オリハルコンメンタルの令嬢が泣いた理由
uribou
第1話
それは何の変哲もない朝のことでした。
いつものように、私の主人であるアルマ様を起こしに入室した時です。
「アルマ様、おはようございます。爽やかな朝ですよ……アルマ様?」
「ベティ……」
「ど、どうされたのです」
私の可愛い御主人様は、既に身を起こしていらっしゃいました。
しかし泣いていらっしゃるではありませんか!
おかしい、アルマ様はやわな精神の持ち主じゃないのに。
アルマ様は一二歳。
ティンバーレイク侯爵家の長女で、柔らかな薄いグレージュの髪とエメラルドを思わせる緑の瞳を持つ大変な美少女です。
しかも貴族学校幼年部を首席で卒業の才媛でもあります。
専属侍女として誇らしい!
自慢のお嬢様なのに。
「目に大量にゴミが入ったのですね? 申し訳ありません、掃除を徹底させます」
「違うわ。もっとこう、精神的なものだわ」
「精神的……どなたに精神攻撃を仕掛けたのです? 精神攻撃の副作用は涙が出るものなのですか?」
「違います」
少しふくれっ面のアルマ様可愛い。
ハキハキしたものの言い方ですね。
いつものアルマ様が戻ってきたようです。
安心しました。
しかしアルマ様が涙するほどの精神的なもの?
「……まさかと思いますが、高等部の入学に不安があるのでございますか?」
「あら、不安なんかないわ。だって高等部では芸術科目が選択制ですから」
「ですよね」
えっ? 芸術科目は選択制という意味がわからないですって?
アルマ様の絵は斬新と言うか奇抜と言うか、見た者の精神に多大な負担をかけるのです。
幼年部児童の健やかな発育が阻害されるということで、児童達は見ることを許されず、アルマ様の全ての絵は封印されました。
私から見ると芸術だと思うのですけれど、アルマ様御自身は少々自分のセンスをもてあまし気味でいらっしゃるようで。
高等部に入学すれば絵画でなく、刺繍なり声楽なりを選択すればいい。
さすれば他人に迷惑をかけずにすむ、ということですね。
「ではいかがされたのです?」
「……夢を見たの」
「夢?」
意外です。
アルマ様は可憐で儚げな外見とは裏腹に、強靭なメンタルをお持ちです。
切っても切れない太い神経と言い換えてもよろしい。
夢くらいでどうにかなるはずは……。
「ベティ、あなた失礼な想像をしていませんでしたこと?」
「いえ、失礼ではありませんね。私基準では」
「そう?」
ジト目で見られています。
アルマ様のこんな表情を知っているのも私だけかもしれませんね。
外では淑女顔を崩しませんから。
本音の表情も可愛らしいですよ。
「悪夢ですか?」
「ベティはわたくしが悪夢などを恐れると思って?」
「これっぽっちも思いませんけれども」
だってアルマ様のメンタルはオリハルコンですから。
厨房の黒い悪魔と呼ばれるあいつが客間に現れ、侍女達が逃げ惑った時も、冷静に素手で叩き潰したほど男前なアルマ様です。
悪夢くらいで涙するとはとてもとても。
「大体悪夢なんて、よく見ますからね」
「そうだったんですか? 初めて聞きました」
「わざわざ他人に言うことではありませんから」
専属侍女の私のことを他人だなんて。
ちょっと寂しいではありませんか。
「例えばアルマ様はどんな悪夢を見たりするのですか?」
「そうね。我が国が隣国との戦争で敗れて、陛下の首が晒されたりであるとか?」
「え?」
思っていた方向と全然違う悪夢でした。
普通貴族の令嬢の悪夢とは、もっとメルヘンないしロマンチックなものなのでは?
いえ、ある意味アルマ様らしいような気もしますが。
「ベティ、あなたわたくしの悪夢にもの言いたそうではありませんか。どうせ可愛らしくないけどわたくしらしいとか思っているのでしょう?」
「思っております。しかしその夢は不敬なのでは?」
「だからわざわざ他人に言うことではないと、断っているではありませんか」
そういう意味でしたか。
一々方向性が意表を突きますね。
さすが私の御主人様です。
「ちなみに他にはどんな悪夢を?」
「ドラゴンが現れて王都を破壊するとかですね」
「ファンタジーですね」
ドラゴンなんてド辺境に生息する魔物です。
そりゃあメチャクチャ凶悪らしいですけれども、王都に現れるわけはないではありませんか。
やはりアルマ様だって可愛いところがおありなのですね。
「……あれはカルアラン山脈に生息するカイザードラゴン種でした」
「え? 妙にリアルですね」
「カイザードラゴンの航続距離からすると、順風の季節ならギリギリ王都まで届かないことはないですね。可能性はゼロではない。いざという時に慌てずにすむよう、S級冒険者との関係を強化しておくことを陛下に進言するべきかも……」
こ、怖い!
「あ、アルマ様の悪夢はどこかおかしくないですか?」
「普段考えていることや予想が混ざってしまうようですね」
「普段そんなことを考えているんですか? 聞いたことないですよ」
「だからわざわざ他人に言うことではないと、断っているではありませんか」
ええ?
アルマ様頭良過ぎる!
わたしがお仕えするお嬢様ですからね。
わかっていましたけど!
「アルマ様をして涙を流さしめる夢とはどんな夢なのです?」
「……ベティは意地悪ですね」
いえ、言いたくないことはわかりますけれども。
私はアルマ様付きの侍女ですよ?
