第三話 クラシックスタイルなツンデレ

 俺たちが通う市立山都河やまとがわ高校は偏差値も標準レベルのごくごく普通の公立高校である。

 努力次第で名門私立大学にいけるレベルのそこそこの秀才もいれば、なんでこんなやつが合格できたんだと思うくらいの不良学生もいる。

 本来であれば、綾小路家の令嬢である優那の人生においてあまり関わることのないはずだった世界だ。

 経済的、風紀的な面でもそうだが、そもそも学力面においても大きなズレがある。この学校で学べるレベルのことなど、優那は中学を卒業するころにはすでに学び終えている。


 では、どうしてこのような学校に入学するに至ったか。

 それはもう本当に単純で、『人生において一度でいいから普通の人間が過ごすような青春を送っておきたい』という優那の願いを叶えるためである。

 俺だって有紗だって、望めばもっとレベルの高い私立高校に行くことはできた。

 そうしなかったのは、俺たちが優那のその願いを叶えるためにともに行くことを申し出たからに他ならない。


 しかし、優那の青春がどちらかというと性春だったというのは予想外だった。

 どうりで妙に偏差値の低めな高校を選ぼうとするはずだ。

 これでもギリギリのラインだった。当初はもっと低いところを選ぼうとしていた。


「おはよ」


 朝礼前、自分の席でぼーっとしていると、視界の外から深雪が声をかけてきた。

 昨日の一件もあって当面は気まずい空気になるかと思ったが、杞憂だったのだろうか。

 俺が驚いたように声のしたほうを振り仰ぐと、そこには――。


 髪の毛をマッキンキンに脱色した深雪が立っていた。


「つ、塚本……?」


 思わず目を疑ってしまう。

 この学校はわりと頭髪規定に関しては緩めだが、それにしたってこんなど派手な金髪の生徒は上級生でも見たことがない。

 しかも両耳にイヤーカフスまでつけて、昨日までの塚本とは一線を画している。

 ヤンキー――というよりは、ギャルか。

 これまでは学校指定のブレザーを着ていたのに、今は襟元の大きく開いたブラウスにカーディガン、切り詰めた短いスカートという格好で、服装まですっかりギャル化している。

 これはひょっとして、俺が振っちゃったせいで思いっきり道を踏み外したのか……?


「責任、感じたりする?」


 唐突に深雪がそんなことを訊いてくる。

 まだ教室内の生徒の数はまばらだが、それでも皆が一様にこちらに注目している。

 だが、俺が何も言えずに冷汗を流していると、その様子に満足したのかニヤリと笑って自分の席に戻っていった。

 いったいなんだったんだ……。


 ――と、そのとき、今度は教卓側の扉が開いて優那と有紗が姿を見せた。

 俺の席は扉側から二列目の二番目、優那とは隣同士の席だ。


「おはよう」


 うっかり挨拶をしてしまう。

 いや、挨拶をすること自体はいい。

 ただ、学校にいるときは少し態度を変える必要があった。

 慌てて言い直そうとするが、それよりも優那の反応のほうが早かった。


「わたしに挨拶をするなら、もう少し言葉を選んだらどう?」


 冷たい目で俺を見下ろしながら、静かに言う。

 まるで汚物でも見るかのような目だ。ゾクゾクするぜ。


「お、おはようございます、綾小路さん」

「朝からイライラさせないで」


 優那が吐き捨てるように言い、俺から目を背けて自分の席に座る。


「セトさま、朝からお嬢さまのご機嫌を損ねぬようご配慮のほど、よろしくお願いいたします」


 有紗がいつも以上に無機質な口調で告げ、そのすぐ後ろの席に座った。

 首筋に汗が伝っていくのを感じる。


 なまじつきあいが長いのでうっかり話しかけてしまうのだが、学校での優那の対応は常にこのような感じだ。

 本人曰く、人目のあるところでは恥ずかしくてつい辛く当たってしまうとのことだが、これは少し異常だろう。

 だって、明らかにゴミを見るような目で見てくるもん。

 

「な、なあ、セト……」


 ふと、優那とは反対隣りの席に座るクラスメイトの男子が声をかけてきた。

 名前はなんだったかな……まあいいか。


「前から気になってたんだけど、おまえらってどういう関係なんだ?」


 まあ、あんなやりとりが目の前で繰り広げられればそういった疑問もわくだろう。

 しかし、どういう関係かと言われれば幼馴染、あるいは現状ならば恋人同士と答えるより他はない。

 信用はされないだろうし、適当に誤魔化すこともできるが、それでは俺が優那との関係性に後ろめたさや引け目を持っているということになる。

 その程度の気持ちで結んだ関係なのだとしたら、それは優那に対しても振ってしまった深雪に対しても失礼にあたる。


「いや、そういうの良いからさ。なんか下僕って噂もあるけど、本当なのか?」


 やっぱり信用されなかった。というか、下僕だって?

