5 世界の果てで微笑む彼女

「私たちが住んでいるこの町はね、嘘偽りで固められているんだよ。そう、神様の手によって作られた嘘偽りでね。キミもそう思わないかい? 新入生」


 高校の屋上、ベンチで昼食を摂っていた僕の隣で先輩が独り言のようにボソッと呟いた。


「またいつものが始まったんですか? ミサキ先輩。それに僕は二年生です。いい加減覚えてくださいよ、って聞いてないし」


 彼女は僕の話に耳を傾けようともせず、町を囲むようにそびえ立っている巨大な壁を透かし見ている。僕は力なく肩を落とすと、また焼きそばパンにかじりついた。


 ――一年前、突然現れた巨大な壁。一夜にしてあの巨大な壁はこの町をすっぽり覆った。この町の人々はあの壁のことをミステリーサークルならぬ、ミステリーウォールと呼んでいる。


 ある人は宇宙人の侵略だと、ある人は生物兵器からこの町を護っているんだと、ある人は壁の向こうに実は何もないんだよと口々に言い合った。


 けれども、そのどれもが真実味を帯び、そのどれもが嘘に聞こえる。なぜならこの一年もの間、実際にあの壁の向こう側を見た人は誰もいないのだから。


 それになぜか、僕を含めずっとこの町に住んでいる人々から壁ができる前の記憶がなくなっていた。壁の向こう側と連絡が取れないという事実も相まって、いっそう空想の数々を後押ししている。


 ミサキ先輩が呟いた『この町は嘘偽りで固められている』という言葉が、今のこの状況を説明するのにぴったりだと思えてきた。そんな僕の心を読んだのか、先輩がおもむろに立ち上がり僕の手を引く。そして彼女は遠くに見える壁を指差し声を上げた。


「二人であの壁の向こう側に行ってみないか? まだ誰も見たことがない壁の向こう側へ!」


 そのとき初めて先輩は僕の目を見てくれた。秋晴れの空のような透き通った青い瞳。彼女の長い黒髪が風になびき宙を舞う。そして僕の手を握る先輩の手にさらに力が入った。


「キミと一緒ならあの壁を越えられる気がするんだ。行こう、真実の先へ」


「……はい。僕はどこまでも付いて行きますよ、先輩」


 日は傾き、もうそこまで夜の闇が足を伸ばそうとしていた。あれからどれくらいの時間がたっただろうか。僕たちは天に届きそうなほど高いあの壁をすぐ近くで見上げていた。


「意外に近かったですね、世界の果て」


 いつしか僕も先輩のような事を言うようになっていた。けれど不思議といやではない。むしろ、先輩と同じような考えを持てるようになったのが誇らしかった。そんな僕の表情に気づいたのか、いつになく真剣なまなざしで彼女が見つめてくる。


「この壁を越える前にひとつキミに訊きたい事がある。キミは私の事をどう思っている? 私の事は好きか?」


「え? こ、こんなときに何を言っているんですか! ……うっ」


 気づけば先輩の顔がすぐ近くまで来ていた。彼女の甘い吐息が頬をなでる。


「こんなときだからこそ言っているんだ。この壁の向こう側は何があるかわからない。もしかしたら壁を越えた瞬間、死んでしまうかもしれないんだ。だから今、キミの本当の気持ちを聞きたい。私の事は嫌いか?」


「そ、そんな嫌いだなんて。あの、その、……好きです」


 僕は恥ずかしさのあまり顔を背けてしまった。耳の先まで真っ赤になっているのが自分でもわかる。すると彼女はさらに近づき、僕の頬へキスをした。


「……あっ」


「ありがとう、私もキミの事が、大好きだ」


 ――そのときだった。突然、僕の体は大きな手に掴まれ、空へ空へと引っ張られていく。次第に先輩の姿が、家が、ビルが、町が、どんどん小さくなっていった。そしてさらに町全体が見渡せるようになったとき、僕はこの街の真の姿を知ることになる。


「……嘘、だろ?」


 みんなが言っていたことはどれも間違っていた。確かにここは壁の外で世界が広がっている。けれどそれは隣町とか宇宙とかそんなものではなかった。そう、違ったのだ。


 昼間だというのに薄暗い部屋。床には無造作に脱ぎ捨てられた衣服と、たくさんのゴミ袋。異臭が漂う部屋の中央、スタンドライトに照らされた大きなテーブルの上に僕らの町がある。


 そう、僕らの町は『神様』によって作られた小さな小さなジオラマの町だったのだ。家もビルも人もすべてが『神様』によって作られた町。


 けれど今の僕にはそんなのどうでもよかった。彼女と二人きりになれたのだから。


 僕の体を暖かい大きな手が包み込む。


 見上げるとそこには、やさしく微笑むミサキ先輩の姿があった。

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