事情を把握しておきたいと言いますか、単なる好奇心と言いますか。
「単なる好奇心なのでしょう?」
「アルマ様の洞察力が優れていることは知っていますってば。で?」
「ベティったら遠慮のないこと。実は……」
何となくドキドキします。
日常に潜む楽しみですね。
心の中でドラムロール!
「頭の中でドラムロールを鳴らしていないでしょうね?」
「鳴らしてます。どんな夢なのです? さあ!」
「……婚約する夢なのです」
「どなたと?」
「……ジョシュア殿下と」
ジョシュア第一王子殿下はアルマ様より年齢は二つ上。
大変に聡明で、王国の未来はジョシュア殿下がいれば安泰とまで言われています。
現在は少年っぽさを残していますが、数年経てばそれはそれは美しい貴公子になることでしょう。
家格の面からもビジュアルの面からも、アルマ様とはとってもお似合いです。
……これは内緒ですが、ジョシュア殿下はアルマ様の思い人です。
もう、乙女チックな夢を見ているのですから。
キュンキュンしますわあ。
「いい夢ではないですか。どこに涙で頬を濡らす必要が?」
アルマ様に限って、嬉し涙なんてことは絶対にないですし。
「ベティ、よく考えてみてください」
「何をです?」
「わたくしの夢は当たったためしがないのです」
「でもそれは……悪夢に関してはでしょう?」
「わたくしは基本悪夢しか見ませんから」
何それどんなだ、と思いましたけど、思ったよりもアルマ様は真剣な顔です。
婚約する未来が当たらない。
あるいは婚約すること自体が悪夢。
どちらのケースもよろしくない、ということですか。
しかし……。
「考え方を変えましょうよ」
「考え方?」
婚約する夢は悪夢ではありません。
また夢なんて根拠のないことです。
どう考えても、ジョシュア殿下とアルマ様はピッタリですってば。
「夢なんて思い煩うだけ損です。アルマ様らしくありません」
「……そうね」
「いい夢は当たる、悪い夢は当たらないと思いましょうよ」
「でも……いえ、ベティの言う通りかもしれませんね」
「そうですよ。きっとジョシュア殿下から婚約の打診が来ますよ」
俯き頷くアルマ様も可愛いです。
「さあ、お着換えいたしましょう」
「ええ」
ん?
バタバタしてますが何事でしょう?
「アルマ! 大変だ!」
「レディの部屋ですよ。お父様といえどもノックくらいしてくださいな」
「おお、すまん」
「一体何事ですの?」
「王家からの手紙だ。アルマをジョシュア殿下の婚約者にどうかという、婚約の打診が来た」
今ジョシュア殿下との婚約の夢の話をしていたばかりですのに、すぐ現実になったじゃないですか!
あっ、アルマ様の顔が紅潮しているのがわかります!
「来るのが遅かったですね」
「「えっ?」」
「わたくしがジョシュア殿下の婚約者の第一候補であることは推測できていました」
ティンバーレイク侯爵家の家格やアルマ様御自身の優秀さを考えればまあ。
「いつものことながら冷静だな。もっと可愛く喜べと父は思う」
「侍女も思います」
「婚約の打診が来るなら、わたくしが貴族学校の高等部に進学する前だとは思っていたのです」
アルマ様の言うことはわからなくもないです。
高等部は社交や人脈の形成も重視されますから。
ジョシュア殿下の年齢も加味すれば、確かにいいタイミングではあります。
アルマ様は、婚約の打診が来ることを予想していたんですね。
だから夢にまで見たのでしょう。
「それなのにお話が来るのが遅いものですから、ついわたくしも余計なことを考えてしまいました。恥ずかしいです」
「余計なこと?」
「いえ、こちらの話です」
旦那様は首をかしげています。
ジョシュア殿下との婚約を夢に見て、泣いてしまったことですよ。
アルマ様はとても可愛らしいところがあるのです。
「当然承諾でいいのだな?」
「はい。しかしヤキモキさせられたのは癪ですね」
「え? そなたは何を考えているのだ」
「殿下の絵を描かせてもらいましょう」
「そなたの絵とは、あのおどろおどろしいやつか? 縁談を潰す気か!」
あはは、アルマ様ったら。
私はいいと思いますよ。
アルマ様は年若ながらも淑女ですから、今まで他人に外面のいいところしか見せていなかったと思います。
でも実際は様々な面を持つ、お茶目な方なのです。
ジョシュア殿下にも早めに知ってもらうべきかと。
「旦那様。アルマ様の美術の成績くらい、王家は把握しているに違いありませんよ。あえて弱い部分を見せていくスタイルは、ジョシュア殿下もグッとくるかもしれません」
「む? そういう考えもあるか」
「わたくしは自分の絵画が弱い部分だとは思っていません。ただ他人に理解されないと感じているだけで」
「アルマ様の絵に迫力があることは存じておりますよ。魔除けに使えそうですよね。あるいは魔寄せですかね?」
「やはり絵は禁止だ!」
アハハウフフと笑い合います。
私にはわかりますよ。
アルマ様の笑顔が心からのものであることが。
何だかんだでジョシュア殿下のことが大好きなんですから。
お幸せでありますよう、ベティは祈っております。
オリハルコンメンタルの令嬢が泣いた理由 uribou @asobigokoro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。