 まあ、確かにさっきのやりとりは女王様と下僕チックではあったか。胸が高鳴るぜ。


「いや、俺の祖父さんが綾小路家の世話係みたいなことをしててさ、小さいころから綾小路とも仲良くしてたんだよ」

「あー、なるほどね! それで、おまえは今でもそのときの郷愁を引きずってるけど、向こうはもうおまえなんか眼中にないって感じになわけだな!?」


 なんか勝手に世界観を掘り下げられてる。


「そんでもって、そのうち別の女がおまえに言い寄ってるところを目撃したりしてさ、遅れながらに綾小路も恋心を自覚しちゃったりしりするってパターンだろ!?」


 盛り上がってるところ悪いが、先に言ったとおりすでに優那とは交際してるんだ。


「いやー、青春だな! 俺、応援するよ! 一度でいいからこういうラブコメの親友キャラみたいなことやってみたかったんだよな!」


 こいつ、話聞いてないな。

 というか、俺はおまえの名前すら知らん。


     ※


「ねえ、セッちゃん」


 放課後、帰ろうかと机を立った矢先、深雪に声をかけられた。

 今日一日、折りにつけてその姿を観察してみたが、ギャル化した深雪はそれはそれで相当に可愛らしい。

 優那の手前、あまり他の女子を褒めるのも気が引けるが、もともとの可愛らしい顔立ちにギャルの持つ小悪魔的要素が加わって最強に見える。

 それに、深雪は女子の平均から見ても頭半分ほど背が低いので、一般的なギャルに比べてちょっと背伸び感があるのだ。

 中学生の女子が必死になってギャル感を出そうとしているような印象と言えば良いだろうか。

 控えめに言って天使——いや、堕天使だ。口汚く罵ってほしい。


「あのさ、良かったらこれから遊びに行かない?」


 なんと。あんなことがあったばかりだというのに、遊びに誘ってくれるというのか。


「こんだけイメチェンしといてなんだけど、昨日のことは気にしないでよ。あたしもちょっと急ぎすぎたかなって反省してる。答えは別に急がないからさ」


 あ、コレ、本当に俺が昨日言ったこと信用されてないパターンだ。


「セトくん、塚本さんと何処かへ行くつもり?」


 ――と、隣の席から優那が訊いてくる。

 そういえば、遊びに行くなら行くで伝えておいたほうがいいか。

 やましいことは何もないというアピールにもなるし、そもそも優那や有紗とはなんやかやで学校を出たあとに合流することが多いので、あらかじめ一緒には帰れないことを伝えておいたほうが面倒が少ない。


「……セッちゃんが誰と何処へ行こうと、あんたには関係ないでしょ」


 しかし、俺が口を開くよりも前に深雪が優那に絡みだした。

 やべえ、なんか知らんが恋の鞘当てがはじまった感じか?

 俺を取り合って喧嘩をするのはやめてぇ!


「そうね。好きにすればいいわ。セトくんのような冴えない男にもちゃんと遊んでくれる人がいたみたいで安心しただけよ」


 優那は相変わらずゴミでも見るような目で俺を見ている。震えるぜ。


「セッちゃんは冴えない男なんかじゃない。あんたになにが分かるっての?」


 というか、めちゃくちゃ絡むやん。

 ひょっとして、俺のことを庇ってくれてるのかな。

 それはそれで嬉しくはあるが……。


「分かるわけないでしょう。そんな男に興味はないわ。せいぜい楽しんできなさい」


 優那は深雪に対して薄く笑みを浮かべ、そのまま鞄を手に取って教室を出て行った。

 そのあとに追従する有紗が、一度だけこちらを振り返る。


「ごゆっくりお楽しみください」


 恭しく頭を下げ、そのまま廊下に姿を消した。

 教室にはまだ他にも生徒が残っているが、シーンと静まり返っている。


「なんなのアレ。セッちゃんもたまには言い返してやりなよ」


 深雪はプリプリと怒っていた。

 コイツ、思った以上にメンタル強いな。


「そんなだから下僕だなんて噂を立てられるんだよ」


 どうやら深雪は真剣に俺のことを心配してくれているようだ。

 ありがとう、深雪。でも、本当に俺たち交際してるんだ。

 優那がちょっとクラシックスタイルなツンデレすぎるだけなんだよ……。




      ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




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