治天のうさぎ

末人

第1話 月の裏側

土下座とは…地上にひざまずいておじぎをすること(旺文社国語辞典)


 一匹の兎が今、土下座をしている。そしてその兎は月に住んでいる。地球に住む人類の為に要約しよう。月面にて一匹のうさぎが頭を地につけ土下座している―。


 地球から三十八万km。月。地球上の人類は知る由もないがそこでは数百万のうさぎたちが暮らす巨大文明が発達していた。読者皆さんが想像するようなあの哺乳類のうさぎをイメージしてもらえれば良い。月面の文明は人間とは引けを取らないほど発達している。鉄鋼、農業、テクノロジーは先進的なものの、唯一腐敗していたものがあった。政治である。少数の上位うさぎが違法にも甘い蜜を独占的に吸う不条理な現実がそこにはあった。そんなダークサイドムーンに一匹のうさぎが迷い込んでいく―。


 望月政志(もちづきまさし)。彼は兄、長政(一歳六か月)の弟でちょうど昨日で一歳を迎えた。うさぎの一歳は人間でいう二十歳だ。家業は代々繊維業を営んでおり、身分は下級貴族であった。

 そんな一歳になったころ、毎月恒例の「月面会見」が行われることになった。上位0.01%の二万を超える貴族階級のうさぎが一堂に集い、政府の幹部が今後の月の政策方針を説明する場である。そんな中、望月家の階級は貴族の下の下。肩身狭いなかいつも群衆の最後列で傍聴しにいく。今月は政志が行く月だ。

 うさぎサイズのスカイブルーと白の流水模様の和柄をした羽織を着て颯爽と穴から出ていく。背中からはちょこんと尻尾が羽織から出ている。


 二〇分ほどぴょんぴょんと市街地を飛んでいく。月は地球の六分の一程度の重力なので飛びすぎには注意だ。市街地は多種多様な市場が出ており大変わいわいとにぎわっている。


 思いのままに跳んでいくとひときわ大きいコンクリート造りの三〇階建てほどの高さをする協会のようなものが見えてきた。この建造物の名は「ムーンキャッスル」といい、政府が四十年前に作ったものだ。内部天井にはシャンデリアの照明がついており、床はふかふかのカーペットだ。中ではすでにうさぎがごった返しており、暑苦しい。


 うさぎ同士の会話が飛び交う中アナウンスが流れる。

「これより、第二百十二回月面会見を始めます」。このアナウンスと同時にうさぎたちは舞台に向かって敬礼をする。


 静寂な時間が流れていると前方のステージに黒と白の弁慶格子の羽織を着た下弦の守・見華月徹(みかづき とおる)が舞台袖から出てきた。頭には立派な鳥帽子をかぶっている。歳は六歳で人間でいうところの五十台前半だ。ここで月面政府幹部の立ち位置を説明しよう。月の帝、「かぐやの君」のもとに補佐役の上弦の守(じょうげんのかみ)、下弦の守(かげんのかみ)が続き、さらに彼らのその下には五つの主要な省である、五大月相と呼ばれる機関が存在する。その中で数千の官僚が切磋琢磨働き、国を動かすという組織図になっている。つまり今舞台に出てきたのは政府ナンバー3のうさぎということになる。


「今回の会見では頭数の増加対策と主に税について話す。近年の増加対策として政府の対応としては―」長々と見華月が原稿を読み上げていく。五分後にはその頼りない内容は終わり、次に今月の税率についての説明が始まる。これがメインである。全ての貴族うさぎたちがこの情報を得るために来ているようなものである。


「今月の税率は水産業が利益の二十パーセント、土木業は十七パーセント、農業は―」と似通った数字が続いていく。軍事産業を除けば。


「デジタル産業は二十三パーセント。続いて軍事産業は三パーセント―」この瞬間会場がどよめく。なんと、防衛産業が税率五パーセントを切ったのは四か月連続である。これは異例の低さである。


「静粛に!」と見華月下弦が叫ぶ。 



 この会見の最後には質問時間がある。しかし誰かが手をあげて質問をしたことをいままで見たことはない。政府に何か言えば粛清されることは火を見るよりも明らかだからだ。だがその場に一匹だけ手をあげた者がいた。それは望月だった。


 前足二本を宙に浮かし、立つと、マイクが渡された。


「見華月下弦、質問ですがここ最近防衛産業の税率だけが極端に低いのはどうしてしょうか。理由をお聞かせください」。と聞くと明らかに嫌な顔をされ、数秒考えたのちに話し始めた。


「国の運営を円滑にするためです。以上」。


 なんの説明にもなっていない。望月は問い続ける。


「それでは何の説明にもなっておりません!何のために税率を低くしているのか詳細にお答えください!」


「国を栄えさせるためです」


「具体的にお答えください!」


 すると見華月は何かの糸が切れたかのように口調が変わった。


「国家秘密だっ!これ以上いえることはない!以上!い・じょ・う!!」


「きちんと説明してください!なにかやましいことでも隠しているのではないですか!」


 見華月の耳は震えており明らかにブチぎれている。


「いったい何なんだね、君は。そんな大衆の後ろからケチをつけて」


「ケチではありあません!質疑です!」


「どうせ下級貴族なんだろう。私は下弦の守だ。失礼にもほどがある。私に謝罪したまえ」


見るに堪えない会話が場内に響き渡り、大衆は困惑している。中にはやっぱり政府にはむかうのはだめだわといった声も聞こえる。


「謝罪なんてしません!俺に非はない!」


「いいや。こうなったのはすべてお前の責任だ。見てみろ、民は困惑し、会見時間が伸びているではないか。これは大罪だ。そうだ、お前が土下座をすれば許してやろう」


 驚くべき言葉が放たれた。不条理にもほどがある。俺は見華月に土下座なんて死んでもする気は微塵もない。顔をしかめて見華月は続けて言う。


「なんだ、謝罪の一言もないのか。反省しているのか。本当にいいんだな?お前のしている産業の税率を倍にあげてやろうか?お前の家族がどうなってもいいんだな?…」


「こんな脅迫、月面憲法に反している!!」


 完全なる脅迫である。俺がこの場で謝らなければ繊維業をするすべてのうさぎたちに迷惑がかかり、多数の家計が悪化する。それだけは避けなくてはならない。俺は信じられなかった。予想以上に政府という組織は闇深く、光なんてないブラックホールであったのだ。


 望月は屈辱を噛み締めながらゆっくりと額をカーペットにつけた。


「申しわけ…ありません、でした…」その声には激しい怒りと熱が含まれている。望月はその場で土下座した。人(兎)生で初めて土下座などした。どうしてだ。床は敵意を向けるように冷たく、屈辱、恨み、天井に着くシャンデリアにまで見下されている気分だった。この世の不条理さは決して一匹の若造の兎に予測できるものなどではなかった。この事件が怒涛の日々の始まりだったのだ―。


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