雪がカチコチになりながらペコリと頭を下げている。可愛い。


「違う、違う。な・ま・え。下の名前よぉ」

「あ、深雪……です」

「深雪ちゃんかぁ……ねぇ、ミーちゃんって呼んでもいい?」

「えっ、あ、はい! ど、どうぞ!」


 酔ってるからというのもあるのだろうが、距離の詰めかたがエゲツないな。

 深雪が目を白黒させている姿は見ていて微笑ましいが、俺としてはいつ姉貴が不穏なことを言い出さないか気になって仕方がない。


「せっかく苗字で覚えてもさぁ、セーちゃんの彼女ならみんないずれは綾小路になっちゃうわけでしょぉ?」


 ほらな。さっそく出てきやがった。

 俺は脂汗をかきながら、キョトンとした顔をしている深雪の反応を待つ。


「え? 綾小路……ですか?」

「そ。セーちゃんのカノジョ。あれ、知らないんだっけ?」


 いや、知らないわけではない。信用してもらえていないだけである。

 でもさ、何もこの場でその信用を勝ち取らなくてもいいわけでさ……。


「う、ウソ……それじゃ、ホントに……?」


 深雪が震える瞳で俺の顔を見つめてきた。

 くそ、姉貴め……。

 今さらだが、やはり深雪をここに連れてくるべきではなかったのかもしれない。

 まさか姉貴に地雷をばら撒かれた上に、しっかり踏み抜かれてしまうとは……。


 ——と、その時、玄関のほうでものすごい勢いでドアが開かれる音がした。

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