第8話:初デート?とお子様ランチ②



「……っ!」


 しかも、声をかけられている湊のほうも、何やら楽しそうな顔をしているではないか。

 あれは誰だ。知り合いだろうか。まるで自分と喋っている時のような笑顔を浮かべる湊の姿に、胸の奥がチリチリとやけた。

 せっかく田島のことを聞いて気分がよくなっていたのに、その喜びがどんどん冷めていく。心なしか、強い苛立ちまで覚えるようになった。

 どうしてこんな気分になるのだろう。自分でも説明できない感覚に首を傾げていると、前方にいた湊が隆司に気づいて手を振った。隣の男もこちらを見る。しかし、その男は隆司に向かって頭を小さく下げると、そのまま湊から離れ、歩いていってしまった。


「湊っ」


 一人になった湊に駆け寄り、隣に並んだところで去っていく男の背を見つめる。


「今の誰だ? 知り合いか? まさか……ナンパされてたとかじゃないだろうなっ」


 自分でも余裕がなくなっているのが、手にとるように分かったが、どうしても冷静ではいられなかった。

 しかし、問われた当の本人は、隆司のそんな気持ちなど知らずといった風に、ケロリと返事をかえすだけだった。


「いえ、道を聞かれてたんですよ。僕も分からなかったので、一緒に地図を見て考えてたんです」


 二人でいた理由を聞いて、拍子抜ける。そして何故だか、ほっと安堵の息が零れた。


「道……あ、ああ、何だ、そうだったのか」


 仲睦まじく話していた二人の姿を見て苛立ちなんて感じていた自分が、少し恥ずかしくなる。そんな気分になっていたことを湊に悟られたくなかった隆司は、あからさまに視線を逸らし、話題を変えた。


「…………ちょっと早いけど、昼飯でも食べに行くか?」

「はい! あ、でもいいんですか? さっきの電話、仕事じゃ……」

「電話で済む用事だったから、大丈夫だ。今日はもう、大きな事件が起こらない限り呼ばれないと思う。ああ、あと田島さんのことだけど――――」


 話を変えるついでに、田島のことも話す。すると、復帰を知った湊の顔がみるみる明るくなった。


「本当ですか! よかったですね!」


 あたかも自分のことのように喜ぶ湊の笑顔に、心が温かくなる。自分とは関係ない、しかも直接会ったことすらないのに、隆司が嬉しいというだけでここまで気持ちを同調してくれる。こういうところが湊のいいところ、魅力なのだろう。


「今度、見舞いに行こうと思うんだが、お前も一緒にくるか?」

「いいんですか? 僕が行っても……」

「別に、友達って言えばいいだろう」

「え、可愛い奥さんって紹介してくれないんですか?」

「調子に乗るな」


 今にも喜々として飛びついてきそうな湊を寸でで躱し、さっさと歩きだす。背後からはフフッという湊独特の笑いが聞こえた。


「さっさと飯食いにいくぞ。何が食べたいものあるか?」

「うーん……あっ、じゃあ、お子様ランチが食べたいです」


 湊の希望が耳を通り抜けた後、すぐに隆司の動きが止まる。今のは空耳だろうか。


「……お子様ランチ?」

「ええ、お子様ランチです」


 やはり、聞き間違いではなかったらしい。しかも言った本人は、自分がおかしなことを言っていることにまるで気づいていない。まさかとは思うが、湊は大人になってもまだお子様ランチが食べられると思っているのだろうか。それとも資産家御用達のレストランでは、お子様ランチという名の大人用メニューがあるのだろうか。隆司は理解に苦しみながらも、必死に考える。だが、結局納得には達しなかった。


「なぁ、あれって小学生が食べるもので、大人はご遠慮下さいってやつじゃないのか?」

「確かにそうですね。でも通常の料理を頼んで、更に追加という形にすれば対応してくれるところも多いですよ」

「そう……なのか?」

「はい。僕、大人になってからも『ここのお店のお子様ランチが大好きなんです』って言ってよく頼んでましたし」


 言いながら湊がニコリと極上の笑顔を浮かべて、注文の時の再現を見せる。

 なるほど、この笑顔で頼まれたら大抵の人間は落ちるだろう。隆司は向けられた笑顔に思わず鼓動を早くしながらも、別の意味で納得した。


「そうか……。ただ、何でお子様ランチなんだ?」

「昔から大好きなんですよ。お子様ランチって、色々な種類のものが入ってるでしょう? それが何だか仲良し家族みたいで、いっつも『スパゲティは僕、エビフライがお兄ちゃんで、パパがハンバーグ。ママはプリン』って決めて遊んでたんです」


 楽しそうに昔の話をする湊の姿に、チクリと胸の奥が痛む。

 辛い別離があったというのに、こんなにも嬉しそうに家族の話ができるなんて。きっと未だ湊の中で仲が良かった頃の家族の記憶が色濃く残り、いつかその光景を取り戻そうと思っているのだろう。そんな健気な思いを感じとった隆司は、無性に自分にできることをしてやりたくなった。


「そうか。なら、頼んでみるか。まぁ、もしダメって言われたら、お子様ランチに入ってるメニュー全部頼んで、皿に盛ってやるよ」


 ハンバーグもスパゲティもエビフライもプリンも、単品で頼めるものばかりだから無理はないはずだ。頭の中で算段をしていると、隣で湊が豆鉄砲を食らった鳩のように両目を見開いた。


「全部って……そんなに頼んだら、お腹いっぱいになっちゃいますよ?」

「俺は大食漢だから平気だ。……それに、この前の礼もしたいしな」

「この前って、あの時の? そんな、別にお礼なんていいですよ」

「いいんだよ。お前は遠慮なんかするな」


 自分が湊に対して、こんな風に感謝を返す日がくるとは思わなかった。照れにも似た不思議な感覚に囚われながら、不器用に笑う。


「嬉しい。隆司さん、ありがとうございます」


 空気が踊るように柔らかく、そして蕾が花開く瞬間のごとく可憐に顔を綻ばせる。

 忽ち、湊の周囲だけ空気の色が変わったように見えた。冬なのに春の爽やかさと甘さを織り交ぜたような淡い色の中で、はにかむ湊。

 それは、これまで見た中で一番綺麗な笑顔だった。

 また、胸がドクンと鳴る。けれど、その鼓動が何を指すものか、今の隆司にはまだ分からない。ただ――――「じゃ、行きましょう」と組まれた腕を振り払わない程度には、湊を受け入れていることを自覚したのだった。

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